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2009.11.05
愚かな僧
愚僧は、時々、自己嫌悪の塊となります。
いつも、えらそうにブログに書いていても、周りの人一人でさえ幸せに出来ない自分。
僧侶という仕事に誇りと自信が持てない自分。
将来への不安と恐怖を感じる自分。
己の資質や能力を疑う自分。
過去が恥かしくてたまらない自分。
自分のすべてが嫌いになり、生きている価値なし、と考えることもしばしばです。
これらを克服するためには、小さな成功体験、実績を積み上げていくしかありません。
日々精進します。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
いつも、えらそうにブログに書いていても、周りの人一人でさえ幸せに出来ない自分。
僧侶という仕事に誇りと自信が持てない自分。
将来への不安と恐怖を感じる自分。
己の資質や能力を疑う自分。
過去が恥かしくてたまらない自分。
自分のすべてが嫌いになり、生きている価値なし、と考えることもしばしばです。
これらを克服するためには、小さな成功体験、実績を積み上げていくしかありません。
日々精進します。



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2009.11.05
悪魔の唯物論
いまだ、この時代を支配している唯物論。
この思想に汚染されると、
人々は破壊と闘争に走り、欲望は肥大化し、堕落と退廃の道を選ぶようになる。
唯物論を国是とした共産主義国家はいかなる末路をたどったか。
例外なく、国民は不幸のどん底にたたき落とされた。
かくして思想実験は大失敗に終わった。
その哲学的意味合いは、以下のように病的で絶望的なものである。
1.いかなるもつべき価値のある神も存在しない。
2.死後の生命は存在しない。
3.倫理のいかなる究極の根拠も存在しない。
4.人生のいかなる究極の意味も存在しない。
5.人間の自由意志は存在しない。
何の益もない唯物論は、もう終わっていてしかるべきであろう。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
この思想に汚染されると、
人々は破壊と闘争に走り、欲望は肥大化し、堕落と退廃の道を選ぶようになる。
唯物論を国是とした共産主義国家はいかなる末路をたどったか。
例外なく、国民は不幸のどん底にたたき落とされた。
かくして思想実験は大失敗に終わった。
その哲学的意味合いは、以下のように病的で絶望的なものである。
1.いかなるもつべき価値のある神も存在しない。
2.死後の生命は存在しない。
3.倫理のいかなる究極の根拠も存在しない。
4.人生のいかなる究極の意味も存在しない。
5.人間の自由意志は存在しない。
何の益もない唯物論は、もう終わっていてしかるべきであろう。



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