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2009.02.05
神も仏もあるものか
僧侶や仏教学者のほとんどは、神を否定する。
よく、仏教をキリスト教(一神教)と比較して、
「万物を創造した神」など非科学的存在であって、
神を説かない仏教こそが近代の要請に合致した合理的な教えなのだ、とやる。
しかし、これは正しくないだけではなく、宗教に対する冒瀆である。
釈尊は、創造神を否定してはいない。
およそ宗教である以上、神概念の無いものなどありえない。
それは、教義を持たない土着信仰においても、儒教においてさえそうである。
造物主は存在しないというのならば、
人間機械論、因果無き偶然論、ダーウィニズムを信奉しているということである。
キリスト教と対比させ神を否定する仏教者は、
戦後流行した左翼学者の丸山真男的解釈を踏襲しているだけである。
よく研究もせずやたらとキリスト教を批判するのは、西洋コンプレックスの裏返しなのである。
神を否定するということは、
自分は唯物論者か無信仰者だと公言しているだけで、それ以上のものではない。
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よく、仏教をキリスト教(一神教)と比較して、
「万物を創造した神」など非科学的存在であって、
神を説かない仏教こそが近代の要請に合致した合理的な教えなのだ、とやる。
しかし、これは正しくないだけではなく、宗教に対する冒瀆である。
釈尊は、創造神を否定してはいない。
およそ宗教である以上、神概念の無いものなどありえない。
それは、教義を持たない土着信仰においても、儒教においてさえそうである。
造物主は存在しないというのならば、
人間機械論、因果無き偶然論、ダーウィニズムを信奉しているということである。
キリスト教と対比させ神を否定する仏教者は、
戦後流行した左翼学者の丸山真男的解釈を踏襲しているだけである。
よく研究もせずやたらとキリスト教を批判するのは、西洋コンプレックスの裏返しなのである。
神を否定するということは、
自分は唯物論者か無信仰者だと公言しているだけで、それ以上のものではない。



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2009.02.05
SFの父が見た仏陀
英国の科学思想家、H・G・ウェルズは、
「公平にどの点からみても、 世界最大の偉人は、 仏陀釈迦牟尼仏である」といったそうです。
彼は、人類の未来への希望と楽観性を失わない啓蒙家でありました。
無神論者や唯物論者であったかのように言われることもありますが、
フリーメーソンや神智学との関係も噂されています。
インド人は、力や知識は極端な禁欲によって、また断食や不眠や苦行によって、
えられるものと信じようとするのがつねであるが、ガウタマはいまや、
こうした考えの真否を試してみたのである。
彼は五人の同門の随伴者とつれだって密林に行き、そこで自ら断食や恐ろしい苦行をした。
彼の名声は「中天にかかる大きな鐘の音のように」広まった。
しかし、だからといって彼は、真理に到達したものとは感じなかった。
ある日のこと、彼は、
衰弱していたにもかかわらず思索しようとして逍遥しているうちに、突然に意識を失って倒れた。
正気に復したとき、彼は、
知識を求めるためのこうした半ば魔法的な仕方のばからしさが分かった。
彼は、常食を要求することにより、また苦行の継続を拒否することによって、
随伴者たちを恐怖させた。
彼の悟りは、およそ人間の到達しうる真理は、
健康な肉体にそなわる栄養の足りた頭脳によってもっともよく到達される、ということであった。
こうした考えは、この国この時代の考え方にとっては絶対的な異端であって、
同門の者たちは、彼を見すてて、心も重くベナレスに立ち去った。
ガウタマはただひとりで逍遥した。
人間が大きな複雑な問題を解決しようとするときには、その進みは一歩一歩であって、
突然に不意の光明によって自分の勝利を自覚するまでは、
その獲得したものをほとんど自覚しないものである。
ガウタマの場合にもそうであった。
食事しようと、ある河辺の大樹のもとに坐っていたとき、彼は、はっきりした啓示を感得した。
彼には、ありありと実相を観取したように思えたのである。
伝えるところによれば、彼は終日終夜坐って深い思索にふけり、
それから、この悟りを世人に分かつために立ちあがった。
彼はベナレスヘおもむき、そしてそこで、彼を見すてた同門の弟子たちをさがし出して、
ふたたび自分の新たな教えに従わせた。
彼らはベナレスの鹿野苑にみずから小屋を建て、一種の学校を設けて、
聖知を求めていた多数の人々をあつめた。
彼の教えの出発点は、幸運な若者の時の、
彼自身の問題―「なぜ自分は完全に幸福ではないのか」ということであった。
このインドの教師は、自我を没却せず、自我に傾注し、
そしてその自我を撃滅しようとしたのである。
彼の教えによれば、いっさいの苦悩は個人の飽くことを知らぬ欲望のせいであって、
その個人的な欲求を克服しないかぎり、人間の生活は憂苦であり、その最後は悲哀である。
生活のための欲求には三つの主要形態があるが、それらはすべて邪悪なものである。
第一は、飲食欲・貪欲・その他いっさいの官能的な欲望であり、
第二は、自分だけは死にたくないという利己的な欲望であり、
第三は、個人的な成功を求める欲望・名利欲・物欲などである。
すべてこれらの形態の欲望は、人世の不幸や憂悶をまぬがれるためには克服されねばならぬ。
これらを克服し、自我をすっかり滅却すれば、そのとき、
魂の寂静、すなわち最善なる涅槃に達するのである。
上述のようなものを骨子とする彼の教義は、このうえなく精妙で形而上学的なものであって、
これを理解することは、「恐れずかつ正しく見て知れ」というギリシア人の教訓や、
「神を畏れて正義をなせ」というヘプライ人の命令などのばあいのように、容易なことではない。
この教義は、ガウタマの直弟子たちでさえもなかなか理解できなかったのであって、
彼の個人的な影響がなくなるやいなや、
堕落して劣悪化したということは、少しも不思議ではない。
その当時のインドでは、長い歳月をへるごとに「英知」がこの世に現われ、
その「英知」は、「仏陀」とよばれる、ある選ばれた個人をその化身とする、
ということが広く信じられていた。
ガウタマの弟子たちは、彼こそ仏陀であり、諸仏陀中の最後のものであると宣明したが、
もっとも、彼みずからこの称号を認容したという証拠はない。
人間というものは、道徳的努力よりも奇蹟物語を好むのが常であるが、
ガウタマ仏陀もきわめて驚異にあたいするものとされている。
とはいえ、世界はなお本質的に得るところがあった。
涅槃なるものはたいていの人々の想像力にとってはあまりに高遠で微妙だったとしても、
人々は少なくとも、ガウタマが名づけて、
生活における「八正道」と呼んだものの正意をいくらかは理解したはずである。
そのなかには、正しい思考(正思惟)とか、正しい目標(正見)や正しい言葉(正語)とか、
正しい行為(正業)や正しい生活(正命)とかに関する主張があった。
また、良心(正念)の鼓舞があり、高潔で没我的な目的(正定)にたいする教示があった。
「世界史概観」
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「公平にどの点からみても、 世界最大の偉人は、 仏陀釈迦牟尼仏である」といったそうです。
彼は、人類の未来への希望と楽観性を失わない啓蒙家でありました。
無神論者や唯物論者であったかのように言われることもありますが、
フリーメーソンや神智学との関係も噂されています。
インド人は、力や知識は極端な禁欲によって、また断食や不眠や苦行によって、
えられるものと信じようとするのがつねであるが、ガウタマはいまや、
こうした考えの真否を試してみたのである。
彼は五人の同門の随伴者とつれだって密林に行き、そこで自ら断食や恐ろしい苦行をした。
彼の名声は「中天にかかる大きな鐘の音のように」広まった。
しかし、だからといって彼は、真理に到達したものとは感じなかった。
ある日のこと、彼は、
衰弱していたにもかかわらず思索しようとして逍遥しているうちに、突然に意識を失って倒れた。
正気に復したとき、彼は、
知識を求めるためのこうした半ば魔法的な仕方のばからしさが分かった。
彼は、常食を要求することにより、また苦行の継続を拒否することによって、
随伴者たちを恐怖させた。
彼の悟りは、およそ人間の到達しうる真理は、
健康な肉体にそなわる栄養の足りた頭脳によってもっともよく到達される、ということであった。
こうした考えは、この国この時代の考え方にとっては絶対的な異端であって、
同門の者たちは、彼を見すてて、心も重くベナレスに立ち去った。
ガウタマはただひとりで逍遥した。
人間が大きな複雑な問題を解決しようとするときには、その進みは一歩一歩であって、
突然に不意の光明によって自分の勝利を自覚するまでは、
その獲得したものをほとんど自覚しないものである。
ガウタマの場合にもそうであった。
食事しようと、ある河辺の大樹のもとに坐っていたとき、彼は、はっきりした啓示を感得した。
彼には、ありありと実相を観取したように思えたのである。
伝えるところによれば、彼は終日終夜坐って深い思索にふけり、
それから、この悟りを世人に分かつために立ちあがった。
彼はベナレスヘおもむき、そしてそこで、彼を見すてた同門の弟子たちをさがし出して、
ふたたび自分の新たな教えに従わせた。
彼らはベナレスの鹿野苑にみずから小屋を建て、一種の学校を設けて、
聖知を求めていた多数の人々をあつめた。
彼の教えの出発点は、幸運な若者の時の、
彼自身の問題―「なぜ自分は完全に幸福ではないのか」ということであった。
このインドの教師は、自我を没却せず、自我に傾注し、
そしてその自我を撃滅しようとしたのである。
彼の教えによれば、いっさいの苦悩は個人の飽くことを知らぬ欲望のせいであって、
その個人的な欲求を克服しないかぎり、人間の生活は憂苦であり、その最後は悲哀である。
生活のための欲求には三つの主要形態があるが、それらはすべて邪悪なものである。
第一は、飲食欲・貪欲・その他いっさいの官能的な欲望であり、
第二は、自分だけは死にたくないという利己的な欲望であり、
第三は、個人的な成功を求める欲望・名利欲・物欲などである。
すべてこれらの形態の欲望は、人世の不幸や憂悶をまぬがれるためには克服されねばならぬ。
これらを克服し、自我をすっかり滅却すれば、そのとき、
魂の寂静、すなわち最善なる涅槃に達するのである。
上述のようなものを骨子とする彼の教義は、このうえなく精妙で形而上学的なものであって、
これを理解することは、「恐れずかつ正しく見て知れ」というギリシア人の教訓や、
「神を畏れて正義をなせ」というヘプライ人の命令などのばあいのように、容易なことではない。
この教義は、ガウタマの直弟子たちでさえもなかなか理解できなかったのであって、
彼の個人的な影響がなくなるやいなや、
堕落して劣悪化したということは、少しも不思議ではない。
その当時のインドでは、長い歳月をへるごとに「英知」がこの世に現われ、
その「英知」は、「仏陀」とよばれる、ある選ばれた個人をその化身とする、
ということが広く信じられていた。
ガウタマの弟子たちは、彼こそ仏陀であり、諸仏陀中の最後のものであると宣明したが、
もっとも、彼みずからこの称号を認容したという証拠はない。
人間というものは、道徳的努力よりも奇蹟物語を好むのが常であるが、
ガウタマ仏陀もきわめて驚異にあたいするものとされている。
とはいえ、世界はなお本質的に得るところがあった。
涅槃なるものはたいていの人々の想像力にとってはあまりに高遠で微妙だったとしても、
人々は少なくとも、ガウタマが名づけて、
生活における「八正道」と呼んだものの正意をいくらかは理解したはずである。
そのなかには、正しい思考(正思惟)とか、正しい目標(正見)や正しい言葉(正語)とか、
正しい行為(正業)や正しい生活(正命)とかに関する主張があった。
また、良心(正念)の鼓舞があり、高潔で没我的な目的(正定)にたいする教示があった。
「世界史概観」



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2009.02.05
静かなる革命
2009.02.05
意識の探求
古代から哲学や宗教は、めざましい科学技術の進歩と比べるとあまり変わっていません。
むしろ、現代はその分野において、退歩していると思われるほどです。
物質的領域にこだわるあまり、
瞑想などの技法でかいま見れる意識世界の探求がなされてきませんでした。
外的世界に向かう冒険は盛んですが、内的世界はまだまだ未開拓の地です。
ニューエイジ思想の論客、ピーター・ラッセル氏の提言です。
世界を変えてゆく私達の力は、驚異的な発展をとげてきましたが、
私達の内的な発展―私達の心構えと価値観―はずっと遅れています。
二千五百年前、ギリシャ人が自分達の倫理哲学や、
「自分自身を知る」ということの価値を賞賛した時とまったく同じように、
私達は相変わらず、貪欲で、攻撃的で、近視眼的で、自己中心主義になりやすいのです。
昔からずっと、すばらしい言葉は語られてきました。
しかし、そのうちのどれほどが、今に生きていることでしょうか。
もし、私達が、この進化の旅をさらに続けるとすれば、
意識の面においても、どうしても同じだけ驚異的な発展をとげる必要があります。
自分達が持つに至った新しい力を、自分達の良き目的のために、
そして、すべての生きとし生けるもののために、
使えるようになるだけの知恵を発展させなければなりません。
これこそ、今、私達の時代に課せられた課題なのです。
「ホワイトホール・イン・タイム」
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むしろ、現代はその分野において、退歩していると思われるほどです。
物質的領域にこだわるあまり、
瞑想などの技法でかいま見れる意識世界の探求がなされてきませんでした。
外的世界に向かう冒険は盛んですが、内的世界はまだまだ未開拓の地です。
ニューエイジ思想の論客、ピーター・ラッセル氏の提言です。
世界を変えてゆく私達の力は、驚異的な発展をとげてきましたが、
私達の内的な発展―私達の心構えと価値観―はずっと遅れています。
二千五百年前、ギリシャ人が自分達の倫理哲学や、
「自分自身を知る」ということの価値を賞賛した時とまったく同じように、
私達は相変わらず、貪欲で、攻撃的で、近視眼的で、自己中心主義になりやすいのです。
昔からずっと、すばらしい言葉は語られてきました。
しかし、そのうちのどれほどが、今に生きていることでしょうか。
もし、私達が、この進化の旅をさらに続けるとすれば、
意識の面においても、どうしても同じだけ驚異的な発展をとげる必要があります。
自分達が持つに至った新しい力を、自分達の良き目的のために、
そして、すべての生きとし生けるもののために、
使えるようになるだけの知恵を発展させなければなりません。
これこそ、今、私達の時代に課せられた課題なのです。
「ホワイトホール・イン・タイム」



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2009.02.05
末法の終焉
インド、スリランカ、チベットなどでは、釈尊入滅2500年後に、
仏教国の王者が再び出現して、世界を平和に導くという伝承があります。
GLA創始者の高橋信次氏は、
「二千五百有余年前に釈迦は、ジャブドーバーの、ケントマティーにおいて、
ふたたび正法流布を行うと弟子たちに宣言しました」と述べています。
八世紀に、チベットへ密教をもたらしたインドの僧パドマサンバヴァは、
「空に鉄の鳥が飛び、地に鉄の馬が駆け巡る時、
ダルマ(法)は赤い人の土地に渡るであろう」と予言しました。
法華経には、
「我が滅度の後、
後(五)の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」と説かれています。
日本のスピリチュアル界でも、同じようなことが言われているのは、偶然なのでしょうか?
二千五百年前、お釈迦様が亡くなる前、こんな言葉を残されたそうです。
私の教えは千年の間は正しく誤解されないで伝わる。
これが正法の時代。
そして千年から二千年の間はよく似た教えが伝わる。
これが像法の時代。
二千年を過ぎた頃からは誤解されて正しく伝わらなくなる。
これが末法の世という。
ここまでは教科書に載っているのでご存知でしょう。
だけど、実はそこから先がまだあって、
口伝えのため一部の人間にしか伝わらなかったようです。
末法の世からさらに五百年ほどすると、
つまり、釈迦の死後二千五百年ほどすると、ということですが、
インドの遥か東方にジャブトーバーという国があって、
その国は夜でも昼のように明るく、道は平坦で、
裸足で歩いていても傷つかず、遠くにいても、近くにいるように話ができる。
その国の人々は、競うこと、比べること、争うこと、戦うことがとても嫌いな民族で、
その人たちの平和な思想と相まって、
自分の教えが二千五百年ぶりに正しく解釈され直す。
そして千年単位の平和王国が始まるだろう、と。
お釈迦様はそう言って亡くなったそうなんです。
神渡良平・小林正観「神さまが教えてくれた幸福論」
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仏教国の王者が再び出現して、世界を平和に導くという伝承があります。
GLA創始者の高橋信次氏は、
「二千五百有余年前に釈迦は、ジャブドーバーの、ケントマティーにおいて、
ふたたび正法流布を行うと弟子たちに宣言しました」と述べています。
八世紀に、チベットへ密教をもたらしたインドの僧パドマサンバヴァは、
「空に鉄の鳥が飛び、地に鉄の馬が駆け巡る時、
ダルマ(法)は赤い人の土地に渡るであろう」と予言しました。
法華経には、
「我が滅度の後、
後(五)の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」と説かれています。
日本のスピリチュアル界でも、同じようなことが言われているのは、偶然なのでしょうか?
二千五百年前、お釈迦様が亡くなる前、こんな言葉を残されたそうです。
私の教えは千年の間は正しく誤解されないで伝わる。
これが正法の時代。
そして千年から二千年の間はよく似た教えが伝わる。
これが像法の時代。
二千年を過ぎた頃からは誤解されて正しく伝わらなくなる。
これが末法の世という。
ここまでは教科書に載っているのでご存知でしょう。
だけど、実はそこから先がまだあって、
口伝えのため一部の人間にしか伝わらなかったようです。
末法の世からさらに五百年ほどすると、
つまり、釈迦の死後二千五百年ほどすると、ということですが、
インドの遥か東方にジャブトーバーという国があって、
その国は夜でも昼のように明るく、道は平坦で、
裸足で歩いていても傷つかず、遠くにいても、近くにいるように話ができる。
その国の人々は、競うこと、比べること、争うこと、戦うことがとても嫌いな民族で、
その人たちの平和な思想と相まって、
自分の教えが二千五百年ぶりに正しく解釈され直す。
そして千年単位の平和王国が始まるだろう、と。
お釈迦様はそう言って亡くなったそうなんです。
神渡良平・小林正観「神さまが教えてくれた幸福論」



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