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2009.02.26 教師の握拳
東洋には、「師は、弟子の準備が出来た時に現れる」という伝承がある。

この道には、霊的な導きが必要なのだ。 

最も神聖な事柄は、通常は秘されている。

本物の師には、なかなか出会えないものである。

厳しい求道のすえに、ようやく辿りつける存在なのだ。

しかし、正法の時代、「仏陀」在世時は例外である。

「救世主は、自らが名乗りをあげる。」

全人類が弟子なのである。

神の代理人には、分け隔ては無い。

ワールド・ティーチャーに握拳 (秘密)は存在しない。

隠すことなく膨大な「法」は説かれる。

その教えが、以降何千年も信奉され、世界宗教となっていく。

現代人は、この歴史的な瞬間に立ち合っているのだ。




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2009.02.26 信仰のコード
信仰は、この世の法則を超越した光を一躍受け入れることです。

絶対に、唯物論とは両立しません。

宗教においては、信じることは、全ての始まりであり、終りでもあります。

信仰は、人を強くし、偉大な力を与えてくれるのです。




神は、いわば無限大の「光」であるから、
神の「光」をもって照らしながら仕事をするとき、
如何なる暗黒も吹き飛ばしてしまうことができるのである。
不可能と見えた難関が自然におのずから崩れ去ってしまったり、
先方の考えが一変したり、
時局が自然に好転したりして驚くべき好結果を見るのである。
しかし、そのためには堅い、くだけない、
途中で断じて切れない信仰の紐をもって、
自分自身が神とつながっている事が必要であるのである。
この「堅信」のコードをもってしっかりと神と繁っていないと、
風吹き雨ふり、雷鳴でも起ると、
停電したように真暗になってしまうおそれがあるのである。
発電所から直通の電線を適当につないで置けば、
いつでも必要な時にスイッチを入れれば光を得ることが出来るように、
「堅信」というしっかりした紐で神とつながって置けば、
いつ如何なる時にでも必要な導きの光を受けることができるのである。
吾々が解決に窮した問題に接したとき、神は吾々の光であり、
吾々がどうする事も出来ない難関にとじ込められたとき、
神は難関の扉をひらく、吾々の鍵であり力であるのである。


谷口雅春「希望を叶える365章」




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2009.02.26 永遠の魂修行
この世での誕生は、あの世での死です。

あの世での滞在において収穫が逓減してくると、人は、この世に生まれてきます。

そして、この世での新たな経験、人格を携えて、またあの世に還っていきます。

死があるのは無慈悲なようですが、交互の生活は、最も効率のよい魂修行となるのです。

このように巧妙な神仕組が輪廻転生であります。




私たちは、地上生活の期間における人間の成長のもう一つの末端になる誕生について、
もっと認識を持たなければいけません。
私たちは、次の事実を私たちの意識に取り入れる必要があります。
すなわち、人間は、死と新しい誕生のあいだの長い期間を発達し続けており、
この発達の過程で、ついに精神的世界にとって、いわば死ぬべき時点に達する、
つまり精神的世界で生き続けるには、
これまでとは別の存在様式に移行しなければならない時点に達するという事実であります。
この別の存在様式を、
人間は、物質的なものとエーテル体とで自分自身を包むことによって手に入れます。
物質なものとエーテル体とをまとうことによって、
人間が手に入れるものは、
人間が精神的世界のなかでそのまま発達し続けていたならば、
決して得ることができないようなものなのです。
したがって、私たちは、誕生した子どもを肉体的な目で眺めるのは別によいとしても、
子どもは一つの継続でもある、ということを意識したいと思います。


ルドルフ・シュタイナー「神秘学概論」




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