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2008.12.03
キリスト教と哲学
トマス・アクィナスは、天才的な体系家でありました。
彼は、中世にスコラ学を大成したカトリック教会の代表的神学者であり、大思想家です。
彼は、限りなく霊的であったキリスト教に、理性や知性の哲学を持ち込みました。
死後は、天上の如来界からも、
ドイツ観念論哲学者達や神秘家シュタイナーの指導にあたっていたようです。
トマス・アクィナスほどに、
ヨーロッパのキリスト教に永続的な影響を与えた者はほとんどいない。
彼はアウグスティヌスと、その頃手に入るようになったギリシア哲学とを総合しようと試みた。
12世紀には、ヨーロッパの学者たちは群れを成してスペインに向かった。
そこで彼らは、イスラムの学問に出会うことができたからである。
彼らはイスラムとユダヤの知識人たちの助けを借りて、
この知的な富を西洋にもたらすべく膨大な翻訳事業を始めた。
プラトン、アリストテレス、その他の古代世界の哲学者のアラビア語訳の書物が、
今やラテン語に翻訳され、初めて北ヨーロッパの人々の手に入るようになった。
翻訳家たちはまた、イブン・ルシュドの著作を含むもっと最近のイスラムの学問や、
アラビアの科学者や医師たちの諸発見にも範囲を広げていった。
ヨーロッパのキリスト教徒のある者たちが、
中東のイスラームの破壊に夢中になっていたのと同じときに、
スペインのイスラムは、西欧が自分たちの文明を築き上げるのを助けていたのだ。
トマス・アクィナスの「神学大全」は、
新しい哲学と西欧のキリスト教的伝統を統合しようという試みであった。
「かくて、つまるところ人間が神について知っているすべてのことは、
人間が神のことを知らないということを知ることである。
なぜなら人間は、神そのものが、
神についてわれわれが理解できることのすべてを凌駕していることを知っているからである」。
アクィナスが「神学大全」の最後の文章を書き取らせたとき、
両腕で悲しげに頭を抱え込んだという話がある。
書記が彼にどうしたのかと尋ねたとき、彼は、
自分が書いたもの一切は自分が見たものと比べるならば、藁にすぎない、と答えたそうである。
自分の宗教的経験を、新しい哲学の文脈のなかに位置づけようというアクィナスの試みは、
信仰を他のリアリティーと結びつけ、
信仰をそれ自体の孤立した領域に追いやることのないようにするためには必要なことであった。
過剰な知識主義は、信仰にとって危険であったが、
もし神がわれわれ自身の利己主義を怠惰にも承認することになってしまわないためには、
宗教的経験はその内容を正確に吟味することによって、生気を与えられなければならなかった。
アクィナスは、モーセに与えられた神自身による神の定義、
つまり「わたしは有るという者である」に戻ることによって、神を定義した。
アリストテレスは、神のことを「必然的存在」と呼んだ。
アクィナスはそれに呼応して、哲学者の神を聖書の神と結びつけ、
神を「有るところの者」と呼んだ。
しかしながら彼は、
神が単純にわれわれのような他のもう一つの存在ではないことを絶対的に明らかにした。
「存在そのもの」としての神という定義は適切なものであった。
「なぜならそれは、存在のいかなる形態を表わすものではなく、
存在それ自体を表わすものだからである」。
アクィナスを、
後に西欧で支配的になった神についての合理主義的見解のかどで非難するのは、正しくない。
もしわれわれが、―プラトンやアウグスティヌスが、
共に忠告したように―われわれ自身の内面に入って行ったならば、
神のイメージがわれわれ自身の内なる世界のなかに反映されているのを発見しうるであろう。
この内省は不可欠なものである。
教会の礼典に参加することはもちろん重要である。
だがキリスト教徒はまず、自分自身の深みへと下降することが大切なのである。
そこで彼は、知性を超えて恍惚のうちに移され、
われわれの限界ある人間的認識を超越する神のビジョンを見出すであろう。
カレン・アームストロング「神の歴史」
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彼は、中世にスコラ学を大成したカトリック教会の代表的神学者であり、大思想家です。
彼は、限りなく霊的であったキリスト教に、理性や知性の哲学を持ち込みました。
死後は、天上の如来界からも、
ドイツ観念論哲学者達や神秘家シュタイナーの指導にあたっていたようです。
トマス・アクィナスほどに、
ヨーロッパのキリスト教に永続的な影響を与えた者はほとんどいない。
彼はアウグスティヌスと、その頃手に入るようになったギリシア哲学とを総合しようと試みた。
12世紀には、ヨーロッパの学者たちは群れを成してスペインに向かった。
そこで彼らは、イスラムの学問に出会うことができたからである。
彼らはイスラムとユダヤの知識人たちの助けを借りて、
この知的な富を西洋にもたらすべく膨大な翻訳事業を始めた。
プラトン、アリストテレス、その他の古代世界の哲学者のアラビア語訳の書物が、
今やラテン語に翻訳され、初めて北ヨーロッパの人々の手に入るようになった。
翻訳家たちはまた、イブン・ルシュドの著作を含むもっと最近のイスラムの学問や、
アラビアの科学者や医師たちの諸発見にも範囲を広げていった。
ヨーロッパのキリスト教徒のある者たちが、
中東のイスラームの破壊に夢中になっていたのと同じときに、
スペインのイスラムは、西欧が自分たちの文明を築き上げるのを助けていたのだ。
トマス・アクィナスの「神学大全」は、
新しい哲学と西欧のキリスト教的伝統を統合しようという試みであった。
「かくて、つまるところ人間が神について知っているすべてのことは、
人間が神のことを知らないということを知ることである。
なぜなら人間は、神そのものが、
神についてわれわれが理解できることのすべてを凌駕していることを知っているからである」。
アクィナスが「神学大全」の最後の文章を書き取らせたとき、
両腕で悲しげに頭を抱え込んだという話がある。
書記が彼にどうしたのかと尋ねたとき、彼は、
自分が書いたもの一切は自分が見たものと比べるならば、藁にすぎない、と答えたそうである。
自分の宗教的経験を、新しい哲学の文脈のなかに位置づけようというアクィナスの試みは、
信仰を他のリアリティーと結びつけ、
信仰をそれ自体の孤立した領域に追いやることのないようにするためには必要なことであった。
過剰な知識主義は、信仰にとって危険であったが、
もし神がわれわれ自身の利己主義を怠惰にも承認することになってしまわないためには、
宗教的経験はその内容を正確に吟味することによって、生気を与えられなければならなかった。
アクィナスは、モーセに与えられた神自身による神の定義、
つまり「わたしは有るという者である」に戻ることによって、神を定義した。
アリストテレスは、神のことを「必然的存在」と呼んだ。
アクィナスはそれに呼応して、哲学者の神を聖書の神と結びつけ、
神を「有るところの者」と呼んだ。
しかしながら彼は、
神が単純にわれわれのような他のもう一つの存在ではないことを絶対的に明らかにした。
「存在そのもの」としての神という定義は適切なものであった。
「なぜならそれは、存在のいかなる形態を表わすものではなく、
存在それ自体を表わすものだからである」。
アクィナスを、
後に西欧で支配的になった神についての合理主義的見解のかどで非難するのは、正しくない。
もしわれわれが、―プラトンやアウグスティヌスが、
共に忠告したように―われわれ自身の内面に入って行ったならば、
神のイメージがわれわれ自身の内なる世界のなかに反映されているのを発見しうるであろう。
この内省は不可欠なものである。
教会の礼典に参加することはもちろん重要である。
だがキリスト教徒はまず、自分自身の深みへと下降することが大切なのである。
そこで彼は、知性を超えて恍惚のうちに移され、
われわれの限界ある人間的認識を超越する神のビジョンを見出すであろう。
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