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科学ジャーナリストのリン・マクタガート氏は、
きたるべき新時代の到来を予見しています。

彼女によると、科学者たちは、

・人類は、主として化学物質と遺伝情報によって駆動される生存機械である。
・脳は分離独立した器官であり意識の座である。
 これもまた概して、
 化学作用―細胞とDNAの暗号とのコミュニケーション―によって駆動される。
・人間は本質的に周りの世界とは切り離された存在であり、そのこころは肉体と分離している。
 時間と空間は有限で普遍的な秩序である。
 なにものも光速度より速くは移動できない。

という古い考えを捨て、

・この世のコミュニケーションは目に見えるニュートンの世界ではなく、
 原子内のウェルナー・ハイゼンベルクの世界で起きていた。
・細胞とDNAは周波数を通じてコミュニケーションしていた。
・脳は世界を知覚し、その記録を独自の波動として記録していた。
・本質的にあらゆるものを記録する媒体である基本構造がこの宇宙を支えており、
 あらゆるものがたがいに交信する手段を提供している。
・人間はその環境とは不可分である。
 生き物の意識は分離独立した実体ではない。
 そして、生き物は自分以外の世界に秩序を与える。
・人間の意識には、他人を癒したり、世界を癒したり、ある意味では、
 私たちがそれにこうあってほしいと思う姿に変える、という信じられない力がある。

という新しい事実を受け入れ始めている、というのです。

この変化の兆しは、すでに現われています。




私たちはいま、ある革命の夜明けの時代にいる。
それは、アインシュタインの相対性理論と同じくらい、根源的で斬新な革命である。
科学の最先端領域では、この世界がどのように成り立ち、
また私たち自身がどのような存在であるかについて、
これまで信じられてきた土台に根底から疑問を投げかける新たな考えが浮上している。
宗教がつねに信奉してきた考え、すなわち、
人間はたんなる肉と骨のかたまりをはるかに超えた並はずれた存在である、
という考えをうまく説明する発見が次々になされているのだ。
この新しい科学は、その根源において、
過去の科学者たちを何百年も悩ませてきた疑問に答えを出している。
それはつきつめれば、奇跡を科学しているのである。

世界中のあちこちにぽつぽつと散らばっていた少数の科学者たちは、
量子物理学を機械的に当てはめることだけでは満足していなかった。
彼らは、未解決のままになっていた大きな疑問の多くにもっとすっきりした答えを求めていた。
量子物理学の先駆者たちが歩みをやめた地点から再出発し、
新たに研究と実験を重ねながら、さらに深い地点へと探索の旅を進めていたのだ。
量子物理学のいくつかの方程式で、
つねに差し引きゼロとして無視されてきた項について、改めて考えた人たちもいた。
それは、ゼロ・ポイント・フィールド―モノとモノのあいだの空間における微小な振動の海―、
を示していた。
もし、物質のもっとも基本的な性質に、このゼロ・ポイント・フィールドを含めて考えるなら、
私たちの宇宙の奥底に存在するのは、
モネルギーに満ちた海―ひとつの巨大な量子場―だ、と彼らは理解した。
もしこれが本当なら、あらゆるものは、目に見えないクモの巣のように、
それ以外のあらゆるものと結びついていることになる。
彼らはまた、私たちが同一の基本素材でつくられていることを発見した。
人間を含む命ある存在は、もっとも基本的な水準において、
この無尽蔵のエネルギーの海とのあいだでつねに情報を交換しつづけている、
量子エネルギーのかたまりである。
生き物は弱い放射線を出しており、これが生命のプロセスにおいて一番重要な点だった。
細胞間のコミュニケーションから、複雑に入り組んだDNAの支配に至るまで、
生命に関する情報は、あらゆる場面で、量子レベルにおける情報交換を通して中継されていた。
物質世界の法則群からきわめて遠くに位置すると考えられる「別のもの」、
すなわち私たちのこころでさえ、量子プロセスにしたがって動いていたのだ。
思考すること、感じること、さらにはもっと高度な認知機能は、
私たちの脳やからだ全体で同時に脈打っている量子情報と関係していた。
人間に知覚が生じるのは、
脳の原子内粒子と量子エネルギーの海とが相互作用を起こした結果だった。
私たちは文字通り、私たちを取り巻く宇宙と共鳴していた。
こうした発見は常識外れであり、異端の考えであった。
彼らはほんの一撃で、生物学と物理学のもっとも基本的な法則の多くに疑問をつきつけていた。
彼らが発見したらしきものは、細胞間のコミュニケーションから世界の知覚に至るまで、
まさに、私たちの世界におけるあらゆる情報処理と情報交換の鍵にほかならなかった。
彼らは、人間の形態と生き物の意識に関する、
生物学上のもっとも奥深い疑問の一部に答をもたらした。
もしかすると、生命そのものの真の鍵も、
このいわゆる「空」間に存在しているのかもしれなかった。
さらに根本的には、彼らが提供した証拠は、私たちすべてが、その存在の基盤において、
たがいにも、世界とも結びついていることを示していた。
彼らは科学的な実験を通じて、
宇宙全体を流れる生命力のようなもの―これまで集合意識とか、
神学者によってスピリットとか呼ばれてきたもの―が存在する可能性を示してきた。
これまで何世紀も人類が信じてはいたものの、確固たる証拠がないか、
適切な説明が困難だった領域、たとえば代替医療の有効性から、
はては来世への祈りに至るまで、種々のことがらに有望な説明を与えてくれたのだ。
それは、ある意味で、宗教の科学であった。
ニュートンやダーウィンの世界観と異なり、そうした考えは元気を与えてくれる。
そこには、秩序や制御という含みがあり、私たちを力づけてくれる。
私たちは自然が生んだたんなる偶然の産物ではないのだ。
この世界には目的と統一が存在し、その中に私たちの場所があり、
そして私たちは世界に対して重要な貢献をしている。
私たちの行為や思考は無視できないものであり、実のところ、
この世界を形成するために不可欠だったのだ。
人間はばらばらに切り離された存在ではなく、私たちと彼らという区別は意味がない。
私たちはもはや―外側から宇宙を覗き込んでいるような―宇宙の周辺にある存在ではない。
私たちは本来の場所を取り戻し、宇宙の中心へと戻ることができるのだ。

来るべき科学革命は、あらゆる意味で二元論の終焉を告げていた。
神を破壊するのでなく、科学は初めて―より高次の集合的意識の存在を示すことによって―、
神の存在を証明しようとしていた。
もはや、科学の真実と宗教の真実という、二つの真実は必要ない。
そこにあるのは、統一されたただひとつの世界観だけのはずだ。
科学思考におけるこの革命は、私たちが楽観的感覚を取り戻す希望も与えてくれた。
それは主として科学が信奉する世界観に由来する20世紀の無味乾燥な哲学が、
私たちの感覚からはぎとってしまった感覚だった。
私たちは、そっけない宇宙に浮かぶ孤独な惑星の上で、
望みのない人生を送っている孤立した存在ではなかったのだ。
私たちはけっしてひとりではない。
つねに、もっと大きな全体の一部なのだった。
私たちは今も、これまでもずっと、ものごとの中心にいたのだ。
ものごとはばらばらに分離することはない。
その中心がしっかり支えてくれているし、支えているのは私たち自身である。
私たちには、自分自身、愛する人たち、さらには私たちの社会までも癒す力があり、
それは自分で考えているよりはるかに強力なものである。
私たちひとりひとりには、
人生の運命を改善する能カ―それとともに偉大な集団としてのカ―が備わっている。
私たちの人生は、あらゆる意味で、私たちの手の中にあったのだ。


「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」




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