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2009.01.27
断見外道
仏教で厳しく戒められる「断見」とは、
その字のごとく、肉体の死を境にしていのちは断絶する、
すなわち、死ねば終りという見解です。
同じく否定されるべき「常見」とは、
肉体の死を境にしても、生前時と変わりなくいのちは恒常的に存続する、
すなわち、不死という見解です。
断見はもちろんのこと、
死を境に、肉体とエーテル体を脱ぎ捨てていくのですから、常見も正しくありません。
現代の僧侶の多くは、
「断見」については、なぜか不問に付し、
「常見」については曲解して、霊魂否定に結びつけたがるようです。
日本では、断見仏教者が大きな顔をして、無霊魂説を流布しているのです。
不出生の禅僧、白隠禅師の厳しいお言葉です。
人は二気(陰陽)の良能にして、
死すれば灯などの消えうせるが如くなるものを、
何の天堂(天界)かあり、何の地獄かあらむと。
これは断見外道の所見にして、恐るべきの悪見なり。
昏愚、これより甚しきはなし。
仏教中には因果を信じ、来世あることを知り、
苦報を恐るるを以って、大智慧とす。
「邊鄙以知吾」
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その字のごとく、肉体の死を境にしていのちは断絶する、
すなわち、死ねば終りという見解です。
同じく否定されるべき「常見」とは、
肉体の死を境にしても、生前時と変わりなくいのちは恒常的に存続する、
すなわち、不死という見解です。
断見はもちろんのこと、
死を境に、肉体とエーテル体を脱ぎ捨てていくのですから、常見も正しくありません。
現代の僧侶の多くは、
「断見」については、なぜか不問に付し、
「常見」については曲解して、霊魂否定に結びつけたがるようです。
日本では、断見仏教者が大きな顔をして、無霊魂説を流布しているのです。
不出生の禅僧、白隠禅師の厳しいお言葉です。
人は二気(陰陽)の良能にして、
死すれば灯などの消えうせるが如くなるものを、
何の天堂(天界)かあり、何の地獄かあらむと。
これは断見外道の所見にして、恐るべきの悪見なり。
昏愚、これより甚しきはなし。
仏教中には因果を信じ、来世あることを知り、
苦報を恐るるを以って、大智慧とす。
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2009.01.27
宗教の役割
宗教の説くところは、この世の常識と大きくかけはなれています。
この世が全てだと思っている人にとっては、戯言にしか聞こえません。
しかし真実は、
霊的世界こそが私達の本来の住処であって、この世は仮の宿にすぎないのです。
霊的真理を知るには、正しい宗教を学ぶしかありません。
いつの時代にも、正しい宗教は、途絶えることなく説かれています。
どのような地域にも、神の一条の光は届けられています。
この世に生きている間に、
真理を掴むことができた人が、永遠のいのちを得ることになるのです。
宗教の役割は、霊的真理を知らしめ、永遠のいのちを与えるところにあります。
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この世が全てだと思っている人にとっては、戯言にしか聞こえません。
しかし真実は、
霊的世界こそが私達の本来の住処であって、この世は仮の宿にすぎないのです。
霊的真理を知るには、正しい宗教を学ぶしかありません。
いつの時代にも、正しい宗教は、途絶えることなく説かれています。
どのような地域にも、神の一条の光は届けられています。
この世に生きている間に、
真理を掴むことができた人が、永遠のいのちを得ることになるのです。
宗教の役割は、霊的真理を知らしめ、永遠のいのちを与えるところにあります。



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