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2008.11.26 開かれた霊知
聖職者達は、宗教知識を自分達の特権とし、
為政者達は、霊知(グノーシス)を民衆から遠ざけてきました。

一人一人が力を持つことを恐れて。

親は、子供時分の夢は実現不可能であること、
人間には奇跡は起こせないことを教え込みます。

こうして、大人になるにつれて、現実はかくも色あせてしまいます。

しかし、奇跡は存在するのであり、私達は誰でも神を見ることが出来ます。

人間は、神秘的直観力、霊能力、宗教的能力を持っています。

誰にでも、神への認識が深まる特別な瞬間があるものです。

神を知るには、苦行や隠遁行は必要ありません。

もっと穏やかで普通の方法で、それは可能なのです。

現代のビジネス社会においても有用であるはずです。

その為にこそ、八正道があります。

正しく見、正しく語り、正しく生活し、正しく仕事し、
正しく思い、正しく精進し、正しく念じ、正しく定に入る。

正しさの探求は、神の探求に他なりません。

そして、神を知ることこそが、悟りと言われるものなのです。

現代には、悟りに至るための法が説かれ、すでに霊知は万人に開かれているのです。




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2008.11.26 光の中を歩む
闇よりも光を見ていこう。

勇気を持って、光の中を歩んでいこう。

大人は子供達の為にも、未来への希望を語りましょう。

マスコミが創り出す暗い世相はにせものです。

ジャパニーズドリームは、すでに始まっています。

ヘルメスの発展の精神とブッダの悟りの智慧。

この潮流が、今後の世界を牽引していくのです。

神がいるのならば、世界は何故こんなにも残酷なのか?

その答えは、我々が世界を無慈悲なものだと認識しているからです。

我々一人一人には、神と同様の自由意志と創造力が与えられているということです。

何を見ていくかによって、世界は一変します。

世界を変えるのは、我々一人一人の思いと行動です。

本来、光に勝てる闇など、存在しないのです。


「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(ヨハネ福音書)




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2008.11.26 不滅の業
地獄の描写においては、源信僧都の「往生要集」が有名ですが、
お釈迦さまも、はっきりとこの様子を説かれています。

原始仏典では、
行為の善悪により、肉体の滅後は、地獄・畜生・餓鬼・人界・天界に赴くとされ、
その輪廻には、識(vinnana)が重要な役割りを果たしています。




けだし何者のカルマも滅びることはない。
それは、必ずもどってきて、カルマをつくった主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
地獄に堕ちた者は、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。
さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、
それは、つくったカルマにふさわしい当然なことである。
地獄の獄卒どもは、「捕らえよ」「打て」などといって、誰もやさしいことばをかけることなく、
温顔をもって向ってくることなく、頼りになってくれない。
地獄に堕ちた者どもは、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。
またそこでは、地獄の獄卒どもは、鉄の網をもって、
地獄に堕ちた者どもをからめとり、鉄槌をもって打つ。
さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
また次に、地獄に堕ちた者どもは、火炎があまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。
火の燃え盛るそれらの釜の中で、永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
また、膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
かれが、その釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、血と膿に触れて汚される。
また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
出ようにも、つかむベき縁がない。
その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
また鋭い剣の葉のついた林があり、地獄に堕ちた者どもが、その中に入ると手足を切断される。
地獄の獄卒どもは、鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
また次に、地獄に堕ちた者どもは、超え難いヴェータラニー河に至る。
その河の流れは鋭利な剃刀の刃である。
愚かな輩は、悪いことをして罪を犯しては、そこに陥る。
そこには黒犬や斑犬や、黒烏の群や野狐がいて、
泣きさけぶかれらを貪り食うて飽くことがない。
また鷹や黒色ならぬ烏どもまでが啄む。
罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。
だから人は、この世において余生のあるうちに、
なすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。
ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、
その間は地獄にとどまらねばならない。
それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、
常に言葉と心をつつしむべきである。


パーリ原始仏典小部「スッタニパータ」




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