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2008.12.05 古典四大学説
日本では恥ずべきことに、僧侶でさえ、
時代遅れの感すらある欧米の四大学説によって洗脳されています。

これらの学説は、神や宗教を侮辱するという点において共通しています。

生命を自然淘汰(偶然)の産物に帰し、
弱肉強食を正当化するダーウィンの進化論

人間の行動を生存の根源的欲求である本能、
「性衝動」に帰すフロイトの精神分析

格差をなくし、物質の公平な分配こそが幸福の実現だとして、
闘争や革命を助長するマルクスの唯物史観

人間の行動全てを環境の産物として、道徳の相対性を主張する、
ワトソン、スキナーなどの行動主義

これらは、識者によっては、人類を破滅に導く悪魔の思想だとされています。

人々の幸福の為に尽力すべき僧侶は、よくよく自らの思想を点検しなければなりません。




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2008.12.05 日本の未来
嫉妬やいじめを習性とする社会主義者達からの攻撃は止むことがありません。
しかし、困難な局面にあっても、
日本の底力を信頼し、未来への明るいビジョンを持つわが国のリーダーを支援します。







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フローレンス・ナイチンゲールは、
医学、衛生学や統計学などの分野だけではなく、
宗教哲学においても、当時、最先端の思想の持ち主でありました。

彼女は、プラトンの思想やヘルメス哲学に精通し、
古代エジプト宗教についても肯定的に言及するなどしており、
ウィリアム・ワーズワース、サミュエル・コールリッジ、ロバート・ブラウニング、
アルフレッド・テニソン、マシュー・アーノルド、マックス・ミュラーなどの、
西欧の同時代人と同じく、霊魂再生信仰と一致する思想を有していたのです。




もしファラオが普通の存在に過ぎないとしたら、
プラトンなら、彼らが再びこの世に来るまでに一万年を要すると考えると思います。
しかしファラオは、千年毎に、次にどのような生を得るかを選択できるのです。
彼らが何に生まれ変わるのか、その多くはこの選択に基づいています。
もし私が今、ファラオであったなら、アラブ人として生まれ変わることを選択するでしょう。
そしてこれらの貧しい人々を救うために、再び戻ってくるでしょう。

この世の生が終わった後、どのような存在が出現するのかと尋ねられたとしたら、
思考と感情を可能ならしめるあらゆる存在の様態―それがその答えです。
そのような存在の様態こそが、自らの進歩のために永遠を必要とするからです。
いかなる思考も感情も、限られた時間内に完全性を達成することは不可能なはずですし、
完全な活動を行ない、完全な生を生きることも不可能です。
考え、そして感じる個々の存在は、完全なる神の法則によって、直接的にせよ、間接的にせよ、
向上する働きをもち、やがてすべてを理解し、あらゆる真理を感じ、
意図することのできる完全な思考と感情にまで到達し、それを獲得するでしょう。
そして、すべてを包括する完全なる霊の法則に導かれて、
再び活動し、生き、出現し、存在の新たな様態を実現するのです。

すべての現在は、個性としての人格に影響を与えます。
私たちはそれぞれの人格が永遠に個別的である、
あるいはあり続けると信じてもよいのでしょうか。
それとも個性は、活用することで達成される進歩によって、
完全なる知が獲得されるまでは続くのでしょうか。
すなわち現在、過去、未来の知識の啓示である神の思考が獲得されるまで、
個性は存続すると考えるべきなのでしょうか。
そのとき神の存在は共有され、神の目的は分かち合われるのでしょうか。
つまり目的の新たな段階が、生活、実践、労働へと変化するのでしょうか。
しかしそのとき、個人の愛情は終焉を迎えるのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
なぜなら完全なる神は、その本質のうちにすべての個人の愛情を、かつて存在し、
生活と労働のうちに成熟した愛情を、一つに包含しているからです。
そしてこの一なるものは、再び正義と慈愛の法則に従って個別的となり、
再び個人として出会い、再び完全性へと合体しうる同一の個人を、本質的に内包しています。
思考と感情の完全性は、今も、そして永久に存在しており、
そのような思考と感情は、生の連続的な段階において、新たに働くのです。

今後さらに長い時間を経て、人間によって実際に悪が正されることにより、
すべての悪を正す人間の可能性についての確信が増せば増すほど、
また、実際に達成された進歩によって、
正義と知識を進歩させる人間の可能性についての確信が増せば増すほど、
さらに、存在する各々の個性が、他の誰もなしえない方法で、
家族である人類全体を救う経験を積めば積むほど、各個性が、
存在の現段階を終えた後も、むろん現在においても、
宇宙における神の家族を救うよう意図されているという確信は、さらに強固になるでしょう。
それゆえ、たとえ死後の存在の様態を想像する手段がことさら増えなくとも、
死後の存在に対する人間の確信も強化されるでしょう。
神以外のあらゆる存在において進行している絶え間のない変化は、
神の意志が命じているものなのですが、すべて進歩であり、目的の完全な充足です。
時間とは、ある意味で、永遠の唯一なる存在にとって取るに足らないものです。
私たちの精神が把握できる限界を超えた長い時間が必要ではありますが、
神は、やがて神の意思そのものである十全で完全な進歩を実現するでしょう。


「真理の探究」




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