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2009.02.09
真の覚醒
人の為に尽くすことこそが、本当の幸せです。
幸福を得る為には、利己的な奪う愛から、与える愛への転換が必要なのです。
利己心は、偽者の自分から出てきます。
本当の自分である真我に目覚めると、利他心は湧いてきます。
真我は無我と同じです。
すなわち、無我とは、消極的な空寂ではなく、積極的な愛だということです。
意識はそれのみで存在しています。
私達は皆、それが何か知っています。
しかし、私達は心の領域よりも、自分のまわりの世界にずっと親しんでいるので、
意識それ自体こそが、私達が知りたいと追い求めている「本当の私」に他ならない、
ということをまだ十分に理解していません。
私達の半覚醒の状態では、自分の本質を見過ごして、もっとはっきり目に見える側面、
たとえば体、人柄、職業、地位、過去、能力等を自分だと思い込んでいます。
しかしこのようなものは、様々な出来事によって条件づけられたものであり、
時と共に変化してゆきます。
永久的で不変な唯一の独立した自分自身とは言えません。
それらは私達の夢の一部であって、夢を見ている本人ではないのです。
意識の本質を知るということは、人類の永遠のテーマでした。
古代ギリシャのデルフィの神殿の入口の門に彫られているのも、
「汝自身を知れ」という言葉でした。
そして多少の違いはあっても、これはほとんどの世界的宗教の中心的なテーマでもあります。
自分自身の内なる存在を知れば、私達は利己心から解放されてゆきます。
その時、私達は完全に目覚め、世界をありのままに見るようになります。
その時初めて、私達は完全に成熟した人間になるのです。
過去においては、このような自己実現はごくわずかな幸運な人だけの特権でした。
しかし、私達の自己中心主義がもたらした世界の荒廃は、人類の救済のため、
このような覚醒を不可欠なものにしています。
自己実現が例外的なものでなく、普遍的なものになることが必要とされているのです。
ピーター・ラッセル「ホワイトホール・イン・タイム」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
幸福を得る為には、利己的な奪う愛から、与える愛への転換が必要なのです。
利己心は、偽者の自分から出てきます。
本当の自分である真我に目覚めると、利他心は湧いてきます。
真我は無我と同じです。
すなわち、無我とは、消極的な空寂ではなく、積極的な愛だということです。
意識はそれのみで存在しています。
私達は皆、それが何か知っています。
しかし、私達は心の領域よりも、自分のまわりの世界にずっと親しんでいるので、
意識それ自体こそが、私達が知りたいと追い求めている「本当の私」に他ならない、
ということをまだ十分に理解していません。
私達の半覚醒の状態では、自分の本質を見過ごして、もっとはっきり目に見える側面、
たとえば体、人柄、職業、地位、過去、能力等を自分だと思い込んでいます。
しかしこのようなものは、様々な出来事によって条件づけられたものであり、
時と共に変化してゆきます。
永久的で不変な唯一の独立した自分自身とは言えません。
それらは私達の夢の一部であって、夢を見ている本人ではないのです。
意識の本質を知るということは、人類の永遠のテーマでした。
古代ギリシャのデルフィの神殿の入口の門に彫られているのも、
「汝自身を知れ」という言葉でした。
そして多少の違いはあっても、これはほとんどの世界的宗教の中心的なテーマでもあります。
自分自身の内なる存在を知れば、私達は利己心から解放されてゆきます。
その時、私達は完全に目覚め、世界をありのままに見るようになります。
その時初めて、私達は完全に成熟した人間になるのです。
過去においては、このような自己実現はごくわずかな幸運な人だけの特権でした。
しかし、私達の自己中心主義がもたらした世界の荒廃は、人類の救済のため、
このような覚醒を不可欠なものにしています。
自己実現が例外的なものでなく、普遍的なものになることが必要とされているのです。
ピーター・ラッセル「ホワイトホール・イン・タイム」



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