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2009.07.13
預言者ゴータマ・ブッダ
宗教音痴のわが国においても、
近年の比較宗教学の世界では、
このような正しい仏教理解がされはじめています。
喜ばしいことです。
広い意味ではアニミズムとシャーマニズムは、ワンセットの宗教的あり方とも言えます。
少なくとも、両者は大きく重なっています。
というのも、シャーマンがトランス状態(神懸かり)となり、
接触、あるいは交信する相手は、神霊・精霊であったり、霊魂であったりと多様ですが、
全て日常的な感覚ではなし得ず、異常心理の状態を通じて、
そのような状況下において神霊・精霊等との交流がなされると言い得るからです。
つまり、シャーマニズムの前提には、そのような他者、
つまり神的存在が必要なわけですから、
アニミズム的な宗教観との重なりが大きいわけです。
しかも、この異常心理、非日常的な精神において、
神的なものと交流するという図式は、
現在に至るまで、多少のバラエティーはあるものの、その基本形態は変わりません。
例えば仏教の開祖ゴータマ・ブッダでさえ、
長く激しい苦行の果てに超越的な対象(ダルマ)との一体感を得ています。
これを仏教では悟りと言っていますが、
普遍化すれば、ダルマは他の宗教の神に当たりますし、
ブッダはこの超越的存在との交信、媒介者であるシャーマンと言うこともできます。
現にインドでは、「預言者ゴータマ・ブッタ」などと言う人もいます。
つまり、ゴータマ・ブッダは、
仏教という新しい交霊・交神(ダルマ)の教えを生み出した神の使い、という位置づけです。
こう考えるとセム族の宗教に出てくる多くの預言者たち、
キリスト教のイエスやイスラーム教のムハンマドも、
シャーマンという大きなくくりができます。
特に、ムハンマドは、神の言葉が降る時には、
冬でも汗をかき緊張したと言われています。
また、日本では卑弥呼以来女性のシャーマンが民族宗教の中心に君臨しました。
天理教や大本教では、女性のシャーマンがそれぞれの宗教の開祖になっています。
因みに仏教でも、日本で最初に出家したのは、司馬達等の娘嶋でした。
保坂俊司「癒しと鎮めと日本の宗教」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
近年の比較宗教学の世界では、
このような正しい仏教理解がされはじめています。
喜ばしいことです。
広い意味ではアニミズムとシャーマニズムは、ワンセットの宗教的あり方とも言えます。
少なくとも、両者は大きく重なっています。
というのも、シャーマンがトランス状態(神懸かり)となり、
接触、あるいは交信する相手は、神霊・精霊であったり、霊魂であったりと多様ですが、
全て日常的な感覚ではなし得ず、異常心理の状態を通じて、
そのような状況下において神霊・精霊等との交流がなされると言い得るからです。
つまり、シャーマニズムの前提には、そのような他者、
つまり神的存在が必要なわけですから、
アニミズム的な宗教観との重なりが大きいわけです。
しかも、この異常心理、非日常的な精神において、
神的なものと交流するという図式は、
現在に至るまで、多少のバラエティーはあるものの、その基本形態は変わりません。
例えば仏教の開祖ゴータマ・ブッダでさえ、
長く激しい苦行の果てに超越的な対象(ダルマ)との一体感を得ています。
これを仏教では悟りと言っていますが、
普遍化すれば、ダルマは他の宗教の神に当たりますし、
ブッダはこの超越的存在との交信、媒介者であるシャーマンと言うこともできます。
現にインドでは、「預言者ゴータマ・ブッタ」などと言う人もいます。
つまり、ゴータマ・ブッダは、
仏教という新しい交霊・交神(ダルマ)の教えを生み出した神の使い、という位置づけです。
こう考えるとセム族の宗教に出てくる多くの預言者たち、
キリスト教のイエスやイスラーム教のムハンマドも、
シャーマンという大きなくくりができます。
特に、ムハンマドは、神の言葉が降る時には、
冬でも汗をかき緊張したと言われています。
また、日本では卑弥呼以来女性のシャーマンが民族宗教の中心に君臨しました。
天理教や大本教では、女性のシャーマンがそれぞれの宗教の開祖になっています。
因みに仏教でも、日本で最初に出家したのは、司馬達等の娘嶋でした。
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