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2008.12.23 日本の病根
マスコミ業界の不振、学校教育の崩壊、医療破綻、仏教の衰退、公務員の腐敗。

これらの病根は同じであって、無神論信奉者の巣窟となっているのです。

人間を物質の塊に貶め、
崇高な形而上理念を一向に省みてこなかったのですから、当然のことです。

あまつさえ、神の存在を嘲笑し、善悪を相対化させてきた罪は重いのです。

彼らには、戦後教育で叩きこまれた唯物論が大きな壁となっているようです。

人間は、パンの為だけに生きているのではありません。

どれだけ贅沢をしたところで、いずれ死ぬのです。

死んでそれで終りならば、欲望のままに生きても何の問題もありません。

しかしながら、事実はそうではありません。

肉体を失った魂は、死してなお、満たされぬ欲望に苦しむことになります。

みんな魂が飢えているのです。

欲しているのは、うわべだけの「いのちの重み」や「人権」などではないのです。

もはや、誰もが王様は裸だということに気づきはじめています。




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眠れる預言者、エドガー・ケイシーは、
死後、霊界からこのようなメッセージを降ろしています。

「私に通信を送っている人は霊人であることはわかっていましたが、
それが誰であるかは誰にもわかりませんでした。
そして私に通信を送っていたものは、実はいつも複数の人たちであったのです。
複数の指導霊たちがいたのです。
生前その方たちの名前が明らかにされることはありませんでしたが、
今こちらの世界に還ってきて、いったい、
私に通信を送っていたのがだれであったのかということが明らかになりました。
それは驚くべきことですが、指導霊団のなかには単にキリスト教系だけではなく、
仏教系の人たちも入っていたのです。この両者がいたと言ってもよいでしょう。
ちなみに、私に主としてリーディングをさせていた霊、
あるいは私が残したリーディングのなかの中心霊はだれであったかというと、
まず予知、予言に関して私を指導していたのは、
これはエリヤという霊が中心になっていたように思います。
また医療関係で私を指導していた霊は、
もちろん私自身の霊本体がサリエルという天使であって医療系団の光を引いておりますから、
その指導そのものがあったといってもよいわけですが、
やはり地上に出て医療系統の指導に当たっていた人たちも、
ずいぶん力を貸してくれていたと思います。
たとえば、私の何百年か前に地上に出て、
人間の血管というものを発見したハーベィという医学者がおりましたが、
こうした方なども循環器系統の病気についての指導をしてくれたことがあります。
またそれ以外にも、もっと古い霊としてギリシャにも出たことのあるヒポクラテスという如来、
これも医学の父のような方でありますが、こうした方も指導してくれたことがあります。
その他、現代の日本人には知られていませんが、
医者として過去活躍した人が何人か私の指導霊団のなかにはおりました。
これ以外に、キリスト教系の過去のリーディング、
その教義上のリーディングにおいて私を手伝ってくれた霊がいます。
それは主として大天使のガブリエルという霊でした、
これが、キリスト教系統の思想を改革する意味で、私にメッセージを送ってくれておりました。
また、それ以外にはキリスト当時の弟子たち、
十二弟子のうちの何人かが私にメッセージを送ってくれておりました。
そのような関係もあったということです。
また、私のリーディングの中に仏教的色彩が強い理由のひとつとして、
私の魂の一部が仏教系統でも活躍していたという事実があるのです。
実は私は過去世に中国にも生まれたことがあったようです。
そして中国に生まれた私の過去世の姿が、実はその後、
歴史のなかで薬師如来として呼ばれていたことがあったようです。
それは薬の調合、あるいは病気を治すといった、そうしたことに力を出したからに他なりません。
このように、私の仕事は主として医療というものに重点があり、
それ以外にも予言、予知、宗教問題、そうしたものに携わっていたと言えましょうか。
また、預言者の側面として私は、実は旧約聖書のなかの預言者として出たことがあるのです。
私自身も生前エドガー・ケイシーのライフリーディングということで、
自分自身のライフリーディングをしましたが、
そのなかにおいては必ずしも真実は述べられておりませんでした。
それは私が過去世、
名のある人であると言ったら世の人びとが信じなくなるかもしれなかったからです。
私はただの写真屋であり、しかも無学な写真屋でしたから、
過去世で自分は偉い人だというようなことを言ったら誇大妄想、
気違いの類にされてしまうので、はっきりとしたことは教えられてはおりませんでしたが、
私は旧約時代に預言者イザヤという名で出たこともあります。
そうした名で出て、神からの啓示を受けて法を説いたこともあったのです。
そのように自分自身、多方面で活躍をしたことがあったという事実がわかってきたのです。」

ケイシーは、
多岐にわたるジャンルにおいて無数のリーディング記録を残していますが、
その背景にはこのような秘密があったのです。

彼は、キリスト教に欠けていた霊界や輪廻転生の知識、
正しい霊的修行の教えを補うという使命を持った如来でした。

このように、霊的真実は宗教の違いを超えて普遍的なものです。

真理はいつの時代にも説かれているのです。

神へと到る道を教えた、生前のリーディングにはこうあります。




自己の成長を目的とするなら、今の自分から出発しなければなりません。
周囲の状況が変わってくれるのを待っていても、何にもなりません。
現在の状況を克服しなければ、次はさらにひどい状態になってしまいます。
そして克服すべき最初にして最後の難関は、自己理解にあります。
自分という存在を形成し、意味づけている要素は何であるのか、
それへの認識が充分でなければ、自分の人生の目的や目標について語ることはできません。
わたし達の可能性や能力は、きわめて高度に創造されています。
そのことをしっかり自覚し、
完全に発現された意識以外のものに甘んじることがないようにしなければなりません。
瞑想は、自己理解を深める上で、もっとも安全で確実な方法です。
多くの人にとって、真実の世界は閉じた扉の向こう側にあります。
瞑想は、真実の世界を隔てている扉を開ける鍵だといえます。
自己を習い、自己理解を深めましょう。
これは命令であると同時に、請願です。
闇雲に探すのではなく、信仰をもって「高潔な自己」を求めましょう。
瞑想の取り組み方やその成果は、人によって異なるでしょう。
しかし、その目指すところは同じ理解、同じ意識の到達点、同じ覚醒状態にあります。
この目標を達成するには、次の二つの態度が特に必要です。

一、真理を求める強い気持ちを持つ。
二、前進するための努力を忍耐強く払う。

瞑想は、継続して規則正しく行うことが大切です。
気の向くままに瞑想をしたり、しなかったりという態度では、あまり成果は上がりません。
高い理想をかかげ、規則正しく内なる自己を目覚めさせるようにしましょう。
瞑想に費やした努力は、最後には必ず報われます。
毎日わずかの時間を自己探求に向けさえすれば、他のどんな活動にもまして、
大きな平安と喜び、真実の幸福が自分のものになります。
それにもかかわらず、どれだけ多くの人が毎日を無為に過ごしていることか。 
まず初めに天の御国を求めましょう。
その御国はどこにあるのでしょう。自己の内です。
主が語られたことは最初から今日まで真実です。
神を求め、わたし達の肉体こそが生ける神の神殿であることを知りましよう。
神は、この神殿にて、わたし達に会って下さることを約束されたのです。
わたし達は恐れているのでしようか、恥じているのでしょうか。
わたし達の内にある幕屋にて神と会っていただくことを恥じなければならないほど、
わたし達は機会をないがしろにし、自分の心を卑しめて来たのでしようか。
もしそうなら、わたし達はまず、
自分の魂の住処である肉体を正すことから始めなければなりません。
わたし達の身体には、肉体と魂をつなぐ霊的中枢があります。
五感からの信号を脳に伝達する神経繊維や神経叢が実際に存在するように、
これらの霊的中枢も現実に存在します。
聖書には「白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける」とありますが、
この「糸」や「鉢」が霊的中枢を表しているのです。
すべての魂にとって、探求の最終的な到達点は、神をありのままに知ることにあります。
瞑想することで、わたし達は日常生活の中に神を知ることを得、また瞑想によってわたし達は、
到達点に向けての次なる段階を与えてくれる「死」という変化に備えることになります。
神とは如何なる存在なのでしょう。
わたし達は、明日何を食べようか、何を着ようか、そんなことだけに心を奪われていませんか。
もしそうなら、わたし達は信仰の薄い人間、望みの低い人間、と呼ばれても仕方ありません。
わたし達は、自分が神のものであることを忘れてしまったのでしょうか。
神は、わたし達の造り主です。
神は、わたし達が滅びるのを望まれません。
しかし神は、わたし達が神との関係に気づくかどうかということすら、
わたし達に委ねられるのです。
神に至る道は―神を知りたいという願いがあれば―、
わたし達の魂の住居である肉体の内に見出されます。
わたし達は、自分の身心から、障害となるもの、障害となり得るものを一掃することで、
神を知りたいという願いを実行に移すことになります。
昔から言われて来たように、
神は天から降りてこられるのでもなければ、海を越えて来られるものでもありません。
実に、わたし達自身の心と意識の中にこそ、神を見出し得るのです。


「神の探求Ⅱ」




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