fc2ブログ
2009.04.14 霊魂の証明
昔から伝えられているあらゆる文献の中には、
霊魂の存在や死後の生について証明した説明がたくさんあります。

未だに、懐疑主義者はこれらを無視し続けています。

その証拠は、探せばいくらでも見つかるのです。




歴史家のフィックスはこうのべている。
「現在知られているすべての人種において、
信仰の最も古い形は、祖先崇拝すなわち死者の霊との接触である。
アフリカ、中国、日本、またヨーロッパ人種もアメリカ・ィンディアンも同様である。」
アレンは、彼の著書『文明の歴史』に、次のようにのべている。
「世界中の未開民族は、霊魂の不滅と霊界の存在を信じているようだ。
未開人は、来世をこの世のつづきと考えている。
また、自分のすぐ近くに神秘な力をもった第二の自分が存在していることを認めている。
この世での愛と憎しみは、霊界に伝えられる。」
孔子はこう言っている。
「死んだ人のことを悲しむな。故人は、愛情深い、忠実な友なのだ。
彼らはいつも私たちのそばにいる。」
ソクラテス、ヘロドトス、ソフォクレス、エウリピデス、プラトン、アリストテレス、
ホラティウス、ヴェルギリウス、プルタルコス、ヨセフス、ティロのマキシマスなど、
古代ギリシアやローマの文筆家たちは、
霊魂の存在をよく知られた事実として、くりかえしてのべている。
キケロは、「空はどこも人間でいっぱいなのではないか。
そこにまします神も、もとはといえば、この地上におられ、天にのぼられたのだ」と書いている。
原始キリスト教が霊魂の存在を認めていたことは、
聖アントニウス、教父テルトゥリアヌス、オリゲネス、
また彼らと同時代の人たちの著作にのべられている。
聖書は、霊魂の存在についてのべた話でいっぱいです。
「私たちは、このように多くの証人に雲のごとく取りかこまれている」(ヘブル書12章1節)。
「愛する者よ。すべての霊のいうことを信ずるな。
その霊が神より出たものかどうか、たしかめよ」(ヨハネの手紙第一、4章1節)。
「全うされた義人の魂」(ヘブル書12章23節)。
「われわれは肉の身体でまき散らされ、霊の身体でよみがえるのである。
最初にあったのは霊の身体でなく肉の身体であった。
その後に霊の身体が来るのである」(コリント人への第一の手紙、15章44・46節)。
聖書からは、この他にも、同じような言葉をいくらでも引用できる。
スウェーデンボルクは、この問題について何冊もの本を書いた。
またサムエル・ジョンソン博士は「私は霊の存在を信じない。
信じないどころか、これまであまりにも多くの霊を見すぎたから」と述べている。
シェークスピア、ミルトン、ワーズワース、テニソン、ロングフェロー、
その他多くの詩人たちが、その詩の中に、霊魂の存続についての深い理解を示している。
その他、クルックス教授、アルフレッド・ウォレス、オリヴァー・ロッジ卿、
アーサー・コーナン・ドイル卿、R・J・キャンベル師、副僧正コリー、ニュートン師、サベージ師、
W・T・ステッド、カミール、フラマリオン、バラグック博士、ジャネット博士、リシェ博士、 
ロンブローゾ、ホジソン博士、I・K・フンク博士、ジェームズ教授、ヒスロップ教授、
キャリントン博士など、近代の科学者、哲学者、牧師、医師、
その他の研究者の信頼しうる研究については、一般にもよく知られている。
『心霊現象の法則』の著者トムソン・J・ハドソン博士は、
「今日では、心霊現象を否定する者は懐疑主義者とよばれるにも値いしない。
彼らは単に無知であるにすぎない」と書いている。
ニューヨーク市の聖使徒パウロ・カトリック教会の教区牧師であるジョージ・M・サール博士は、
こう語っている。「霊魂の存在は、この問題について調査してきた科学者たちも、
広く認めていることである。これを迷信や妄想だという人は、もはや時代おくれである。」
イエズス会士のG・G・フランコは『カトリック市民社会』の中で、次のようにのべている。
「現代では、心霊的事実が現実に存在することを否定する者は、だれもいない。
もしいるとすれば、それは、地上に足をもって生きていながら、
脳だけは月の世界で暮しているような、ごく少数の者だけである。」
「心霊現象は、感覚を通してとらえることのできる外界の事実なのであって、
誰にでも容易にみることができるものなのだ。
この事実は、多くの学識があり信頼のおける人たちによって承認されている。
既に実証された事実についてこれ以上議論するのは、
全く無用なことだし、馬鹿げたことでもある。
この事実は、理性ある人びとからもたしかなこととされている。」


カール・ウィックランド「迷えるスピリットとの対話」




クリックして愚僧の活動に御協力ください。 
スポンサーサイト



この人を信じます。






クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2009.04.14 一羽の蝶
あるとき、一羽の蝶が花の上に休んでいました。
蝶は陽気で、羽のようにかろやかでした。
そのとき彼は、胸もはり裂けんばかりに泣いている芋虫に出会いました。
芋虫の泣くのを見て蝶の陽気な心は痛みました。

蝶は言いました。
「どうしたの?なにか助けてあげられることがある?」

「兄さんが死んじゃったんだ」と、芋虫は泣きじゃくりました。
「兄さんは前から具合がわるかったんだ。
今日見たら、悲しいことに、兄さんは死んで、脱けがらになってたんだ。」

「かわいそうな芋虫くん。泣くのはおよし。
君の病気だった兄さんは、死んではいないんだよ。
兄さんの身体はうんと強くなって、
みみずみたいにはいまわるのをやめて、空を飛んでいるんだ。
そして今は、日だまりの中で踊りながら、甘い花の蜜を吸って暮らしているんだよ。」

「あっちへ行け。嘘つきの悪党め。
おまえの住みかの風のところへ帰っちまえ。
おまえなんかいなくたって、ちっとも淋しくないんだ。
おまえのような嘘つきの顔なんか見たくない。
ぼくはそんなおとぎ話を信じるような馬鹿なナメクジやカタツムリとは違うんだ。」

「ぼくの言ったことは本当さ。きみは信じないんだね。
よくお聞きよ。そしてぼくをよく見てごらん。
ぼくがきみのその兄貴じゃないか。
元気で、ピンピンして、自由自在さ。
今にきみも、ぼくと一緒に、蝶の仲間に入って、空を飛ぶようになるんだよ。」

「ああ!」と、悲しんでいる芋虫は叫びました。
「ぼくには何でもはっきり見えるんだ。
お前は蜜を吸ってるお化けじゃないか。
きれいな羽なんかひらひらさせちゃって、
庭で勝手なことばかり、言ってやがる。
もう聞きたかないさ。」

蝶は、言い争うのをやめました。
「もう何も言わないよ」と言いました。
彼は美しい羽をひろげて、空へ昇り飛び去って行きました。
羽をひらひらさせた彼の姿が遠くなっても、
芋虫は、泣いていました。

G・V・オーエン




クリックして愚僧の活動に御協力ください。