| Home |
2008.12.12
かくしてマスコミ離れは進む
異常なほどの麻生バッシングが連日続いています。
人格まで貶めようとするその風潮は、まるで集団いじめです。
首相のリーダーシップが世界を救っているというのに…。
マスコミ界の神は、「言論の自由」。
戦後、GHQの占領政策として、
政府を批判、監視する出先機関として与えられた役割をいまだに果たしています。
彼らに、国民の思想、心情すらコントロールする自由などありません。
ネガティブな意見、悪いニュースばかり流す、マスコミはもはや害悪です。
自らは独占的に権益を享受しながら、報道不況を創出するなど言語道断です。
いずれ、本物の神の怒りに触れることになるでしょう。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
人格まで貶めようとするその風潮は、まるで集団いじめです。
首相のリーダーシップが世界を救っているというのに…。
マスコミ界の神は、「言論の自由」。
戦後、GHQの占領政策として、
政府を批判、監視する出先機関として与えられた役割をいまだに果たしています。
彼らに、国民の思想、心情すらコントロールする自由などありません。
ネガティブな意見、悪いニュースばかり流す、マスコミはもはや害悪です。
自らは独占的に権益を享受しながら、報道不況を創出するなど言語道断です。
いずれ、本物の神の怒りに触れることになるでしょう。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト
2008.12.12
根本問題
古来より、人間の「霊魂」に関する論議は、哲学の根本問題でありました。
それは、今においても、変わりありません。
その探求をタブーとするのは、死という厳粛な事実から逃げているだけです。
逆に、死に解答を与えない哲学などは、不完全なものだと言えるのです。
この問題について、明治期の仏教哲学者はこう論じています。
人もし、宗教とは有限と無限との交渉なり、
哲学とは科学以上の科学なり、なんどいう説明を聞くならば、
非常にいかめしく、難しきことの様に思うなるべし。
されど、西洋思想界の源泉たるギリシアの賢哲アリストテレスは、
「哲学の起りは驚きに在る」と言い、東洋思想界の根拠たる印度の論師、
世親は、その著『倶舎論』において、「恐怖、神を生ず」と称す。
げに人間の知識は、もとより限りあるものにて、今日二十世紀の世にても、
分らぬことは尚、依然として分からぬものにて、或る哲学者が言いし如くに、
未知の標木たるXは、追々に遠くまで払い除けらるべけれど、Xは依然としてXとして存在す。
まして原始の人類には、地震も不思議なり、雷の轟くも不思議なり、電光の閃くも不思議なり。
日輪の光り、星月の耀き、河の流れ、海の広き、草木の生長、猛獣のさまよい、
一として不思議の感を惹かざるはなし。
されど一たび外界に放てる眼を転じて、これを内面、自個六尺の身中に反映し自省し来るとき、
不思議以上の不思議として円転捕捉すべからざる心を認め来る。
古歌に「心より妙なるものは何かあると、心に問へば心なりけり」と詠じける如く、俄然として、
心の主人を認め、これの主人は、死に依りて如何になるべきかの恐怖の思いに襲わる。
ショウペンハウエルは言う、「霊魂の考究は哲学の基礎なり」と。
仏陀は言う、「愚痴の凡夫は、畏るべきこと無きの処に於いて、しかも恐怖を生ず」と。
哲学と言い、宗教と言う、全く霊魂問題の討究より起りて、
満足なる答弁を与えんと苦心するに過ぎずというべし。
妻木直良「霊魂論」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
それは、今においても、変わりありません。
その探求をタブーとするのは、死という厳粛な事実から逃げているだけです。
逆に、死に解答を与えない哲学などは、不完全なものだと言えるのです。
この問題について、明治期の仏教哲学者はこう論じています。
人もし、宗教とは有限と無限との交渉なり、
哲学とは科学以上の科学なり、なんどいう説明を聞くならば、
非常にいかめしく、難しきことの様に思うなるべし。
されど、西洋思想界の源泉たるギリシアの賢哲アリストテレスは、
「哲学の起りは驚きに在る」と言い、東洋思想界の根拠たる印度の論師、
世親は、その著『倶舎論』において、「恐怖、神を生ず」と称す。
げに人間の知識は、もとより限りあるものにて、今日二十世紀の世にても、
分らぬことは尚、依然として分からぬものにて、或る哲学者が言いし如くに、
未知の標木たるXは、追々に遠くまで払い除けらるべけれど、Xは依然としてXとして存在す。
まして原始の人類には、地震も不思議なり、雷の轟くも不思議なり、電光の閃くも不思議なり。
日輪の光り、星月の耀き、河の流れ、海の広き、草木の生長、猛獣のさまよい、
一として不思議の感を惹かざるはなし。
されど一たび外界に放てる眼を転じて、これを内面、自個六尺の身中に反映し自省し来るとき、
不思議以上の不思議として円転捕捉すべからざる心を認め来る。
古歌に「心より妙なるものは何かあると、心に問へば心なりけり」と詠じける如く、俄然として、
心の主人を認め、これの主人は、死に依りて如何になるべきかの恐怖の思いに襲わる。
ショウペンハウエルは言う、「霊魂の考究は哲学の基礎なり」と。
仏陀は言う、「愚痴の凡夫は、畏るべきこと無きの処に於いて、しかも恐怖を生ず」と。
哲学と言い、宗教と言う、全く霊魂問題の討究より起りて、
満足なる答弁を与えんと苦心するに過ぎずというべし。
妻木直良「霊魂論」



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
| Home |