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UFOの飛来は頻繁に目撃されています。

もはや、公然の秘密となっており、この存在を疑う人は少数です。

何故、公式発表がなされないのでしょうか?

UFO情報の開示を求める「ディスクロージャー・プロジェクト」の主催者、
S・グリア博士による解説です。




過去二、三年間私はUFO/ET問題について、米国や海外の政府高官をはじめ、
科学分野の指導者たちに状況説明する責任を負わされてきた。
この問題に関する証拠としては、明白かつ多数にのぼる例証のあることを指摘したい。
UFO自体が現実に存在することについては、反論の余地はない。
例証を挙げることは難しくなかった。
もっと挑戦的な意欲をそそられる問題は、
UFOにつながる秘密性の構造を解明することだった。
だが、最大の難題はその理由『なぜか』についての解読である。
なぜすべてが秘密に包まれているのだろう?
なぜ政府の中に承認されていない影の政府があるのか? 
UFO/ET問題を公共の目から隠しているのはなぜか?
これらの問題に関する証拠は複雑だが、その解読は不可能ではない。
しかし、これら隠密計画の本質そのものは難解なうえ、複雑を極め、ビザンチン式である。
そしてこの秘密性の背後にある理由が難題中の難題である。
かくも異常な秘密性の背後に見られる理由はひとつではなく、
相互に絡まる夥しい数の理由がある。
それらはかなり明白で単純なものから、実に怪奇なものまである。
ここで私はこの秘密性の主要ポイントをいくつか挙げて、
なぜ、まんまと秘密方策がとられたか、さらに、
この隠密計画を管理する部内利害関係者にとって、
秘密方策を逆転させて秘密公開へ踏み切ることがいかに難しいかを説明してみたい。

「一九三〇年代、四〇年代におけるUFO問題は、
これらの物体が地球に起源するものかどうかであった。
仮に地球起源であったなら、
敵性国家が米国より進んだ航空機を所有していることになり、多大な脅威となり得る。
逆に、地球外のものと断定されたなら、多くの疑問が生ずる。
すなわち、ETがここにいるのはなぜか? 
彼らは何を意図しているのか? 
広大な宇宙空間を信じられない速度で移動する技術はどういう技術か? 
これらの科学技術を戦時と平時の人間の状況に適用できるだろうか? 
こうした情報に対して一般社会はどう反応するだろうか? 
これらの内容を公開した場合、
人間の信条体系、政治組織、社会組織にどういう影響を与えるだろうか?
一九四〇年代後期から五〇年代初期にかけては、
ニュー・メキシコやその他の地域から回収されたET船の物体を精査し、
逆転工学により宇宙船の基礎的な科学技術の解明に努力が集中された。
その結果、これらの物体が、
真空管や内燃機関に格段の差をつける物理法則と応用技術を使っている事実が認められた。
米ソ対立の冷戦時代にはテクノロジーの僅差により勢力均衡が傾く。
アイゼンハウアー政権下においてUFO/ETプロジェクトはさらにコンパートメント化され、
合法にして合憲の命令系統による監視と管理の手からハイジャックされてしまった。
米大統領も英国やその他の国の指導者層も、
UFO/ET情報については天丼桟敷に疎外された。
彼らはアイゼンハウアーの警告した軍産複合体制という巨大にして複雑な構造が、
現実となったことをいやというほど知らされたのである。
迷路のように区分化された隠密計画を扱っているのは軍産複合体制だ。」

「宇宙船を推進させる動力発生方法と推進方式を支えている基礎物理学は、
地球上で現在使われている発電方法と推進方式のすべてを、
簡単に代替できる物理法則に基づいている。
そうなると従来の地政学的体制と経済体制は崩壊する。」

「ETの存在を明かすなら、必然的にこれら新式科学技術の公開も不可避であり、
その結果として世界は一変する。
あらゆる犠牲を払っても避けるべき事態として、
彼ら管理者はそうした事態の発生を忌み嫌い、秘密の防衛対策を講じたのである。
現代社会の基本設備一切を転覆させてしまうであろう大規模の変化は、
彼ら少教エリートとして、どんな手段によってでも避ける必要があった。」

「一九五〇年以来、半世紀以上も問題を回避してきた現在、
秘密公開への進路はこれまでにも増して大きな障碍に阻まれている。
たとえば、石油と内燃技術への世界の依存度は五〇年代よりかなり高い。
世界経済の規模もかなり拡大した。
したがって、どのような変化であろうとその影響もネズミ算的に膨張しており、
場合によっては大混乱を引き起こすことにもなりかねない。
どの世代も年代も問題を次世代へたらい回しにしてきた。
その間に世界はいっそう複雑化したにもかかわらず、
時代遅れの動カシステムに依存したまま、世界はエネルギー問題に締め付けられている。
秘密公開は五〇年代でも難しかっただろうが、現在ではもっと難しい。」

「一九五〇年代に逆転工学によってET船から得られた科学技術上の諸発見は、
世界の経済、社会、科学技術、環境問題を完全に変容させ得たであろう。
そうした飛躍が公共に与えられなかったのは、変化嫌いの官僚主義による。
これは現在も当時と変わりない。
逆転工学によって得られたテクノロジーは人類に次のものを与えていたであろう。
いわゆるゼロ・ポイントと呼ばれる場(物理学でいう場)から、
動力を発生させる新式科学技術があり、
あらゆる家庭、事務所、工場、車などが独自の動力源をそれ自体の中に設置でき、
外部の燃料タンクなどに依存する必要のないテクノロジーである。
石油、ガス、石炭、原子力発電、内燃機関の必要がなくなる。
環境汚染問題が解消する。
反重力装置を使ったテクノロジーであるため、浮遊交通機関が実現する。
したがって、農地を交通路に変える必要がなくなる。
なんと素晴らしいことか。
しかし五〇年代には石油はまだたくさんあり、環境問題は大して話題にされなかった。
地球温暖化は聞かれなかった時代である。
権力者階級は安定を好み、現状維持に満足していた。
秘密公開は将来の世代に任せればいい。」

「ゼロ・ポイントから動力を発生させるフリー・エネルギー・システムが導入されれば、
現在の中央集権政体は崩壊し、権力の分散化が可能になる。
世界の力関係が均等化する。
いわゆる第三世界が急速にヨーロッパ、米国、日本と同格になり、
地政学的な権力構造に大きな推移が生じることになろう。
グローバル・エリートはそうした変化を嫌う。」

「米国とヨーロッパの人口はおよそ六億、世界人口の十パーセントにすぎない。
他の九十パーセントの科学技術と経済水準が欧米の水準に達したなら、
地政学的パワーは推移する。
科学技術のインパクトに経済的なインパクトが加算され、
さらに地政学的インパクトを組み合わせるなら、
秘密政策に結末をつけることがいかに巨大な構造的変化、
グローバル規模の変容をもたらすか、誰の目にも明白である。」

「革新的テクノロジーが日の目を見ないまま六十年の年月が流れてしまった今日、
生態学上の退化と社会的、経済的不均衡の環境のもとで、
UFOにつながる秘密性問題―熱い宇宙ポテト(キッシンジャー言)―、
を受け止める最後の世代が私たちである事実を認めざるを得ない。
秘密公開へ踏み切ることが軽率には扱えない問題である一方、
秘密を保持し、革新的な発電と推進システムを隠しつづけることは、
もっと重大な問題―不安定な世界―を導くことになろう。
地球の生態系の崩壊、化石燃料の枯渇、
人間らしい生活を奪われた持たざる人々の怒り、その他もろもろ、
私たちはこういった問題に対処する責任がある。」

「何兆ドルという金額が議会の承認手順を経ずに、
憲法違反のプロジェクトに充当されてきた事実に対して、社会はどう反応するだろう? 
秘密プロジェクトのもとにリバース・エンジニアリングによって、
ETの科学技術から新製品を開発し、特許を取り、大きな利益を上げているとは。
納税者は搾取されたうえ、製品開発のプレミアムまで払わされている。
それだけではない。
この知的財産はETから盗み取ったものである。
こうした問題の内密管理が、超極秘の国際政府計画の一端として操作されていると同時に、
部分的には民営化された組織犯罪活動に形態変化してしまった。
普通に考えられている政府というより、隠れマフィアと呼んだほうが妥当であろう。
上述した諸問題よりさらに重要な問題を指摘したい。
こうしたUFO関連の秘密プロジェクトが、
発芽して間もない発達初期段階にあるETと人類の関係を独占的に支配してきた。
目も当てられないほど惨憺たる管理の不手際ときたら、
まぎれもないグローバル規模の大惨事寸前と呼べる性質のものである。」





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科学ジャーナリストのリン・マクタガート氏は、
きたるべき新時代の到来を予見しています。

彼女によると、科学者たちは、

・人類は、主として化学物質と遺伝情報によって駆動される生存機械である。
・脳は分離独立した器官であり意識の座である。
 これもまた概して、
 化学作用―細胞とDNAの暗号とのコミュニケーション―によって駆動される。
・人間は本質的に周りの世界とは切り離された存在であり、そのこころは肉体と分離している。
 時間と空間は有限で普遍的な秩序である。
 なにものも光速度より速くは移動できない。

という古い考えを捨て、

・この世のコミュニケーションは目に見えるニュートンの世界ではなく、
 原子内のウェルナー・ハイゼンベルクの世界で起きていた。
・細胞とDNAは周波数を通じてコミュニケーションしていた。
・脳は世界を知覚し、その記録を独自の波動として記録していた。
・本質的にあらゆるものを記録する媒体である基本構造がこの宇宙を支えており、
 あらゆるものがたがいに交信する手段を提供している。
・人間はその環境とは不可分である。
 生き物の意識は分離独立した実体ではない。
 そして、生き物は自分以外の世界に秩序を与える。
・人間の意識には、他人を癒したり、世界を癒したり、ある意味では、
 私たちがそれにこうあってほしいと思う姿に変える、という信じられない力がある。

という新しい事実を受け入れ始めている、というのです。

この変化の兆しは、すでに現われています。




私たちはいま、ある革命の夜明けの時代にいる。
それは、アインシュタインの相対性理論と同じくらい、根源的で斬新な革命である。
科学の最先端領域では、この世界がどのように成り立ち、
また私たち自身がどのような存在であるかについて、
これまで信じられてきた土台に根底から疑問を投げかける新たな考えが浮上している。
宗教がつねに信奉してきた考え、すなわち、
人間はたんなる肉と骨のかたまりをはるかに超えた並はずれた存在である、
という考えをうまく説明する発見が次々になされているのだ。
この新しい科学は、その根源において、
過去の科学者たちを何百年も悩ませてきた疑問に答えを出している。
それはつきつめれば、奇跡を科学しているのである。

世界中のあちこちにぽつぽつと散らばっていた少数の科学者たちは、
量子物理学を機械的に当てはめることだけでは満足していなかった。
彼らは、未解決のままになっていた大きな疑問の多くにもっとすっきりした答えを求めていた。
量子物理学の先駆者たちが歩みをやめた地点から再出発し、
新たに研究と実験を重ねながら、さらに深い地点へと探索の旅を進めていたのだ。
量子物理学のいくつかの方程式で、
つねに差し引きゼロとして無視されてきた項について、改めて考えた人たちもいた。
それは、ゼロ・ポイント・フィールド―モノとモノのあいだの空間における微小な振動の海―、
を示していた。
もし、物質のもっとも基本的な性質に、このゼロ・ポイント・フィールドを含めて考えるなら、
私たちの宇宙の奥底に存在するのは、
モネルギーに満ちた海―ひとつの巨大な量子場―だ、と彼らは理解した。
もしこれが本当なら、あらゆるものは、目に見えないクモの巣のように、
それ以外のあらゆるものと結びついていることになる。
彼らはまた、私たちが同一の基本素材でつくられていることを発見した。
人間を含む命ある存在は、もっとも基本的な水準において、
この無尽蔵のエネルギーの海とのあいだでつねに情報を交換しつづけている、
量子エネルギーのかたまりである。
生き物は弱い放射線を出しており、これが生命のプロセスにおいて一番重要な点だった。
細胞間のコミュニケーションから、複雑に入り組んだDNAの支配に至るまで、
生命に関する情報は、あらゆる場面で、量子レベルにおける情報交換を通して中継されていた。
物質世界の法則群からきわめて遠くに位置すると考えられる「別のもの」、
すなわち私たちのこころでさえ、量子プロセスにしたがって動いていたのだ。
思考すること、感じること、さらにはもっと高度な認知機能は、
私たちの脳やからだ全体で同時に脈打っている量子情報と関係していた。
人間に知覚が生じるのは、
脳の原子内粒子と量子エネルギーの海とが相互作用を起こした結果だった。
私たちは文字通り、私たちを取り巻く宇宙と共鳴していた。
こうした発見は常識外れであり、異端の考えであった。
彼らはほんの一撃で、生物学と物理学のもっとも基本的な法則の多くに疑問をつきつけていた。
彼らが発見したらしきものは、細胞間のコミュニケーションから世界の知覚に至るまで、
まさに、私たちの世界におけるあらゆる情報処理と情報交換の鍵にほかならなかった。
彼らは、人間の形態と生き物の意識に関する、
生物学上のもっとも奥深い疑問の一部に答をもたらした。
もしかすると、生命そのものの真の鍵も、
このいわゆる「空」間に存在しているのかもしれなかった。
さらに根本的には、彼らが提供した証拠は、私たちすべてが、その存在の基盤において、
たがいにも、世界とも結びついていることを示していた。
彼らは科学的な実験を通じて、
宇宙全体を流れる生命力のようなもの―これまで集合意識とか、
神学者によってスピリットとか呼ばれてきたもの―が存在する可能性を示してきた。
これまで何世紀も人類が信じてはいたものの、確固たる証拠がないか、
適切な説明が困難だった領域、たとえば代替医療の有効性から、
はては来世への祈りに至るまで、種々のことがらに有望な説明を与えてくれたのだ。
それは、ある意味で、宗教の科学であった。
ニュートンやダーウィンの世界観と異なり、そうした考えは元気を与えてくれる。
そこには、秩序や制御という含みがあり、私たちを力づけてくれる。
私たちは自然が生んだたんなる偶然の産物ではないのだ。
この世界には目的と統一が存在し、その中に私たちの場所があり、
そして私たちは世界に対して重要な貢献をしている。
私たちの行為や思考は無視できないものであり、実のところ、
この世界を形成するために不可欠だったのだ。
人間はばらばらに切り離された存在ではなく、私たちと彼らという区別は意味がない。
私たちはもはや―外側から宇宙を覗き込んでいるような―宇宙の周辺にある存在ではない。
私たちは本来の場所を取り戻し、宇宙の中心へと戻ることができるのだ。

来るべき科学革命は、あらゆる意味で二元論の終焉を告げていた。
神を破壊するのでなく、科学は初めて―より高次の集合的意識の存在を示すことによって―、
神の存在を証明しようとしていた。
もはや、科学の真実と宗教の真実という、二つの真実は必要ない。
そこにあるのは、統一されたただひとつの世界観だけのはずだ。
科学思考におけるこの革命は、私たちが楽観的感覚を取り戻す希望も与えてくれた。
それは主として科学が信奉する世界観に由来する20世紀の無味乾燥な哲学が、
私たちの感覚からはぎとってしまった感覚だった。
私たちは、そっけない宇宙に浮かぶ孤独な惑星の上で、
望みのない人生を送っている孤立した存在ではなかったのだ。
私たちはけっしてひとりではない。
つねに、もっと大きな全体の一部なのだった。
私たちは今も、これまでもずっと、ものごとの中心にいたのだ。
ものごとはばらばらに分離することはない。
その中心がしっかり支えてくれているし、支えているのは私たち自身である。
私たちには、自分自身、愛する人たち、さらには私たちの社会までも癒す力があり、
それは自分で考えているよりはるかに強力なものである。
私たちひとりひとりには、
人生の運命を改善する能カ―それとともに偉大な集団としてのカ―が備わっている。
私たちの人生は、あらゆる意味で、私たちの手の中にあったのだ。


「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」




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2009.02.23 ぶれてない
総理はこれからも、とことん行くようであります。






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とてつもない爽やかさです。





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2009.02.23 五趣輪廻図
死後の世界の有り様は、凡人には解りかねます。

そこで、お釈迦さまは、
霊能力が無くても死後の世界が理解出来るように、
五趣輪廻図の作成を指示されました。




ちょうどその時、目連尊者は、
比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に交わって時を過ごしていた。

―世尊は、知っていながら尋ねることがある。―
世尊は、アーナンダに尋ねられた。

「目連は、四衆に交わって時を過ごしているのか。」

アーナンダは答えた。

「世尊よ、目連は、地獄を遊行したり、畜生界を遊行したり、
餓鬼界・天界・人界を遊行することにしていますが、
彼は、地獄の有情達が引き裂かれ、引き千切られ、切断され、切り刻まれる等の苦、
畜生達がお互いに食べ合う等の苦、
餓鬼達の飢えや渇き等の苦、
神々の下界への死没・落下・墜落・堕落等の苦、
人間達がものをあくせく追い求めることや、種々の災難等の苦を観察して、
この世に戻ってくると、四衆に告げました。
『誰かの共住者や弟子が、嫌々梵行を修しているなら、
その者は彼を連れて、同志目連のもとに近づくがよい。
同志目連が、彼を正しく教誠し、教授するであろう』と。
同志目連は、やって来た者を正しく教誠し、正しく教授しました。
こうして人々は次から次へと同志目連に正しく教誠され、正しく教授され、
意欲的に梵行を修し、そしてより高次の卓越性を獲得したのです。
このような因と縁とによって、同志目連は、
比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に交わって時を過ごしているのであります。」

「アーナンダよ、比丘目連に匹敵する者はどこにでもいるわけではない。
それでは、精舎の門房に五本の輻(や)のある車輪を作らせよ。」

「門衛室に五本の輻のある車輪を作らせよ。」と世尊に言われても、
比丘達はどのようなものを作ってよいやら分からなかったので、世尊は言われた。

「地獄・畜生・餓鬼・天・人間という五趣を作らせよ。
そのうち地獄・餓鬼・畜生は、車輪の下に形取り、
天・人間は、車輪の上に形取るのだ。
そして人間界にはプールヴァブィデーハ大陸・アパラゴーダーニーヤ大陸・
ウッタラクル大陸・ジャンブー大陸の四大陸を描け。
中央には貪・瞋・痴を形取るのだ。
貧は鳩、瞋は蛇、痴は豚の形で表現せよ。
そしてあの涅槃の円を指し示す仏の像を描け。
化生の有情達の死没と再生は、水車を用いて描写せよ。
周囲には順逆の十二支縁起を表現せよ。
また、すべてのものが無常性に呑み込まれているのを表現すべきであり、
さらに二つの詩頌を書き込め。
『精進を積め。出家せよ。仏の教えに専念せよ。死の軍隊を打ち破れ。
象が葦の小屋を踏み潰す如く。
この法と律とに従いて放逸なく修行する者は、
生死を繰り返す輪廻を断じ、苦を終わらせん。』と。」

「門衛室に五本の輻のある車輪を作らせよ。」と世尊に言われ、
比丘達はそれを作らせると、
バラモンや長者達がやって来て尋ねた。

「聖者よ、これは何をお書きになったのか。」

「皆さん、我々も知らないのだ。」

そこで世尊は、
「次々とやって来るバラモンや長者達に対し、
門衛室で絵解きのできる能力のある比丘を指名せよ。」と言われた。 


「ディヴィヤ・アヴァダーナ」




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2009.02.23 麻生を守れ
もはや異常事態である。






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2009.02.22 神の正義
人生が本当に一度きりであるならば、「神も仏もあるものか」と嘆かざるをえません。

しかし、転生の教義は、我々に未来への希望を与えてくれます。




あらゆる霊はみずからの完成をめざす。
神は、霊たちに肉体の生を送らせる試練によって、
完成に近づく方法を与える。
正義なる神は、霊たちが最初の試練でできなかった、
あるいは成し遂げられなかったことを、
新たな生において成し遂げる機会を与える。
転生の教義、すなわち、
人間に何度も人生を繰り返させることを認める教義だけが、
道徳的に劣る条件のもとに置かれた人間に対して、
神が行う正義を考えるとき、我々に唯一納得できるものである。
この転生の教義だけが、我々に未来を納得させ、
我々にしっかりとした希望をもたせてくれる唯一のものだ。
それというのも、この教義だけが、我々の過ちを、
新たな試練によってつぐなう方法を我々に与えるからだ。

アラン・カルデック「霊媒の書」




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究極の自己実現とは、愛に生きることです。

何故なら、私たちは愛を学ぶために生まれてきたのですから。

そして、愛があれば必ず希望は実現します。

これは、普遍の法則なのです。




神は愛であり、愛の実現のために、この世界を創造したのである。
祈りは「愛」に伴われなかったならば、
神の目的と調和しないから、その祈りは成就しないのである。
愛のために創造されたる宇宙であるから、愛に反する一切のものは、
一時は栄えるように見えても、それは神の創造目的に反抗するのだから、
結局は破滅してしまうほかはないのである。
「誰かのためになる」という条件を満足しないような希望は、
ただの好奇心や利己心の満足を期待するものであるから、
神の協力をかち得ることはできないのである。
まず自分の能力のうち、誰かを悦ばす能力があるかを顧みよ。
それは文章にせよ、音楽にせよ、舞踊にせよ、
法律にせよ、発明にせよ、炊事にせよ、
何でも他のためになり、かつ自分に出来ると思うことで、
生活を立てることが出来るように祈れば、
そして努力を継続すれば希望が成就するのである。

一旦、心に描いて、それを実現しようと念願した希望又は理想は、
それがまだ実現の曙光が見えないからとて、途中で放棄してはならないのである。
それは眼に見えない世界に於いて、その「実現」が進行中なのである。
希望の実現には「愛」「努力」「祈り」、そのほかに「明るさ」が必要なのである。
常に不平を言ったり、不遇を呟いたり、
陰気にふさぎ込んでしまったりする習慣があるならば、直ちにそれを止めなければならない。
不平の代りに感謝を、呟きの代りに讃歎を、
陰気の代りに希望に満ちた明るさを、
心に常に把持するようにしなければならない。
人の悪口を話材にするゴシップの習慣も止めなければならない。
人を讃めれば自分も讃められ、そこから希望が実現する道がひらかれて来るのである。

「仕事」は表面は賃金のために働くような外観を呈しているが、
「仕事」の最も重要な内在的意味は、人は仕事を通して人類に「奉仕」し、
仕事を通して「愛」を実現し、
「仕事」を通して自己の「魂」を発達向上せしめるということである。
仕事がなければ、吾々は人類に奉仕することができず、
愛を実現することができず、
自己の魂を向上せしめることができないのである。

人類の幸福のために何事かを成そうという希望は、
それは、人類全体の潜在意識の協力を得ることが出来るし、
同時に神の波長と同調するから、神と協同動作をすることにもなるので、
そのような希望は、やがて必ず成就するのである。
その希望の中に利己的貪欲が入り込むならば、
その希望は不純となり、
必ずしも人類全体の潜在意識の協力が得られなくなり、
神の普遍の愛と同調しなくなり、その希望が達成し得られなくなるのである。
人間は何らかの仕事を成すことによって人類の兄弟に貢献し、
同時に自分の魂を磨く機会を与えられるのである。
これが地上に人間が降誕した使命である。
それを為す事によって、人は「存在の意義」(生き甲斐)を感じ、
自分の生命の力に自信を得るのである。

谷口雅春「希望を叶える365章」




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2009.02.21 生命賛歌
人は100%死を迎える。

ならば、死を怯えて生きる?

死を楽しみにして生きる?

どちらが得だろうか?


「どうせ死ぬ」と「人生は一度きり」は同じではない。

間違いなく、死後の世界は存在し、輪廻転生は事実である。


自分の死よりも、他人の死の方が辛いという人がいる。

でも、本当は、取り残されて孤独になる自分が辛いのだ。


どちらにしても、死は自我と直結している。


死ねば、自我が消えてなくることへ恐怖。

死へのプロセスである肉体の不自由さ、老廃、痛痒、麻痺、溶解への憂慮。


すべてが、とりこし苦労である。


生命は永遠だ。


「生きているうちに不死を得よ!」

実は、これが人生の命題なのだ。




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