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2009.06.27
国難到来
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2009.06.27
三時観
歴史上の仏陀の説かれた教えが、仏教です。
しかし、その教えを完全に理解することは不可能です。
仏弟子の悟りは、
仏陀在世時を頂点として、
正法の時代、像法の時代、末法の時代と下り坂となります。
故に、現代に伝わる仏法には、形だけでその味も香りも中身もありません。
でも、悲観する必要はありません。
だからこそ、転輪聖王(仏陀)は三千年に一度、世に出られるのです。
7世紀に記された玄奘の『大唐西域記』の讃にはこうあります。
如来がこの世に出られたと言うことは実に偉大なことであります。
その霊妙な感化は知らず識らずのうちに各所に及び、
その神妙な教法は隅々にまで通じ、
かくてその肉体はこの世から尽き、
その行動は塵界から跡を絶たれました。
肉体が尽きた後に機に応じてこの世に出られながらも、
肉体をもつ身としては生まれられず、
行動は跡を絶ち寂滅を示されたとは言うものの、
その霊威は滅することはありません。
どうしてカピラヴァストゥに生を受けサーラ林に入滅されるまでの間に止まりましょうか。
言うまでもなく如来は衆生の機根に応じて霊力を現じ、
囚縁に感じて出世された方で、クシャトリア種の血を受け継ぎ、釈迦族の継承者として、
人界の尊位を継ぐ身でありながら出家の道に専心された方であります。
かくて金輪王の地位を捨てて法界の王者として臨まれ、
白毫より光明をさし伸べて衆生を撫育されました。
その教法は十方にあまねく、その智慧は万物に行きわたり、
見聞し得る範囲外のものであってもその視聴に入る能力を具えられ、
法輪を大千世界に三転(四諦の在り方を示し、修行を勧め、仏自らを證とした示・勧・證)され、
仏陀本来の一音で衆生に弁を振るわれたが、
衆生はその機根に応じて悟りを開き、
八万の法門を区別し十二部の経法に要約されました。
かくて仏の感化の被う範囲は霊域にまでも及び、
その教化の盛行する地域は天界にまでも馳せるほどでありました。
まことに聖人賢者として業績は充実し、天人の師たる意義は完全であります。
しかしながら、サーラ林に入滅し、幻の如きこの現世を去られてからは、
人界に後継者もなく、みな空の教えを究めるものもありませんでした。
迦葉尊者が優れた阿羅漢を選び、仏恩に報じようとして仏陀の遺法を結集し、
雑一・中・長・雑の四阿含に教法の源流を総べ、
経・律・論の三蔵にその要義を包括されてより、
小乗二十部の部執異見が興ったとは言え、仏の正法は今も現存しております。
釈尊の生誕より寂滅に至るまで、その聖跡は至る所に及び、その霊瑞はさまざまでありました。
不滅の教法はますます盛大となり、無為の教えはいよいよ革新されて行き、
この間のことは経典に詳細に保存され、記伝に詳実に記載されております。
それでもなお、多くの意見が乱れ飛び、異論が対立流行しています。
その説の始終を仔細に見ますと、正確な説はほとんどありません。
具体的な実録でさえ、なお多くの議論がこのさまであります。
まして仏の正法は幽玄、その至理は深遠であり、
奥義を研究するにも文献に欠ける所多いとならば、なおさらのことであります。
こういうわけで学徳ある先輩は、逸失した経典の学を伝え、
俊秀の後進は闕逸した文書を受け継いだがために、
その大義は隠れて解明されず、精緻な言葉も闕文のため人に問うこともできませんでした。
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しかし、その教えを完全に理解することは不可能です。
仏弟子の悟りは、
仏陀在世時を頂点として、
正法の時代、像法の時代、末法の時代と下り坂となります。
故に、現代に伝わる仏法には、形だけでその味も香りも中身もありません。
でも、悲観する必要はありません。
だからこそ、転輪聖王(仏陀)は三千年に一度、世に出られるのです。
7世紀に記された玄奘の『大唐西域記』の讃にはこうあります。
如来がこの世に出られたと言うことは実に偉大なことであります。
その霊妙な感化は知らず識らずのうちに各所に及び、
その神妙な教法は隅々にまで通じ、
かくてその肉体はこの世から尽き、
その行動は塵界から跡を絶たれました。
肉体が尽きた後に機に応じてこの世に出られながらも、
肉体をもつ身としては生まれられず、
行動は跡を絶ち寂滅を示されたとは言うものの、
その霊威は滅することはありません。
どうしてカピラヴァストゥに生を受けサーラ林に入滅されるまでの間に止まりましょうか。
言うまでもなく如来は衆生の機根に応じて霊力を現じ、
囚縁に感じて出世された方で、クシャトリア種の血を受け継ぎ、釈迦族の継承者として、
人界の尊位を継ぐ身でありながら出家の道に専心された方であります。
かくて金輪王の地位を捨てて法界の王者として臨まれ、
白毫より光明をさし伸べて衆生を撫育されました。
その教法は十方にあまねく、その智慧は万物に行きわたり、
見聞し得る範囲外のものであってもその視聴に入る能力を具えられ、
法輪を大千世界に三転(四諦の在り方を示し、修行を勧め、仏自らを證とした示・勧・證)され、
仏陀本来の一音で衆生に弁を振るわれたが、
衆生はその機根に応じて悟りを開き、
八万の法門を区別し十二部の経法に要約されました。
かくて仏の感化の被う範囲は霊域にまでも及び、
その教化の盛行する地域は天界にまでも馳せるほどでありました。
まことに聖人賢者として業績は充実し、天人の師たる意義は完全であります。
しかしながら、サーラ林に入滅し、幻の如きこの現世を去られてからは、
人界に後継者もなく、みな空の教えを究めるものもありませんでした。
迦葉尊者が優れた阿羅漢を選び、仏恩に報じようとして仏陀の遺法を結集し、
雑一・中・長・雑の四阿含に教法の源流を総べ、
経・律・論の三蔵にその要義を包括されてより、
小乗二十部の部執異見が興ったとは言え、仏の正法は今も現存しております。
釈尊の生誕より寂滅に至るまで、その聖跡は至る所に及び、その霊瑞はさまざまでありました。
不滅の教法はますます盛大となり、無為の教えはいよいよ革新されて行き、
この間のことは経典に詳細に保存され、記伝に詳実に記載されております。
それでもなお、多くの意見が乱れ飛び、異論が対立流行しています。
その説の始終を仔細に見ますと、正確な説はほとんどありません。
具体的な実録でさえ、なお多くの議論がこのさまであります。
まして仏の正法は幽玄、その至理は深遠であり、
奥義を研究するにも文献に欠ける所多いとならば、なおさらのことであります。
こういうわけで学徳ある先輩は、逸失した経典の学を伝え、
俊秀の後進は闕逸した文書を受け継いだがために、
その大義は隠れて解明されず、精緻な言葉も闕文のため人に問うこともできませんでした。



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