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この時期に相応しい名曲です。
彼は、ジョン・レノンを超えています。






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2008.12.26 天下為公
総理の雄姿が見れます。







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2008.12.26 自由への飛翔
「19世紀から20世紀にわたって、最も大きな、
最も強力なマインド・コントロールを世界にかけたのは、マルクスの『資本論』である。
そのマインド・コントロールから人類を解き放つための最も有効な治療薬となったのは、
ハイエクの『隷属への道』である。」渡部昇一


ハイエクは、「経済的自由なしに、個人的、政治的自由など存在しない」として、
社会主義は隷属を意味すると警告しました。

これは、自由市場に政府が干渉することは、
結局、個人の自由を奪うことになるのだ、という主張です。

個人の自由とは、人間としての個人の尊厳であり、
人間それぞれに与えられた天性や個性を発揮することが出来る体制が望ましいということです。

ハイエクは、
トレランス(寛容)こそが、この自由の原理を最もよく表す精神だとしています。

寛容とは、自分とは違った信仰、信念や考え、文化を認めるということです。

つまり、ハイエクの思想の根底には、人間や神に対する信頼があるのです。

一方のマルクスの思想には、逆に神に対する怒りや不寛容の精神が見出されます。

このことは、社会主義者プルードンが、
マルクスからエンゲルスと共に仲間に加わるように要請を受けて書いた返事の中に、
すでに予見されています。

「もし貴兄が望むなら、社会の法則を、そしてこれらの法則が生じるゆえんと、
それらを首尾よく見出すための手続きとを、一緒に探ってみましょう。
けれども、ア・プリオリなドグマをすべて粉砕した後には、後生ですから、
今度は自分たちが人々に別な教義を叩き込んでしまうことは、夢にも見ないでおきましょう。
あらゆる意見を明るみに引きずり出そうという貴兄の考えには、私は心から拍手を送ります。
立派で生真面目な論争をしましょう。
博識と卓見を備えた寛容さを世に例示してやりましょう。
けれども、とにかくわれわれは運動の先頭に立っているのだから、
われわれ自身が新たな不寛容を生み出さぬよう、心がけましょう。
また、たとえ論理の宗教、理性の宗教であっても、
われわれが新興宗教の使徒を気取るのはやめましょう。
ともに集い、あらゆる異議を奨励しましょう。
あらゆる排他性とすべての神秘主義を駆逐しましょう。
疑問が尽きたとは思わぬようにしましょう。
議論がひとしきり出回った場合にも、もし必要なら、やり直しましょう―雄弁と皮肉を含めて。
これらの条件をお認めいただけるなら、喜んで貴会に加えていただきましょう。
けれども認めてくださらなければ、答えはノーです。」

プルードンは、結局、マルクスに排撃されることになります。

その後も、
マルクス主義においては、内輪の魔女狩りが横行し、不寛容さが露呈しています。


ハイエクは「自由主義こそが繁栄を生む」と喝破しました。

アメリカ新自由主義の失敗を受けて、
資本主義の終焉を叫ぶ向きもありますが、ハイエクの主張は普遍的です。

21世紀型の新しい金融・経済モデルの構築こそが望まれます。




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2008.12.26 日本始動


これを読まないと安心して年が越せません!




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クリスマスといえば、
「聖なるもの」、「神」、「崇高なるもの」、
「美」、「喜び」、「愛」、「永遠」、「恩寵」という概念が思い浮かびます。

こういったものが、無神論大国日本でも、この日だけは尊ばれるようです。

「信仰」を、奇異なもの、異常なものとして見る風潮が、わが国にはあります。

オウム事件以降、狂信を恐れて、
正しい信仰まで拒絶し、宗教に対して警戒心を持っています。

しかし、信仰なしに、人間は生きてはいけません。

歴史上においても、これほど信仰が虐げられたことはありません。

「信仰は不合理である」という時代はもう終わったのです。

偶然に宇宙の天体の運行や生命の発現・進化が起こったという理論は、すでに破綻しています。

「何らかの意図をもって宇宙のすべてはデザインされている」、
「設計者の存在を想定せねば、巧妙に仕組まれた宇宙の在り方は説明できない」、
ということは、多くの科学者が近年、主張しているところです。

宇宙の創造主は、特定の宗教のためだけに存在するわけではありません。

信仰とは、この世には人間や機械よりはるかに偉大な力が働いていることを認めることです。

信仰によって、人間の魂と崇高なる存在が結びつけられます。

信仰は、希望や心の平安をもたらし、奇跡を起こし得る力を解き放つのです。

信仰と対極にあるのは、疑い、恐怖、不安、心配、傲慢です。

信仰は、生きる力そのものなのです。

今こそ、再び、信仰を取り戻そうではありませんか。




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お釈迦さまが霊鷲山に滞在中、
霊天上界から、ヴェッサヴァナ(毘沙門)天がやってきて、
ヤッカ(霊人)のなかには、悪意をもって仏弟子や信者たちに害を及ぼすものがいるので、
彼らの安全のために、「アーターナーターの護経」を保持させるように要請しています。
それを受けて、お釈迦さまは、弟子たちにこの護経を勧めました。

原始仏典には、このような霊との対話がいたるところに出てくるのです。




『明らかな眼をもち、光輝にあふれたヴィパッシ仏に帰命する。
すべての生き物を憐愍するシキ仏にも帰命する。
煩悩を洗い流した苦行者であるヴェッサブ仏に帰命する。
魔の軍隊を打ち破ったカクサンダ仏に帰命する。
完成者でありバラモンであるコーナーガマナ仏に帰命する。
すべてのものから解脱したカッサパ仏に帰命する。

すべての苦を除く、この教えを説いたサキャの子であり、
光輝にあふれたアンギーラサ(ブッダ)に帰命する。

世間において寂滅に達し、あるがままに眺め、
中傷せず、恐怖を離れた、それら偉大な人たちは、
明知と実践とをそなえ、恐怖を離れて、
天と人とを利益した、偉大なゴータマ仏に帰敬する。

母神の子であり、大きな輪を有す太陽が昇るところ、
それが昇るとき、夜は消滅する。
太陽が昇ったとき、昼と称され、
そのところにある湖は深く、水の流れ込む海は深い。
このようにそこにおいて、それを「水の流れ込む海」と人々は知り、
これから「この方角が東である」と人はいう。
この方角を守護する、名誉ある大王は、
ダタラッタという名前の、音楽神たちの統治者である。

その場所から亡者と、中傷する者と、陰口をいう者と、
凶暴な殺生者と盗賊と詐欺者とを連れ出せといわれるところ、
これから「この方角は南である」と人はいう。
この方角を守護する、名誉ある大王は、
ヴィルーラという名前の、妖精たちの統治者である。

母神の子であり、大きな輪を有す太陽が沈むところ、
それが沈むとき、昼は消滅する。
太陽が沈んだとき、夜と称され、
そのところにある湖は深く、水の流れ込む海は深い。
このようにそこにおいて、「水の流れ込む海」と人々は知り、
これから「この方角が西である」と人はいう。
この方角を守護する、名誉ある大王は、
ヴィルーパッカという名前の、竜神たちの統治者である。

楽しいウッタラクル洲、そこに美しいシネール山がそびえ、
人々はわたしのものという執着をもたず、愛執をもたずに暮らす。
これより「この方角が北である」と人はいう。
この方角を守護する、名誉ある大王は、
クヴェーラという名前の、霊人たちの統治者である。

かれらもまた、太陽の種族であるブッダを見て、
偉大にして、恐怖を離れたブッダに帰命する。
人中の貴人よ、あなたに帰命する。
人中の最上の人よ、あなたに帰命する。
あなたは巧みに大衆を観察する。
人ならぬ者も、あなたに礼拝する。
わたしたちはつねに聞いている、「あなたたちは勝利者ゴータマに礼拝するか」と。
それゆえ、わたしたちはいおう、
「わたしたちは勝利者ゴータマに礼拝する。
明知と実践とをそなえた覚者ゴータマに礼拝する」、と。』

「比丘たちよ、このアーターナーターの護経を学びなさい。
比丘たちよ、アーターナーターの護経に習熟しなさい。
比丘たちよ、アーターナーターの護経を記憶しなさい。
アーターナーターの護経は、
比丘と比丘尼と男の在家信者と女の在家信者を保護し、
守護し、害をなくし、平穏に暮らすために役にたつでしょう。」

世尊はこのように説かれた。
それら比丘たちは歓喜して世尊の教説を信受した。

パーリ原始仏典長部第32経「アーターナーティヤ経」




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2008.12.25 愛は無限
愛には最も偉大な力があります。

愛は神とも並び称され、
あらゆる経典のなかでも、愛は最高の地位を与えられています。

真実の愛は、見返りを求めない愛であり、無償の愛です。

わたしたちは、他の役に立つことで、自らを救うのです。

与えれば与えるほど、多くの愛を得ることが出来るというのが、宇宙の法則です。

与えることは誰にでも出来ます。

愛は、与えても、減るということはないのです。

愛される秘訣は、与えることにあります。

そうして、愛は増え続けるのです。




十分な愛で克服できぬ困難はない。

十分な愛で癒やせぬ病はない。

十分な愛で開かぬ扉はない。

十分な愛で橋渡しできぬ隔たりはない。

十分な愛で倒せぬ壁はない。

十分な愛で償えぬ罪はない。

どんなに問題が根深かろうが、
どんなに展望が絶望的だろうが、
どんなに状況が複雑だろうが、
どんなに間違いが大きかろうが、大差はない。

十分な愛があればすべて解消する。

十分に愛することさえできれば、
あなたは世界一幸せで、力強い存在になれる。


エメット・フォックス「山上の垂訓」




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2008.12.24 未来は明るい
とにかくがんばろう!






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2008.12.24 暴論
近年、日本でも、クリスマスは一大イベントです。

しかしながら、
世界で頻発する宗教間紛争を目の当たりにして、
宗教批判、特に「一神教」批判を展開する知識人が、日本にはたくさんいます。

しかし、よく考えると、「一神教」の何が悪いのでしょうか?

帰納的に推論すれば、当然誰もが、
「究極の神」、「一なる神」、「絶対無限」、「宇宙を統べる存在」という概念に辿り着くはずです。

そして真実は、最終的には「神はいるか、いないか」のどちらかに集約されるのです。

実は、下等宗教とみなされてきたシャーマニズムや多神教においても、
「究極の神」という概念は存在します。

誰が「劣等なる神」を信じるでしょうか?

考えてみれば当然のことです。

人は最高のものを想定するのです。

このことからも、
「一神教」批判をする人は、結局のところ「無神論者」であることが分かります。

神を信じぬものは、「一つの神」も「多くの神」も「全てに宿る神」も認めることは出来ません。

安易な無神論者は、
神を信じ、愛を信じ、天国を信じ、
高邁なる理想を示したイエス様を凌駕するほどの人格者になってから、その論を吐くべきです。




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2008.12.24 ネラーの思い
総理を猛烈に支援するクリカが大量に(笑)。
嬉しさをこらえきれない様子がたまりません。







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