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2009.09.30 中共のゆくえ
とても勉強になりました。






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ちょ・・凄すぎの内容です。

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サヨク法案が次々と・・・(日本オワタ)。






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予想通り、映画「仏陀再誕」に反応して、
「仏陀は再誕などしない」という声が聞こえてきます。

その根拠は、
仏典に「修行完成者は二度と苦の生存を受けることがない」という記述が多く見られるからです。

一方で、釈迦は未来仏の出現を予言していたり、自身の過去世についても多く語っています。

また、清浄なる天人が、仏陀の教えを聞くために、
人間としてこの世に生まれてくることも説かれています。

菩薩や如来はカルマによる苦の輪廻からは解脱していますが、
自身の意思によって、人々を救うために転生してくることもよく知られています。

日本以外の仏教国では、
輪廻転生は仏教の基本概念であり、
仏陀はまた生まれ変わってくるという伝承も普通に信じられています。

愚僧も、やはり仏陀は生まれ変わってきていると思います。

法は過去にも未来にも説かれるはずなのです。

原始仏典にも、このようにあります。




さて、世尊は、比丘たちに告げて言われた。

「比丘たちよ、十方世界の多くの神々が、
如来と比丘僧団に会うために、集まっています。
比丘たちよ、過去において、
かの阿羅漢にして正自覚者となった世尊にもまた、
現在の私にあるように、これが最高のものであるとして神々が集まりました。

比丘たちよ、未来において、
かの阿羅漢にして正自覚者となる世尊にもまた、
現在の私にあるように、これが最高のものであるとして神々が集まるはずです。

比丘たちよ、天群衆の名前を述べることにします。
比丘たちよ、天群衆の名前を讃えることにします。
比丘たちよ、天群衆の名前を示すことにします。
それを聞き、よく考えなさい。」


パーリ原始仏典長部第20経「大集会経」




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安部麻生と夢を見た。
谷垣?
次なる夢を見させてくれる人はもうあなたしかいない。






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アマゾンで見つけた本邦初邦訳の原始仏典「餓鬼事経」の珠玉のレビューです。

コピペ
死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説 (単行本)
藤本 晃 (著)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
餓鬼(幽霊)が語る善悪の果報、全51話。
前世で悪業をなして餓鬼界に生まれた者すなわち幽霊が、人間の前に姿を現わして、
前世の悪業と今受けている苦しみの果報を述べ、悪因苦果の因果応報を自ら証明する。
善事と功徳廻向の大切さを明かす経典。
重要な年中行事“施餓鬼会”の源流『餓鬼事経』の本邦初の全訳。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
藤本 晃
1962年2月山口県生まれ。1985年3月学習院大学哲学科卒業。
1987年3月龍谷大学修士課程(仏教学)修了。
1993年6月カナダ・カルガリー大学修士課程(宗教学)修了。
2002年7月広島大学より博士号(文学)授与。
現在、浄土真宗本願寺派誓教寺住職
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

おすすめ度
5つ星のうち 5.0 (2件のカスタマーレビュー)

10 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 幽霊や霊界のことがよく分かる「お経」, 2007/11/30
By 諸行無常
読みました。訳文がこなれていて、純粋に物語を楽しめました。
しかもその内容は、どれも善悪の果報をさらりと教えています。
これこそ学校の道徳の教科書に取りあげてほしい! 

ジャータカがイソップ物語の原形になったという指摘をよく聞きますが、
ジャータカと同じ頃に編集されたこの物語の中にも、盂蘭盆経の原形になったお話や、
浦島太郎物語のモチーフ?というようなお話、
そのほか、天界探訪譚とか悪徳の王様が餓鬼に出会って改心するお話などが盛り沢山でした。

餓鬼(幽霊)の特徴と、その対処の仕方もよく分かりますので、
テレビのオカルト番組などが本物かデタラメかも、すぐに分かります。
そんなこんなで、けっこう、エンターテイメントな「小説」みたいに楽しめます。


7 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 『餓鬼事経』の本邦初の全訳, 2008/6/21
By arika106 (宮城県)
ケチについて調べようとしていたら、
藤本博士の「死者たちの物語(『餓鬼事経』和訳と解説)」が手に入って読み終えた。
「『餓鬼事経』の本邦初の全訳」とある。
いわゆる餓鬼道に落ちた者たちについてのお経である。全部で51話。
判りやすい日本語で、難しい漢文ではない。
仏教はウソはつくなという教えだから、これらの話がまったくのウソであるとは思えない。

このお経によるとどうもケチは餓鬼道に落ちるらしい。
また猟師や漁師などのように殺生を繰りかえすもの、
あるいは嘘つき、盗み、不倫をしたものなども行くところのようだ。
しばらくは人間界に近いところにいて、務めが終わると、地獄に直行するようだ。
餓鬼道にいるときだけ人間とコンタクトが取れて、
人間からの功徳回向を受けることが出来るという。

またお盆の起源は、『仏説盂蘭盆経』という漢文のお経で、
私は大乗仏教が自分たちの都合がいいように作り上げた偽経であると考え、
お盆の行事をあまりよくは思っていなかった。
ところがこの『餓鬼事経』の『舎利弗の母(第14話)』がその原型であるという。
目連尊者の実の母ではなく、
舎利弗尊者の四つ前の生での母が餓鬼道に堕ちていた話であるようだ。

ここで大事な話であるが、「『盂蘭盆経』にかぎらず、
お布施などの善行為をおこなって功徳回向して、餓鬼に生まれている、
あるいは他のどこに生まれていても、誰であれ先祖の供養をすることは、
仏教では教主釈尊以来の、あたりまえの利他行です。
しかもその利他行が、功徳回向する施主のためにもなりますから、
自利行も兼ねているのです。」という博士の解説がある。

実は前に藤本博士の「功徳はなぜ回向できるの?」を読み終えていたが、
あまり気にしていなかった。
この本は「ジャーヌッソーニ章(増支部V269ff)」を基にしている。
「お釈迦様はまず、
「親や親族が『亡くなってから供養する』のでは遅すぎる」とおっしゃっています。
親が生きているうちから、自分を生み育ててくれた両親を尊敬し孝養をつくすことが、
ほんとうの「供養」だとおっしゃるのです。
いわゆるふつうの「親孝行」が、先祖供養の原点なのです。(p20)」という。

しかしながらすでに亡くなってしまった「先祖は供物を受け取れない(p23)」が、
「功徳なら受け取れるかも(p26)」しれないので、
お釈迦様にお聞きしたところ「餓鬼道に住む者には、布施の功徳はためになります。
この餓鬼道が、布施の功徳が役に立つ適切な境遇です(p32)」というお答えであるとのこと。

だがちろん人間と同じものは食べられない。
功徳を回向することによってのみ受けることが出来る。
仏壇にいくらおいしそうなものを並べてもどうにもならない。

ここで先祖供養についてもうひとつの注意点があって、
「人間のほうが気づいたり思い出してくれないと、
餓鬼には、自分の力ではどうにもすることができません。
悪業の苦果が尽きるまで我慢するしかありません。
ですから人間こそが、なるべく先亡者のことを思い出して、彼らを指定して、
お布施などの善行為をするべきなのです。
・・・・・回向する相手を一切衆生にまで広げると、
・・・・施主の回向の気持ちが最大級にまで広がりますので、
施主の心に生まれる回向の福徳も最大級になるのです。(『死者たちの物語(p48)』」とある。

ただし「おこないや性格のよくない者たちにたくさんの布施をしても、
果報は少なく、施主を満足させません。
・・・・・徳の高い、布施を受けるにふさわしい人に、
心を込めてほんのわずかな善行為でもおこなうならば、その果報は膨大なものとなります。
・・・布施はよく選別して行うべきです(P158)・・・・『餓鬼事経(第21話:アクラ』」。
やはりね。お布施の受け手が受けるに値しないと、功徳回向が成立しないこともあるという。

また『功徳はなぜ回向できるの?』で「功徳回向」も厳密に、
「自業自得」で「因果法則」に例外はないという。
「厳密に自業自得なら、だれかに功徳を回向してもらって、
・・・他人の功徳で救われるということはありえないのではないか?」という問いに対して、
「功徳は自分の心に生まれる」心のエネルギーだから、
物質のように誰かにあげることも出来ないし、受け取ることも出来ない。
しかし「心の共鳴」によって、「自分の心に他人の心が共鳴するように、
ほかの人を誘い込むことも出来ます。」

「善行為に共鳴する鍵は『喜び』」で、
「自分のためにおこなわれた(自分に回向された)その布施という善行為に気づいて、
それに共鳴して、その善行為を人間と一緒に、素直に、喜んでいたのです。
・・・・この「随喜」という善の心から功徳が生まれ、
その功徳によって、餓鬼は救われていたのです。」

さらに「布施と回向は別々の善業」で、
「回向した相手が回向に気づいてくれなくても、気づいても随喜してくれなくても、
相手に功徳が生まれないだけで、回向したこちらの功徳は、
それによって減ることもなくなることもありません。
相手も自業自得、こちらも自業自得なのです。」
でも「餓鬼だけが回向によって救われるとしても、
回向は人間界をはじめ天界にも畜生界にも、地獄界にさえも、振り向けるべきです。
善行為の心をすべての生命に振り向けようとすると、
それだけ大きな、強い心をつくる必要があります。
「一切衆生に回するぞ」という気持ちが、回向する人の善の心を確実に大きく、
強くしてくれます。善の心を一切衆生にまで回向する人の心の波動を、
・・・・・・天人も、あるいは同じ肉体的な次元に生きる人間同士や畜生にも、
その優しい心を感じて、共鳴して、いっしょに喜んでくれます。
善行為を一切衆生に回向する人は、まわりの生命からも温かく受け入れられ、
守ってもらえるのです。(『死者たちの物語(p100~103)』」

わかりました。
とてもいろいろたくさんの大事なことを教わった。
必要なものが向こうから現れてくれるようだ。
ケチの根性にいつまでもぐずぐずしてはいられない。
今日は関西新精舎設立基金を送金した。
一切衆生が幸せでありますように。

コピペ終り




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幸福実現党は、
この世とあの世を貫く幸福、全人類救済の理想を掲げている。

当然、愚僧は坊主であるから、
そのような素晴らしい政党である幸福実現党を熱狂的に応援している。

しかし、なかなか、その運動は思うようには展開しない。

どれほど崇高で斬新な理念を訴えていても届かないのだ。

この世にどっぷりとつかっている人々には、全く逆に見えてしまう。

何をいっているか、全く理解できないのだ。

頭がおかしいカルトとしかうつらないようだ。

宗教者である坊さんにもそういう輩がたくさんいるのだから、いわんや・・・。

これはもう亀のごとく歩むしかないのだろう。

こつこつと実績を積み上げる、それが王道だ。

この世はかくも、もどかしい。




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2009.09.27 母の死に想う
人間の本質は肉体ではなく霊であることは知っている。

でも、人の死は悲しい。

今生の別れは辛い。

触れ合うことや会話が出来ないのは寂しい。

愛別離苦とはよく言ったものだ。

死は終りではないと聞いても、とにかく故人はもう目に見えない以上、不安になる。

魂やあの世は誰にも証明のできないものだ。

他にも、目に見えない電波や素粒子のなどの存在はあるが、

実験科学がそれを保障してくれているので疑うことはない。

神仏や霊魂など、世の常識が否定しているのに本当にそんなものがあるのだろうか?

これは自然な疑問である。

その不安や疑問を超えていくには、やはり信仰しかない。

信仰によって彼岸に渡るのだ。

仏陀が再誕している今世で悟りにチャレンジするのだ。

日々、精進します。




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人生、わずか二万数千日。






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友愛ごっこは止めてください。






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