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2009.06.24
チャンネル桜よ、お前もか
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2009.06.24
国師の提言
現代の仏陀は、これからの宗教のあり方について提言されています。
宗教家の本分は、人を救うことです。
私は、「福祉にいちばん適性のあるのは宗教である」と思います。
実際、宗教団体は、いろいろなところで福祉活動を行っています。
宗教にとって、いちばん適性があるのは福祉なのです。
これから日本は高齢化社会に入っていきます。
このままでは、老人の割合が、
人口全体の四分の一を超えて三分の一に近づくかもしれません。
子供たちが、家を継がなかったり、独立して親元を離れたりしているなかで、
国や地方公共団体に、「すべての老人の面倒を見なさい」と言うことには無理があります。
それに加えて、税金を納める人は減ってきています。
これは何かが失敗したのです。
したがって、「日本は、宗教のところに、もっと力を入れるべきだ」と私は思います。
今は、それが必要です。
宗教の活動を活発化していくことは非常に大事なのです。
宗教は、社会福祉に対しては非常に適性を持っています。
例えばマザー・テレサの活動を見ても分かるように、
「病人や貧しい人たちを救っていく」ということに対しては非常に適性を持ち、
ミッションを感じています。
ただ、日本には宗教団体が数多くあるのに、
それらが社会福祉の面で十分に機能しているとは言えないでしょう。
それは、「日本には、宗教に対して非常に偏見があったり、
後ろめたい目で宗教を見ていたり、宗教に入ることを嫌がったり、
宗教を否定したりしている人が、あまりにも多い」ということと表裏一体であると思うのです。
日本人は、「宗教を信じますか」と訊かれたら、
二、三割の人しか、「信じている」とは答えません。
お盆にお参りをするような、うっすらと信仰心を持っている人であっても、
五十から六十パーセントぐらいです。
唯物論に洗脳された結果、現在の日本人の信仰心は、その程度になってしまっており、
「自分は宗教を信じていない」と考えている人が数多くいます。
しかし、これからは、逆に、宗教の活発化、発展・繁栄を促していきたいと思います。
そして、国は、「全国の宗教団体のみなさん、もう少し社会福祉活動に力を入れてください。
国家も応援します。どうぞ、宗教団体でやれることは、やってください」と言うべきです。
宗教団体の手に余るようなことについては、国家が乗り出して行うべきですが、
孤独な老人を慰めたり、老人の孤独死を防いだりすること、
また、ある程度、体の不自由な人の世話をしたりすることも、
基本的には、宗教の活動のなかに取り込んでいけるものです。
地域のネットワークをつくっていけば、それは十分に可能なことなのです。
「国家が福祉を丸抱えで行うことが、非常に多額の税金を食うばかりでなく、
実際には福祉が行き渡らなくて不満ばかりが出る」ということであれば、
人々に対して、「一般社会における定年の年齢である六十歳ぐらいになったら、
どこかの宗教に所属してください」と私は勧めたいと思います。
老後は、あの世に行く時期も近いので、ある意味で、これは一挙両得です。
どうか、できるだけ、どこかの宗教に所属してください。
そして、その宗教は、できるだけ、努力して社会福祉に参画してください。
それは一種のNPO(非営利団体)のようなものです。
そうすれば、孤独な老人たちに活躍の場を与え、
人と話し合ったり付き合ったりする自由を与えることができます。
さらには、彼らのリハビリを手伝うこともできます。
例えば、「計算や漢字を学ぶ」「歌を歌う」「語学の勉強をする」「散歩をする」、
などといった活動を支援し、機能回復を促すことができます。
これは宗教団体でもできることなので、やはり、宗教団体にお願いすべきだと思います。
その意味においても、今後の高齢化社会において、宗教は非常に重要なものなのです。
国は、宗教を非常に否定的なもののように捉え、その活動を限定しようとするのではなく、
むしろ、宗教に対して、積極的に社会福祉的な活動をしてもらうように働きかけるべきです。
「老人、障害を持つ者、生活に苦しんでいる者、孤独な者などに対して、
活発にアプローチをし、お世話のできる体制をつくってください」と、
すべての宗教にお願いすべきだと思います。
これに関しては、「その宗教が、どの神を信じているか。
その宗教の教義がどのようなものであるか」というようなことは、それほど関係がないはずです。
そこに国家や裁判官などが立ち入る必要はないと思います。
できれば六十歳ぐらいで(実際には、もっと早いほうがよいとは思いますが)、
働いて自活できる“現役”の限界が近づいてきたら、
よいところを選んで、どこかの宗教には所属してください。
幸福実現党を旗揚げしている以上、所属する宗教として、
幸福の科学をお勧めしたいのは当然ですが、ほかの宗教にも、ある程度よいものはあります。
先祖代々の宗教、例えば浄土真宗や日蓮宗、真言宗などで、
「どうしても、この宗教で」というものがあれば、それでもかまわないと思います。
それぞれの宗派には、社会福祉のために、一肌、脱いでもらうことです。
その代わり、宗教に対する偏見や蔑み、悪口・雑言を控えてもらい、
社会が宗教に対する信頼や尊敬の念を持つ方向に持っていきたいと思います。
宗教は大事な役割を持っています。
私は、これからの社会福祉活動を担う使命を持っているのは宗教だと思います。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
宗教家の本分は、人を救うことです。
私は、「福祉にいちばん適性のあるのは宗教である」と思います。
実際、宗教団体は、いろいろなところで福祉活動を行っています。
宗教にとって、いちばん適性があるのは福祉なのです。
これから日本は高齢化社会に入っていきます。
このままでは、老人の割合が、
人口全体の四分の一を超えて三分の一に近づくかもしれません。
子供たちが、家を継がなかったり、独立して親元を離れたりしているなかで、
国や地方公共団体に、「すべての老人の面倒を見なさい」と言うことには無理があります。
それに加えて、税金を納める人は減ってきています。
これは何かが失敗したのです。
したがって、「日本は、宗教のところに、もっと力を入れるべきだ」と私は思います。
今は、それが必要です。
宗教の活動を活発化していくことは非常に大事なのです。
宗教は、社会福祉に対しては非常に適性を持っています。
例えばマザー・テレサの活動を見ても分かるように、
「病人や貧しい人たちを救っていく」ということに対しては非常に適性を持ち、
ミッションを感じています。
ただ、日本には宗教団体が数多くあるのに、
それらが社会福祉の面で十分に機能しているとは言えないでしょう。
それは、「日本には、宗教に対して非常に偏見があったり、
後ろめたい目で宗教を見ていたり、宗教に入ることを嫌がったり、
宗教を否定したりしている人が、あまりにも多い」ということと表裏一体であると思うのです。
日本人は、「宗教を信じますか」と訊かれたら、
二、三割の人しか、「信じている」とは答えません。
お盆にお参りをするような、うっすらと信仰心を持っている人であっても、
五十から六十パーセントぐらいです。
唯物論に洗脳された結果、現在の日本人の信仰心は、その程度になってしまっており、
「自分は宗教を信じていない」と考えている人が数多くいます。
しかし、これからは、逆に、宗教の活発化、発展・繁栄を促していきたいと思います。
そして、国は、「全国の宗教団体のみなさん、もう少し社会福祉活動に力を入れてください。
国家も応援します。どうぞ、宗教団体でやれることは、やってください」と言うべきです。
宗教団体の手に余るようなことについては、国家が乗り出して行うべきですが、
孤独な老人を慰めたり、老人の孤独死を防いだりすること、
また、ある程度、体の不自由な人の世話をしたりすることも、
基本的には、宗教の活動のなかに取り込んでいけるものです。
地域のネットワークをつくっていけば、それは十分に可能なことなのです。
「国家が福祉を丸抱えで行うことが、非常に多額の税金を食うばかりでなく、
実際には福祉が行き渡らなくて不満ばかりが出る」ということであれば、
人々に対して、「一般社会における定年の年齢である六十歳ぐらいになったら、
どこかの宗教に所属してください」と私は勧めたいと思います。
老後は、あの世に行く時期も近いので、ある意味で、これは一挙両得です。
どうか、できるだけ、どこかの宗教に所属してください。
そして、その宗教は、できるだけ、努力して社会福祉に参画してください。
それは一種のNPO(非営利団体)のようなものです。
そうすれば、孤独な老人たちに活躍の場を与え、
人と話し合ったり付き合ったりする自由を与えることができます。
さらには、彼らのリハビリを手伝うこともできます。
例えば、「計算や漢字を学ぶ」「歌を歌う」「語学の勉強をする」「散歩をする」、
などといった活動を支援し、機能回復を促すことができます。
これは宗教団体でもできることなので、やはり、宗教団体にお願いすべきだと思います。
その意味においても、今後の高齢化社会において、宗教は非常に重要なものなのです。
国は、宗教を非常に否定的なもののように捉え、その活動を限定しようとするのではなく、
むしろ、宗教に対して、積極的に社会福祉的な活動をしてもらうように働きかけるべきです。
「老人、障害を持つ者、生活に苦しんでいる者、孤独な者などに対して、
活発にアプローチをし、お世話のできる体制をつくってください」と、
すべての宗教にお願いすべきだと思います。
これに関しては、「その宗教が、どの神を信じているか。
その宗教の教義がどのようなものであるか」というようなことは、それほど関係がないはずです。
そこに国家や裁判官などが立ち入る必要はないと思います。
できれば六十歳ぐらいで(実際には、もっと早いほうがよいとは思いますが)、
働いて自活できる“現役”の限界が近づいてきたら、
よいところを選んで、どこかの宗教には所属してください。
幸福実現党を旗揚げしている以上、所属する宗教として、
幸福の科学をお勧めしたいのは当然ですが、ほかの宗教にも、ある程度よいものはあります。
先祖代々の宗教、例えば浄土真宗や日蓮宗、真言宗などで、
「どうしても、この宗教で」というものがあれば、それでもかまわないと思います。
それぞれの宗派には、社会福祉のために、一肌、脱いでもらうことです。
その代わり、宗教に対する偏見や蔑み、悪口・雑言を控えてもらい、
社会が宗教に対する信頼や尊敬の念を持つ方向に持っていきたいと思います。
宗教は大事な役割を持っています。
私は、これからの社会福祉活動を担う使命を持っているのは宗教だと思います。



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