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2009.04.19
光明思想
光明思想は、人生を切り開いていくための強力な武器です。
大丈夫、すべては、きっと上手くいく。
ある時は唯物論の書籍を、
ある時は唯心論の書籍を転々と乱読しているようなことでは、
その目標とする印象が混乱して互に相殺して、
確実な人生観も打ち建て得ないで、思想が混乱してくるのである。
その人の生活はその人の思想の具象化であるから、
思想が混乱して来れば、その人の生活も混乱して来るのである。
厭世思想の持主は始終病気をしているものである。
世界最大の厭世哲学を打ち建てたショーペンハウエルは、
始終慢性胃病で苦しんでいたのである。
思想は肉体となり境遇となり環境となり、
その人の住む世界となってあらわれて来るのである。
幸福な人生を送ろうと思ったならば、
人生本来幸福の哲学をその人の思想の奥にもたねばならない。
すなわち存在の実相は、
本来完全であるという光明哲学・実相哲学をもたなければならぬ。
根本に光明の哲学を把持しながら、
愉快に八方に創造の想念を派出するのである。
何よりも我々が把握しなければならない大切な人生観は、
一切の存在は神の創造であるから実相に於いて完全円満であり、
一切の悪は実在ではなく、妄想の具象化に過ぎないという人生観である。
このような人生観を常に把持するところの者は、
たとい如何なる困難があらわれて来ようとも、
光明面のみを見て、常に希望をもって困難をきりひらいて行くことができるのである。
光明の想念はその人の行動を左右し、
光明の想念はその人の精神波動を光明化し、
類似の明るい精神波動の人々を自分の身辺に引き寄せ、繁栄をともにすることができる。
そんな精神波動というような眼に視えないものは別としても、
光明の想念はその人の言葉や表情や態度を明るい気持のよいものにし、
その信念強き態度が人々から信頼されることになり、
益々、他の人々からの協力を得て、事業は発展し、
同志はふえることになり、繁栄は必ず来るのである。
谷口雅春「希望を叶える365章」
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大丈夫、すべては、きっと上手くいく。
ある時は唯物論の書籍を、
ある時は唯心論の書籍を転々と乱読しているようなことでは、
その目標とする印象が混乱して互に相殺して、
確実な人生観も打ち建て得ないで、思想が混乱してくるのである。
その人の生活はその人の思想の具象化であるから、
思想が混乱して来れば、その人の生活も混乱して来るのである。
厭世思想の持主は始終病気をしているものである。
世界最大の厭世哲学を打ち建てたショーペンハウエルは、
始終慢性胃病で苦しんでいたのである。
思想は肉体となり境遇となり環境となり、
その人の住む世界となってあらわれて来るのである。
幸福な人生を送ろうと思ったならば、
人生本来幸福の哲学をその人の思想の奥にもたねばならない。
すなわち存在の実相は、
本来完全であるという光明哲学・実相哲学をもたなければならぬ。
根本に光明の哲学を把持しながら、
愉快に八方に創造の想念を派出するのである。
何よりも我々が把握しなければならない大切な人生観は、
一切の存在は神の創造であるから実相に於いて完全円満であり、
一切の悪は実在ではなく、妄想の具象化に過ぎないという人生観である。
このような人生観を常に把持するところの者は、
たとい如何なる困難があらわれて来ようとも、
光明面のみを見て、常に希望をもって困難をきりひらいて行くことができるのである。
光明の想念はその人の行動を左右し、
光明の想念はその人の精神波動を光明化し、
類似の明るい精神波動の人々を自分の身辺に引き寄せ、繁栄をともにすることができる。
そんな精神波動というような眼に視えないものは別としても、
光明の想念はその人の言葉や表情や態度を明るい気持のよいものにし、
その信念強き態度が人々から信頼されることになり、
益々、他の人々からの協力を得て、事業は発展し、
同志はふえることになり、繁栄は必ず来るのである。
谷口雅春「希望を叶える365章」



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2009.04.19
生命の神秘
そろそろわたしたちも、
こう認める潮時ではないのだろうか―生命は、
科学者たちのたゆみない努力にもかかわらず、
本質的に神秘的なものであることに変わりなく、
それを真に意味あるかたちで理解するまでには、
まだ多くの意外な発見が待ち受けている、と。
わたしは、日々の科学的探究の地道な一歩一歩に、
驚異の念(センス・オブ・ワンダー)と興奮をおぼえつづける、
こういうアプローチが好きなのである。
驚異的な事実の次なる開示をわたしは心待ちにしている…。
わたしたちが悩んだり、糸口を突ついたり、
ときには理解しようとするあまりに、
対象を壊してしまうということ自体、
わたしたちの意識が成長しつつあることの証しである。
歩みは依然、遅々としたままだが、
着実に真理に近づいているようだ。
わたしたちが長く緊張を解いているような折には、
世界が自身を開示しはじめ、
この織物全体の本質とパターンについて、
ほのかな手がかりを見せてくれることがある。
そんなときにかいま見えるその姿は、
まさに心奪われるものである。
ライアル・ワトソン
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こう認める潮時ではないのだろうか―生命は、
科学者たちのたゆみない努力にもかかわらず、
本質的に神秘的なものであることに変わりなく、
それを真に意味あるかたちで理解するまでには、
まだ多くの意外な発見が待ち受けている、と。
わたしは、日々の科学的探究の地道な一歩一歩に、
驚異の念(センス・オブ・ワンダー)と興奮をおぼえつづける、
こういうアプローチが好きなのである。
驚異的な事実の次なる開示をわたしは心待ちにしている…。
わたしたちが悩んだり、糸口を突ついたり、
ときには理解しようとするあまりに、
対象を壊してしまうということ自体、
わたしたちの意識が成長しつつあることの証しである。
歩みは依然、遅々としたままだが、
着実に真理に近づいているようだ。
わたしたちが長く緊張を解いているような折には、
世界が自身を開示しはじめ、
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ほのかな手がかりを見せてくれることがある。
そんなときにかいま見えるその姿は、
まさに心奪われるものである。
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2009.04.19
度し難し
マスコミ報道に反して最近のJAPANは覚醒してる。
やばい。
みんな愛に生きはじめた。
そんななかで、
坊さんは、啓蒙活動よろしくスピリチュアル批判。
袈裟衣をつけて左翼運動。
恥かしすぎて、穴があったら入りたい。
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