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唯物論に基づく、戦後教育やゆとり教育の失敗は、明らかになりつつあります。

誤った思想を植えつけられた生徒は、限りなく不幸です。

唯物論の行き着く先は、闘争と破壊、刹那主義と快楽主義です。

教育は人を創ります。

人智学のシュタイナーは、
「道徳的なものが、はじめて本質的な意味で、人間を人間にする」と言いました。

閉塞感が漂う教育界にあって、
霊性教育・道徳教育に重点を置き、全人的な人間形成を目指すシュタイナー教育は、
学力についてもすぐれた成果を維持し続け、世界各地で高い評価を得ています。




創始者シュタイナーの人間形成論を基盤にした自由ヴァルドルフ学校は、
現在においてもなお世界的に飛躍的な発展を遂げ続けているものの一つである。
この学校は、ドイツの新教育が開花していた1919年に、
ドイツのシュトゥットガルトにおいて創立されたが、
多くの他の実践が姿を消していったのとは対照的に、第二次世界大戦後に復興し、
最近ではドイツ国内のみならず、イギリスやアメリカなどの欧米諸国、さらには、
アフリカやオセアニアに至るまで、世界各地におよそ1000校近く点在するまでに発展している。
しかも、世界各国において、自由ヴァルドルフ学校の設立の動きは現在でも弱まることなく、
学校数は、毎年増加の一途をたどっている。
ドイツ国内を見ても、メルヘン作家として有名なエンデ、
かつては緑の党の中心的な人物の一人であり、
シュレーダー政権下の連邦内務大臣シリーは、
自由ヴァルドルフ学校で学んだ経験を持っている。
特にエンデは、人智学関係の会員になることもなく、
会員たちと一定の距離を保ちつつも生涯を通してシュタイナーの著作に親しんでいたという。
また、キリスト教民主同盟に所属した元連邦首相コールは息子を、
かつての連邦文部大臣ドーナンニーは娘を、自由ヴァルドルフ学校に入学させている。
また、ドイツ国外に目を向けても、
幾人かの著名人が、自由ヴァルドルフ学校に対して高い評価を与えている。
たとえば、ホリスティック教育の世界的な第一人者ミラーは、
主著『ホリスティック・カリキュラム』において、
シュタイナーの教育論とその実践を詳しく肯定的に取りあげている。
さらに、1994年に開催されたユネスコ第44回国際会議において配布された、
自由ヴァルドルフ学校の理論と実践を紹介したカタログを見てみると、
そこには、たとえば、
自分の娘をシュタイナー学校に通わせたアメリカ元宇宙飛行士シュヴァイカートの、
「より多くの人々が子どもにシュタイナー教育を受けさせるよう望んでいます」、
さらにはスタンフォード大学教授アイスナーの、
「残念なことに長い間シュタイナー教育は、教育界の片隅に追いやられていましたが、
もっと注目を浴びてしかるべきです」など、著名な人たちの肯定的な発言が掲載されている。
さらにそのカタログの日本語版の発行に際しては、
当時のユネスコの事務局長マヨールは、
「教育に携わる者の相互理解と連帯とが以前にも増して必要とされる現在、
ユネスコとシュタイナー教育運動とが交流することは、まさに時代の要請でもありましょう」、
という、自由ヴァルドルフ学校に対してきわめて称賛的な発言を行っている。
事実、いくつかの国において、ユネスコはプロジェクト校として自由ヴァルドルフ学校を指定し、
その実践に肯定的な立場をとっている。


吉田武男「シュタイナーの人間形成論」




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2009.02.11 理想世界建設
現代の仏陀は、すべての根本になるものは信仰であると説かれています。

この世的な価値観を超越した信仰心こそが、理想世界建設の土台となるのです。




仏国土建設の理想は、
決してこの世的なる、外面的なる仏国土ではない。
この仏国土が仏国土であるという理由は、
仏のよしとされる国土であるということ、
仏の理想とされる世界であるということなのだ。
それが、ほんとうの仏国土の条件であるということなのだ。
しからば、仏のよしとされる国土、
仏のよしとされる社会を創ってゆくためには、どうせねばならぬか。
信仰が根本であることは間違いない。
すなわち、この日本という国に、もし仏国土を創らんとするならば、
すべからく、日本国民は信仰心に目覚めなければならない。
また、この仏国土を日本以外の地域に広めたいと思うならば、
東南アジアにも、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパ、インド、
さまざまな国に、さまざまな地域に、仏国土を創りたいと願うならば、
その国にて、信仰心というものを、しっかり土台としてつくらなければならない。
およそ、信仰なくばすべてのものは不毛である。
信仰心があって教育を受けて、はじめて教養というものはできてくる。
もし、信仰心の基礎なくば、
いくら学問的につめこみをしても、真の教養は生れない。
それらは、偽物の教養である。
それらは、せいぜい科学的知識、
あるいは、仏を否定するような唯物的知識の集積であって、
ほんとうの教養とは言えない。
真の教養は、信仰心の土台があって、はじめて成り立つものなのだ。
そして、信仰の土台があって、はじめて真の教養が成り立ち、
真の教養人が地にあふれて、
そこに平和な世界が展開してくるのだ。





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