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2009.01.14
幸福への一歩
ふと渚にて、
砕けた貝がらに、青春を想う。
青春時代には、
何をやっても、うまくいかないように思えた。
勉強には苦しんだ。
趣味など、もてなかった。
人間関係は、言葉でつまずき、
好きな女性には、声もかけられなかった。
いつも自信はなく、
未来の希望は、
夕方の三日月のように、
うすぼんやりとしていた。
しかし、私は、
自分に同情することをやめた。
みじめな自己像を、
心に描くことをやめた。
奪うことを捨て、与えることを学んだ。
いつしか、
私は、夜明け前の、
バラの園にいた。
かぐわしい香りを味わった後、
朝日に照らし出されて、
色とりどりの花が姿をあらわした。
バラのトゲのひっかき傷など、
もう、悔やんではいられなかった。
私は、幸福の中心にいたのだから。
(心の指針「青春断想」より)
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
砕けた貝がらに、青春を想う。
青春時代には、
何をやっても、うまくいかないように思えた。
勉強には苦しんだ。
趣味など、もてなかった。
人間関係は、言葉でつまずき、
好きな女性には、声もかけられなかった。
いつも自信はなく、
未来の希望は、
夕方の三日月のように、
うすぼんやりとしていた。
しかし、私は、
自分に同情することをやめた。
みじめな自己像を、
心に描くことをやめた。
奪うことを捨て、与えることを学んだ。
いつしか、
私は、夜明け前の、
バラの園にいた。
かぐわしい香りを味わった後、
朝日に照らし出されて、
色とりどりの花が姿をあらわした。
バラのトゲのひっかき傷など、
もう、悔やんではいられなかった。
私は、幸福の中心にいたのだから。
(心の指針「青春断想」より)



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2009.01.14
戦後レジームからの脱却
日本においては、敗戦の影響は凄まじいものがあります。
戦後価値観は、政教分離、絶対平和、科学的社会主義へとシフトしました。
そして、宗教蔑視、唯物主義、自虐史観、価値相対主義、悪平等が蔓延することとなります。
仏教界もこの路線に乗っかり、現在も方向を見失ったままです。
しかし近年、わが国は、長きにわたる洗脳状態からようやく解かれつつあるようです。
戦後日本で行なわれた平和主義、民主主義教育は、
ある観点から見れば、アメリカの陰謀だったといえなくはない。
アメリカでもヨーロッパ諸国でも、どの国であっても、
相手を徹底的に屈服させるためには、相手に思想攻撃をする。
相手の思想を徹底的に壊そうとする。
その一つが平和攻勢で、
「わが国は侵略などはしないから、あなたは安心して、昼寝しなさい」となる。
そうやって、「あなたの国のような戦争好きな国はなくなり、戦争はもうなくなりました」、
と安心させて、自分だけはシコシコと刃を研ぐ。
戦後の日本はそうしたことをやられた。
日本人がそんな平和攻勢をまともに受けとったのは、
それまで日本は平安時代から江戸時代末まで、
ほとんど一千年近くの平和な時代を過ごしてきたからである。
つまり、もともと日本は軍国主義の国ではなかった。
日本が中国大陸に侵攻していったことについて、
一方的に侵略戦争であったといわれているが、
マッカーサーが朝鮮戦争がはじまったとき、上院の質問に答えたことのなかで、
「あれは日本の自衛の戦争だった」といっている。
しかし、マッカーサーは日本に対して公職追放をした。
役人だけでなく普通の会社の人間もマッカーサーに睨まれると、
公職追放にされて収入の道を奪われた。
卑劣な手段であり、それを六年間も続けた。
そのとき上が抜けたので出世した人は、
棚ぼたの出世をくつがえされないように、子分づくりをした。
その結果、学界、報道界、教育界では同じ傾向の人の人脈ができて続いた。
約六年で占領が終わったものの、日本は元には戻らなかった。
そのため、戦後教育という名のもとでの洗脳が何十年も続くことになった。
しかし、北朝鮮との問題や中国との外交など、
現実が理想を裏切り続けるので、平和教育の理想に疑問を抱く人たちが多くなってきた。
日下公人「2009年の日本はこうなる」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
戦後価値観は、政教分離、絶対平和、科学的社会主義へとシフトしました。
そして、宗教蔑視、唯物主義、自虐史観、価値相対主義、悪平等が蔓延することとなります。
仏教界もこの路線に乗っかり、現在も方向を見失ったままです。
しかし近年、わが国は、長きにわたる洗脳状態からようやく解かれつつあるようです。
戦後日本で行なわれた平和主義、民主主義教育は、
ある観点から見れば、アメリカの陰謀だったといえなくはない。
アメリカでもヨーロッパ諸国でも、どの国であっても、
相手を徹底的に屈服させるためには、相手に思想攻撃をする。
相手の思想を徹底的に壊そうとする。
その一つが平和攻勢で、
「わが国は侵略などはしないから、あなたは安心して、昼寝しなさい」となる。
そうやって、「あなたの国のような戦争好きな国はなくなり、戦争はもうなくなりました」、
と安心させて、自分だけはシコシコと刃を研ぐ。
戦後の日本はそうしたことをやられた。
日本人がそんな平和攻勢をまともに受けとったのは、
それまで日本は平安時代から江戸時代末まで、
ほとんど一千年近くの平和な時代を過ごしてきたからである。
つまり、もともと日本は軍国主義の国ではなかった。
日本が中国大陸に侵攻していったことについて、
一方的に侵略戦争であったといわれているが、
マッカーサーが朝鮮戦争がはじまったとき、上院の質問に答えたことのなかで、
「あれは日本の自衛の戦争だった」といっている。
しかし、マッカーサーは日本に対して公職追放をした。
役人だけでなく普通の会社の人間もマッカーサーに睨まれると、
公職追放にされて収入の道を奪われた。
卑劣な手段であり、それを六年間も続けた。
そのとき上が抜けたので出世した人は、
棚ぼたの出世をくつがえされないように、子分づくりをした。
その結果、学界、報道界、教育界では同じ傾向の人の人脈ができて続いた。
約六年で占領が終わったものの、日本は元には戻らなかった。
そのため、戦後教育という名のもとでの洗脳が何十年も続くことになった。
しかし、北朝鮮との問題や中国との外交など、
現実が理想を裏切り続けるので、平和教育の理想に疑問を抱く人たちが多くなってきた。
日下公人「2009年の日本はこうなる」



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2009.01.14
久遠実成の仏陀
仏陀は、われわれの永遠の師です。
それゆえ、仏陀は地上に何度も現われては法を説くのです。
仏教徒は、まずこの事実を信じなければなりません。
そのとき、世尊は次の詩頌を説かれた。
「思議を超えた、幾千・コーティ劫もの前のことであるが、
私は最高の悟りを得、その時からこのかた常に教えを説いている。
多くの菩薩たちを励まして、仏陀の知へと確立させ、また、コーティ劫の間、
幾コーティ・ナユタもの多数の衆生たちを、最高の悟りに向けて成熟させてきた。
私は自分に加える神秘の力によってここにいるが、
また、すべての衆生にも同じく神秘の力を加えるので、
倒錯せる理解力をもつ愚昧な人々は、
私がここにいるにもかかわらず、私を見ることができない。
私の身体が完全に死滅したのを見て、彼らは遺骨に種々の供養を行なうが、
私を見ることができないので渇望を生じ、そのために彼らの心は正常になる。
それらの衆生が正常で、やさしく、おだやかになり、愛欲を離れたとき、
私は声聞の僧団をともなって、みずからをここなる場所に姿をあらわす。
そのあとで、私は彼らに次のように語る。
『あのときも、この同じ場所にいて、私は涅槃にはいったのではない。
比丘たちよ、涅槃にはいって消滅したと見えるのは、私の巧みな方便であって、
私はこの人の世にくりかえし幾度もあらわれる。』
私は衆生たちが苦悩しているのを見るが、
そのときすぐには、私は身体をあらわすことはしない。
まず彼らに私を見ることを強く望ませ、
そして渇望しているものには正しい教えを説き明かすであろう。
私の神秘の力は常にこのようなものであって、
幾千・コーティもの思議を超えた劫のあいだ、
私はこの場所から動くことはない。
また、衆生たちが、この世界は劫火によって焼かれていると見たり、
妄想したりしているときでも、私のこの仏陀の国土は神々や人間で満たされている。
彼ら、神々や人間たちには種々の楽しみがあり、私の国土には、
幾コーティもの遊園、楼閣、宮殿があって、
それは宝玉でできた山々や、花や果実をつけた樹木で美しく飾られている。
上空では神々が楽器を打ち鳴らし、マンダーラの花の雨を降らせて、
私や声聞たちやこの菩提に向けて出で立った他の賢者たちにまきかけている。
私のこの国土は常にこのような状態にあるのに、
他の衆生たちは、この国土は劫火によって焼かれていると妄想し、
この世界がきわめて恐ろしく、
苦難に襲われ、幾百もの愁苦に満たされているところと見るし、
彼らは多くのコーティ劫のあいだ、
如来たちということば、教えということば、
さらに私の僧団ということばさえもけっして聞くことがない。
悪い行ないの結果は、しかるにこのようなものである。
やさしくおだやかな衆生たちが、この人の世に生まれたとき、
彼らは善い行ないの結果として、生をうけるやいなや、私が教えを説いているのを見る。
しかし、私は、いまだかつて彼らに、
『このように、仏陀の寿命は無限である。』との事実を話したことはない。
やっと久しぶりに私にまみえるものに対しては、
それゆえ私は、『勝利者はきわめて会いがたい。』と説く。
私の知力はこのようなものであって、明るく輝き、それには限界がまったく存在しない。
また、私の寿命は長く、無限の劫の長さがあるが、私はそれを昔、修行を行なって獲得した。
賢者たちよ、お前たちは、このことについて疑いをいだいてはならない。
疑惑をあますところなく断ちなさい。
私はこの真実のことばを述べる。
私のことばは、いつ、いかなるときもけっして虚偽ではない。
私は世間の父であり、自己存在者であり、医師であり、
あらゆる生命あるものの保護者であって、
凡夫たちが倒錯した観念をいだき、愚味であるのを知って、
涅槃にはいることがないのに、涅槃にはいってみせるのである。
それはなぜか。
私に常に会うので、愚かで無知なものたちは浄信を欠き、
私のいることをあてにして愛欲に酔いしれ、思慮を失ったために、
悪しき境涯(地獄)に落ちるからである。
私は常に、衆生たちのそれぞれの修行を知って、
『どうすれば、衆生たちを悟りにつれていくことができるか。
どうすれば、彼らが仏陀の徳性を獲得するものとなろうか。』と考えて、
衆生たちに、それぞれふさわしい仕方で教えを説く。」
大乗仏典「法華経」
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それゆえ、仏陀は地上に何度も現われては法を説くのです。
仏教徒は、まずこの事実を信じなければなりません。
そのとき、世尊は次の詩頌を説かれた。
「思議を超えた、幾千・コーティ劫もの前のことであるが、
私は最高の悟りを得、その時からこのかた常に教えを説いている。
多くの菩薩たちを励まして、仏陀の知へと確立させ、また、コーティ劫の間、
幾コーティ・ナユタもの多数の衆生たちを、最高の悟りに向けて成熟させてきた。
私は自分に加える神秘の力によってここにいるが、
また、すべての衆生にも同じく神秘の力を加えるので、
倒錯せる理解力をもつ愚昧な人々は、
私がここにいるにもかかわらず、私を見ることができない。
私の身体が完全に死滅したのを見て、彼らは遺骨に種々の供養を行なうが、
私を見ることができないので渇望を生じ、そのために彼らの心は正常になる。
それらの衆生が正常で、やさしく、おだやかになり、愛欲を離れたとき、
私は声聞の僧団をともなって、みずからをここなる場所に姿をあらわす。
そのあとで、私は彼らに次のように語る。
『あのときも、この同じ場所にいて、私は涅槃にはいったのではない。
比丘たちよ、涅槃にはいって消滅したと見えるのは、私の巧みな方便であって、
私はこの人の世にくりかえし幾度もあらわれる。』
私は衆生たちが苦悩しているのを見るが、
そのときすぐには、私は身体をあらわすことはしない。
まず彼らに私を見ることを強く望ませ、
そして渇望しているものには正しい教えを説き明かすであろう。
私の神秘の力は常にこのようなものであって、
幾千・コーティもの思議を超えた劫のあいだ、
私はこの場所から動くことはない。
また、衆生たちが、この世界は劫火によって焼かれていると見たり、
妄想したりしているときでも、私のこの仏陀の国土は神々や人間で満たされている。
彼ら、神々や人間たちには種々の楽しみがあり、私の国土には、
幾コーティもの遊園、楼閣、宮殿があって、
それは宝玉でできた山々や、花や果実をつけた樹木で美しく飾られている。
上空では神々が楽器を打ち鳴らし、マンダーラの花の雨を降らせて、
私や声聞たちやこの菩提に向けて出で立った他の賢者たちにまきかけている。
私のこの国土は常にこのような状態にあるのに、
他の衆生たちは、この国土は劫火によって焼かれていると妄想し、
この世界がきわめて恐ろしく、
苦難に襲われ、幾百もの愁苦に満たされているところと見るし、
彼らは多くのコーティ劫のあいだ、
如来たちということば、教えということば、
さらに私の僧団ということばさえもけっして聞くことがない。
悪い行ないの結果は、しかるにこのようなものである。
やさしくおだやかな衆生たちが、この人の世に生まれたとき、
彼らは善い行ないの結果として、生をうけるやいなや、私が教えを説いているのを見る。
しかし、私は、いまだかつて彼らに、
『このように、仏陀の寿命は無限である。』との事実を話したことはない。
やっと久しぶりに私にまみえるものに対しては、
それゆえ私は、『勝利者はきわめて会いがたい。』と説く。
私の知力はこのようなものであって、明るく輝き、それには限界がまったく存在しない。
また、私の寿命は長く、無限の劫の長さがあるが、私はそれを昔、修行を行なって獲得した。
賢者たちよ、お前たちは、このことについて疑いをいだいてはならない。
疑惑をあますところなく断ちなさい。
私はこの真実のことばを述べる。
私のことばは、いつ、いかなるときもけっして虚偽ではない。
私は世間の父であり、自己存在者であり、医師であり、
あらゆる生命あるものの保護者であって、
凡夫たちが倒錯した観念をいだき、愚味であるのを知って、
涅槃にはいることがないのに、涅槃にはいってみせるのである。
それはなぜか。
私に常に会うので、愚かで無知なものたちは浄信を欠き、
私のいることをあてにして愛欲に酔いしれ、思慮を失ったために、
悪しき境涯(地獄)に落ちるからである。
私は常に、衆生たちのそれぞれの修行を知って、
『どうすれば、衆生たちを悟りにつれていくことができるか。
どうすれば、彼らが仏陀の徳性を獲得するものとなろうか。』と考えて、
衆生たちに、それぞれふさわしい仕方で教えを説く。」
大乗仏典「法華経」



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