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2009.03.04 神の再発見
「東洋の神秘」という言葉は、西洋化した日本には該当しません。

おまけに、仏教国の日本では、
仏教者が、「霊魂不滅」と「神の実在」を否認しようとして、
意図的に「縁起」という名の唯物論を説き、国民を洗脳しつづけているのです。

しかし、時代は大きな変化を迎えています。

西洋唯物主義文明が音を立てて崩れ始めてきました。

人類は、神を再発見しようとしているのです。




ついこの間まで、私はあの、神を人間の空想の作った幻覚と見なし、
霊性の真理を単なるかすみ眼であり、幼稚な理想主義者たちの菓子として、
作られた方便にすぎないと見る連中の一人だったのだ。
私もまた、神学的パラダイスをこしらえて神の領地の管理人のような顔をして、
確信ありげに案内してまわる連中を見ると、何となくイライラした。
無批判な神学者たちの虚しい狂信的な努力と思われるものに対しては、
軽べつ以外の何ものをも感じなかったのである。
私はまだ、東洋の如何なる教義にも、忠誠を献げるという段階には到っていなかった。
実に、関係のある事柄は、知的にはすでにずっと前に学んでいた。
私はついに、神を新たに容認するに到ったのである。
これは大して意味のない、個人的な出来ごとと見えるかも知れないが、
堅い事実と冷たい理性に依存し、宗教的なものへの情熱を欠く現世代の子供として、
私はこれは大した業績だと思うのだ。
この信仰は、懐疑主義者がそれを取り戻し得るであろう、
たった一つの方法によって取り戻された。
議論によってではなく、圧倒的な経験の立証によって、である。
しかも、私の思想にこの徹底的な変化を起させたのは、一人の密林の賢者、
かつて六年間、山中の洞くつに住んでいたという、少しも気取らない隠者であった。
かれが大学入学試験をパスしないのは、十分あり得ることだ。

今は政治的動揺の風によって隠されてはいるけれど、
秘められたインドの霊的生命は尚、存在する。
私はこの書物の中で他の事柄、不思議なことや奇怪なことの立証もした。
いま、イギリスの片田舎のごくあたりまえの環境の中にすわり、
インクのリボンを通してこの物語をタイプしていると、
それらのことは信じられないような気もするのだ。
ほんとうに、懐疑的な世の人々に読ませようとして、
こんなものを書いている自分の無鉄砲さに驚いてしまう。
しかし私は、現在この世界を支配している唯物的な思想がいつまでも続くとは信じない。
すでに、来たるべき思想の変化の、予言的な徴候を認めることもできるのだ。

だが、はっきりと言うけれと、私は奇跡は信じない。
私と同じ世代の大方の人もそうだろう。
しかし、自然の法則に関するわれわれの知識が、
不完全なものであるということは確信する。
未探究の分野に進入しつつある進歩した科学の護衛兵たちが、
それらの法則のあと幾つかを発見したあかつきには、
われわれは、奇跡に等しいことを行ない得る、ということは確実である。


ポール・ブラントン「秘められたインド」




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