2009.12.31
自助の精神
労働者というものは、職業の違いによらず、
本来みな有用な人間となろうとし、高潔な人間になろうとし、
体面を保てる人間になろうとし、幸福な人間となろうとするものだ。
たいていの労働者は、またみな倹約家になろうとし、徳行を積もうとし、
よい境遇を得ようとし、知識人であろうとする。
思うに、人が毎日働いて生活しなければならないことは神の律法であって、
それに従うものが智者であり正義の人である。
神の意志として、倹約せず、満足せず、聡明でなく、
幸福でない種類の人として、労働者たちが創造されたのではない。
それはただ人間の意志が薄弱で、自助の精神を知らず、
私欲に負け、神の心から離れて、智者・義人になることができなかっただけである。
それゆえ労働者としては、どのようなことがあっても、
健全な自助の精神を発揮すれば必ず出世することができるだろう。
それは、他人を倒すことによって自分を高くするのではない。
むしろ彼らを等しく高い地位へと引き上げ、
共に競って、宗教、知性、美徳の水準を向上させることなのだ。
モンテーニュはこう言っている、
「すべての道徳哲学は、最も優れた人にも適用でき、
それと同時にありふれた個人にも適用できる。
思うに、各人は自分自身の内に人間としての条件をすべて備えており、
一つも欠けたものはないのだ」と。
S・スマイルズ「自助論」
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本来みな有用な人間となろうとし、高潔な人間になろうとし、
体面を保てる人間になろうとし、幸福な人間となろうとするものだ。
たいていの労働者は、またみな倹約家になろうとし、徳行を積もうとし、
よい境遇を得ようとし、知識人であろうとする。
思うに、人が毎日働いて生活しなければならないことは神の律法であって、
それに従うものが智者であり正義の人である。
神の意志として、倹約せず、満足せず、聡明でなく、
幸福でない種類の人として、労働者たちが創造されたのではない。
それはただ人間の意志が薄弱で、自助の精神を知らず、
私欲に負け、神の心から離れて、智者・義人になることができなかっただけである。
それゆえ労働者としては、どのようなことがあっても、
健全な自助の精神を発揮すれば必ず出世することができるだろう。
それは、他人を倒すことによって自分を高くするのではない。
むしろ彼らを等しく高い地位へと引き上げ、
共に競って、宗教、知性、美徳の水準を向上させることなのだ。
モンテーニュはこう言っている、
「すべての道徳哲学は、最も優れた人にも適用でき、
それと同時にありふれた個人にも適用できる。
思うに、各人は自分自身の内に人間としての条件をすべて備えており、
一つも欠けたものはないのだ」と。
S・スマイルズ「自助論」



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2009.12.31
天つ神々に同調せよ
日本が世界に誇る大数学者の岡潔先生は、
戦後の日本のあり方を深く憂慮して、警鐘を乱打されたのです。
戦後日本からは、国体そのものであるべき宗教が排除されて今に至ります。
民主党が与党になり、この傾向はますます強まっています。
このままでは、本当に岡潔先生の予言どうりになってしまいます。
今こそ、その警告を真摯に受け止めるべきです。
日本的菩薩道と神の実在を信じる心と、
不生不滅―日本民族の場合は生死も何ぞ関せんとの三つ、
これは日本的菩薩道の一緒に要約することもできるようであるが、
それが万世一系の皇統護持の国民感情になっているのである。
これは敗戦とともにふっと消えたのであるが、よって来るところは久しいであろう。
それをみとめようとしているのである。
明治に入って、西洋文明がどんどん入ってきた。
もちろん自然科学も入ってきた。
自然科学とはどういうものかというと、
「ごく簡単な自然の模型を考えて、それを科学する学問」である。
しかしこうしてわかるものは物質現象、それもごく簡単なものだけに限られている。
生命現象は身辺の知覚、運動さえ少しもわかっていない。
人はこの模型の中で見ているのではない。
まして真善美はこんな模型の中にはない。
真善美は人の心の中にあるのである。
真善美は人の世を遠く離れて秋の空の限りなく深いようなものである。
これが宗教的情操の基礎である。
自然科学ですべてがやがてわかるとしか思えないことを物質主義というのであるが、
このイズムは宗教的情操を消してしまう。
また物質主義は五尺のからだを自分だとしか思えないようにしてしまう。
ほんとうはそのなかに自然を浮かべ、人の世をうかべ、
五尺のからだとその機能としての心理とを浮かべている広々とした心が、
ほんとうの自分なのであって、これを自覚しているのが菩薩なのであるが、
物質主義は個人主義(五尺のからだが自分だとしか思えないこと)を生んで、
人を菩薩から非常に遠いものにしてしまう。
そうすると必然、自分は不生不滅だとはどうしても思えない。
そうなると、明治以前でもそうだったのだが、いっそういちじるしく、
人は人道中の四悪道(地獄)に流至する。
現状のままであると、人類は間もなく自滅する。
その先がけとして、日本が真先に滅びる。
そして日本が滅びたら、人類が滅びるのを防ぎようがない。
本当に認識することが出来るのは情だけであるのに、
情を自分だと思っているのは日本人だけだからである。
そこで、天つ神々は無明退治を本格的に始めた。
日本人はこの天つ神々の企てに同調すべきである。
どうすることが一番大切かというと、
教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えることだと知って、
それを出来るだけ早く実行することである。
今は、生まれたら困るような者は日本人として生まれることを天つ神々は許しはしない。
そのため、甚だしく無明で心の濁った者は生まれてこない。
だからこれをあまり濁さないように育てさえすればよいのである。
人がこの点にさえ同調するならば、七十年もすれば日本という水槽の水は入れ替わってしまう。
そして国の心の世界に無明という濁りはほとんどなくなってしまう。
そうなればあとは簡単である。
まず第一に、祭政一致の政治を実現しなければならない。
祭政一致の政治という言葉は古くから日本にあるが、実現されたことはこれまでに一度もない。
だいたい人間に人間が治められるわけがない。
祭政一致の政治とは、天つ神々が人間たちを治める政治である。
これまで政治が非常にうまくいった例が世界に一つだけある。
中国の堯・舜が世である。
中国人がみればこの二つの治世は対等にみえるらしいが、
日本人がみれば舜の治世のほうがよい。
このように舜の世の政治が非常にうまくいったのは、帝舜が天つ神だったから出来たのである。
天つ神が人を治めるということ以外、人の世はどうにも治めようがない。
しかしこれを一代で終わらせないで、
長く続けようとすると祭政一致の政治より仕方がないのである。
この基盤ができたら、次には、これも今まで人類が実現しようとしてできなかった、
文化というものをその上に建設していかなければならない。
文化とは道徳、学問、芸術をいうのであるが、西洋人は学問、芸術を文化といっている。
すなわち道徳抜きの文化である。
そしてそのために人類は滅亡に瀕しているのである。
自粛をし、教育を改め、祭政一致の政治をし、正しい文化を建設することが急務である。
だいたい三百年くらいでできるだろう。
そうなれば、天つ神々の無始曠劫来の悲願が初めて形をとることになるのである。
多分そうなると思うが、一つ間違えば人類の全滅である。
「日本の国という水槽の水の入れ替え方」
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戦後の日本のあり方を深く憂慮して、警鐘を乱打されたのです。
戦後日本からは、国体そのものであるべき宗教が排除されて今に至ります。
民主党が与党になり、この傾向はますます強まっています。
このままでは、本当に岡潔先生の予言どうりになってしまいます。
今こそ、その警告を真摯に受け止めるべきです。
日本的菩薩道と神の実在を信じる心と、
不生不滅―日本民族の場合は生死も何ぞ関せんとの三つ、
これは日本的菩薩道の一緒に要約することもできるようであるが、
それが万世一系の皇統護持の国民感情になっているのである。
これは敗戦とともにふっと消えたのであるが、よって来るところは久しいであろう。
それをみとめようとしているのである。
明治に入って、西洋文明がどんどん入ってきた。
もちろん自然科学も入ってきた。
自然科学とはどういうものかというと、
「ごく簡単な自然の模型を考えて、それを科学する学問」である。
しかしこうしてわかるものは物質現象、それもごく簡単なものだけに限られている。
生命現象は身辺の知覚、運動さえ少しもわかっていない。
人はこの模型の中で見ているのではない。
まして真善美はこんな模型の中にはない。
真善美は人の心の中にあるのである。
真善美は人の世を遠く離れて秋の空の限りなく深いようなものである。
これが宗教的情操の基礎である。
自然科学ですべてがやがてわかるとしか思えないことを物質主義というのであるが、
このイズムは宗教的情操を消してしまう。
また物質主義は五尺のからだを自分だとしか思えないようにしてしまう。
ほんとうはそのなかに自然を浮かべ、人の世をうかべ、
五尺のからだとその機能としての心理とを浮かべている広々とした心が、
ほんとうの自分なのであって、これを自覚しているのが菩薩なのであるが、
物質主義は個人主義(五尺のからだが自分だとしか思えないこと)を生んで、
人を菩薩から非常に遠いものにしてしまう。
そうすると必然、自分は不生不滅だとはどうしても思えない。
そうなると、明治以前でもそうだったのだが、いっそういちじるしく、
人は人道中の四悪道(地獄)に流至する。
現状のままであると、人類は間もなく自滅する。
その先がけとして、日本が真先に滅びる。
そして日本が滅びたら、人類が滅びるのを防ぎようがない。
本当に認識することが出来るのは情だけであるのに、
情を自分だと思っているのは日本人だけだからである。
そこで、天つ神々は無明退治を本格的に始めた。
日本人はこの天つ神々の企てに同調すべきである。
どうすることが一番大切かというと、
教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えることだと知って、
それを出来るだけ早く実行することである。
今は、生まれたら困るような者は日本人として生まれることを天つ神々は許しはしない。
そのため、甚だしく無明で心の濁った者は生まれてこない。
だからこれをあまり濁さないように育てさえすればよいのである。
人がこの点にさえ同調するならば、七十年もすれば日本という水槽の水は入れ替わってしまう。
そして国の心の世界に無明という濁りはほとんどなくなってしまう。
そうなればあとは簡単である。
まず第一に、祭政一致の政治を実現しなければならない。
祭政一致の政治という言葉は古くから日本にあるが、実現されたことはこれまでに一度もない。
だいたい人間に人間が治められるわけがない。
祭政一致の政治とは、天つ神々が人間たちを治める政治である。
これまで政治が非常にうまくいった例が世界に一つだけある。
中国の堯・舜が世である。
中国人がみればこの二つの治世は対等にみえるらしいが、
日本人がみれば舜の治世のほうがよい。
このように舜の世の政治が非常にうまくいったのは、帝舜が天つ神だったから出来たのである。
天つ神が人を治めるということ以外、人の世はどうにも治めようがない。
しかしこれを一代で終わらせないで、
長く続けようとすると祭政一致の政治より仕方がないのである。
この基盤ができたら、次には、これも今まで人類が実現しようとしてできなかった、
文化というものをその上に建設していかなければならない。
文化とは道徳、学問、芸術をいうのであるが、西洋人は学問、芸術を文化といっている。
すなわち道徳抜きの文化である。
そしてそのために人類は滅亡に瀕しているのである。
自粛をし、教育を改め、祭政一致の政治をし、正しい文化を建設することが急務である。
だいたい三百年くらいでできるだろう。
そうなれば、天つ神々の無始曠劫来の悲願が初めて形をとることになるのである。
多分そうなると思うが、一つ間違えば人類の全滅である。
「日本の国という水槽の水の入れ替え方」



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2009.12.30
年末TV番組より100倍面白い
2009.12.29
大いなる自己
無我に生きるということは、小我を捨て大我に生きることでもあります。
自我我欲・執着を離れたところにこそ、大いなる愛は宿るのです。
使命に目覚めた人(悟りたる人)とは、無我に生きる人のことなのです。
「大いなる自己」が、
進化をある特定の方向へと導かなければならない重大な時期に、
自由意志が問題になることがあります。
「大いなる自己」は、
ある特定の方向を私たちに示すために困難をつくり出すことがあるように、
私たちの選択の舵をとるために世界的なレベルで困難をつくり出すことがあります。
「大いなる自己」は意図したとおりに計画を進めるために、
可能なかぎりあらゆる方法を使います。
この世界で私たちが経験している困難のいくつかはカルマによるものです。
それらは以前の行動の結果、ときには別の世代の、
別の生涯での行動の結果である場合もあります。
その他の困難は、世界を別の方向へと動かすために、
「大いなる自己」によってつくり出されます。
しかしながら、今日の世界での困難や苦しみのほとんどは、
自由意志の見当違いの使い方によってつくり出されています。
自我との同一化は役に立たないだけでなく、
個人的なレベルでも世界的なレベルでも苦しみをつくり出します。
権力者が自我と同一化している場合は特にそうです。
私たちが悟りを開いた(目覚めた)指導者を持つまで、
世界は戦争や残虐行為を経験し続けます。
悟りを開いていない指導者たちは、
自我との同一化と権力が組み合わさったときにどのようなことができるかを私たちに示し、
私たちは彼らの行為によって生み出された苦しみから学ぶことになるのです。
世界の役に立つためにあなたができる最も重要なことは目覚めることです。
この世界の邪悪と苦しみのすべては自我との同一化の結果であり、
それは私たちを条件づけに縛りつけ、
私たちの時間とエネルギーをより満足感の得られること、
―私たちの人生の課題―に費やす能力を制限します。
より偉大な計画が意図されたとおりに展開するためには、
私たちの誰もが人生の目的を達成する必要があります。
ジーナ・レイク「根本的な幸せへの道」
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自我我欲・執着を離れたところにこそ、大いなる愛は宿るのです。
使命に目覚めた人(悟りたる人)とは、無我に生きる人のことなのです。
「大いなる自己」が、
進化をある特定の方向へと導かなければならない重大な時期に、
自由意志が問題になることがあります。
「大いなる自己」は、
ある特定の方向を私たちに示すために困難をつくり出すことがあるように、
私たちの選択の舵をとるために世界的なレベルで困難をつくり出すことがあります。
「大いなる自己」は意図したとおりに計画を進めるために、
可能なかぎりあらゆる方法を使います。
この世界で私たちが経験している困難のいくつかはカルマによるものです。
それらは以前の行動の結果、ときには別の世代の、
別の生涯での行動の結果である場合もあります。
その他の困難は、世界を別の方向へと動かすために、
「大いなる自己」によってつくり出されます。
しかしながら、今日の世界での困難や苦しみのほとんどは、
自由意志の見当違いの使い方によってつくり出されています。
自我との同一化は役に立たないだけでなく、
個人的なレベルでも世界的なレベルでも苦しみをつくり出します。
権力者が自我と同一化している場合は特にそうです。
私たちが悟りを開いた(目覚めた)指導者を持つまで、
世界は戦争や残虐行為を経験し続けます。
悟りを開いていない指導者たちは、
自我との同一化と権力が組み合わさったときにどのようなことができるかを私たちに示し、
私たちは彼らの行為によって生み出された苦しみから学ぶことになるのです。
世界の役に立つためにあなたができる最も重要なことは目覚めることです。
この世界の邪悪と苦しみのすべては自我との同一化の結果であり、
それは私たちを条件づけに縛りつけ、
私たちの時間とエネルギーをより満足感の得られること、
―私たちの人生の課題―に費やす能力を制限します。
より偉大な計画が意図されたとおりに展開するためには、
私たちの誰もが人生の目的を達成する必要があります。
ジーナ・レイク「根本的な幸せへの道」



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2009.12.28
差別の裏にタブーあり
2009.12.27
Happiness Letter
本日このようなメルマガが到着しました。
読んで、希望の光が見えました。
幸福実現党がんばれー。
また、応援の日々が始まる。
コピペ
皆さま、おはようございます!
今、全国で次々と幸福実現党の政治活動が再始動しています!
先日、西東京地区の立川、国分寺、調布、三鷹、八王子、福生、
ひばりヶ丘などで「一斉街頭活動」が行われました!
調布駅で街宣活動に臨んだ辻村ともこさんは、8月の総選挙で東京22区より立候補して以来、
選挙区だった調布市などを中心に政治活動を続けています。
調布市の党員の方より届いた「一斉街宣day」における辻村さんの活動の様子をお届け致します!
【街宣活動レポート】
当日は、晴天に恵まれ、辻村ともこさんの辻立ち&桃太郎等、すべて大成功のうちに終了しました!
調布駅に「幸福実現党」旗が30本林立し、堂々の演説が始まりました!
※詳細は「幸福実現党News(党員版)」2010年1月号に掲載されます。圧巻です!
辻村さんは、カゼ気味でありながらも、いつもの“ともこスマイル”で、
力強く「未来を守る幸福実現党」の再始動を告げ知らせました!
学校教育の問題、経済問題、国防のあるべき姿……民主党政権の問題点を挙げつつ、
「自由」と「繁栄」を実現する幸福実現党の政策を訴えました。
「幸福実現News」の受け取り率もかなり高く、
辻立ちだけで「Newsリピーター」(機関誌「幸福実現党News」の定期購読登録者)が4名誕生しました!
その際、
「民主党政権に期待していたが、政策が二転三転しており、信頼できない。
幸福実現党は筋が一本通っている」
「幸福実現党の政策は期待できる」といった嬉しいお声も頂きました。
辻立ちが終わった後は、ともこさん&約10名ほどで、おなじみ天神商店街へ!
「衆院選ではお世話になりました!」と言ってまわると、「お~、来たかぁ!」と喜んでくださり、
商店街の皆さまと久々の交流を深めると共に、
カゼ気味のともこさんのお体を気遣ってくださる店主の方もおられました。
酒屋のご主人からは、
「こいつ(奥様)は、幸福実現党に期待してんだよ!!頑張って!」と応援のメッセージも頂きました!
ここでもNewsリピーターが7名ほど誕生しました!
桃太郎組と分かれた多摩川組も、Newsリピーターが35名誕生!
「あ~夏は残念でしたねー、今度は頑張ってくださいね!」、
と期待をお寄せくださる方が確実に増えています!
本日のNewsリピーターは地区で計46名誕生しました!
やり遂げよう、幸福維新!!絶対絶対絶対に、幸福実現党政党を誕生させましょう!!
☆゜・*:.。. .。.:*・゜
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幸福実現党がんばれー。
また、応援の日々が始まる。
コピペ
皆さま、おはようございます!
今、全国で次々と幸福実現党の政治活動が再始動しています!
先日、西東京地区の立川、国分寺、調布、三鷹、八王子、福生、
ひばりヶ丘などで「一斉街頭活動」が行われました!
調布駅で街宣活動に臨んだ辻村ともこさんは、8月の総選挙で東京22区より立候補して以来、
選挙区だった調布市などを中心に政治活動を続けています。
調布市の党員の方より届いた「一斉街宣day」における辻村さんの活動の様子をお届け致します!
【街宣活動レポート】
当日は、晴天に恵まれ、辻村ともこさんの辻立ち&桃太郎等、すべて大成功のうちに終了しました!
調布駅に「幸福実現党」旗が30本林立し、堂々の演説が始まりました!
※詳細は「幸福実現党News(党員版)」2010年1月号に掲載されます。圧巻です!
辻村さんは、カゼ気味でありながらも、いつもの“ともこスマイル”で、
力強く「未来を守る幸福実現党」の再始動を告げ知らせました!
学校教育の問題、経済問題、国防のあるべき姿……民主党政権の問題点を挙げつつ、
「自由」と「繁栄」を実現する幸福実現党の政策を訴えました。
「幸福実現News」の受け取り率もかなり高く、
辻立ちだけで「Newsリピーター」(機関誌「幸福実現党News」の定期購読登録者)が4名誕生しました!
その際、
「民主党政権に期待していたが、政策が二転三転しており、信頼できない。
幸福実現党は筋が一本通っている」
「幸福実現党の政策は期待できる」といった嬉しいお声も頂きました。
辻立ちが終わった後は、ともこさん&約10名ほどで、おなじみ天神商店街へ!
「衆院選ではお世話になりました!」と言ってまわると、「お~、来たかぁ!」と喜んでくださり、
商店街の皆さまと久々の交流を深めると共に、
カゼ気味のともこさんのお体を気遣ってくださる店主の方もおられました。
酒屋のご主人からは、
「こいつ(奥様)は、幸福実現党に期待してんだよ!!頑張って!」と応援のメッセージも頂きました!
ここでもNewsリピーターが7名ほど誕生しました!
桃太郎組と分かれた多摩川組も、Newsリピーターが35名誕生!
「あ~夏は残念でしたねー、今度は頑張ってくださいね!」、
と期待をお寄せくださる方が確実に増えています!
本日のNewsリピーターは地区で計46名誕生しました!
やり遂げよう、幸福維新!!絶対絶対絶対に、幸福実現党政党を誕生させましょう!!
☆゜・*:.。. .。.:*・゜



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2009.12.25
時間を黄金に変える秘訣
人は、自己を向上させるために生まれてきます。
われわれは死ぬまで進歩し続けなければなりません。
その努力は必ず、死後や来世に報われることになります。
それ故、限られた時間をいかに使うかが、人生の課題となってくるのです。
事業に務める人は「時は金なり」という諺を好んで引用する。
しかしながら、時間の効用はただそれだけではなく、
人に自己修養をさせ、人格を高尚にさせる。
毎日たった1時間であっても、無益なことに費やさず、
また怠惰に過ごさず、自己修養に専念したならば、
数年の後には愚かな人は賢明な人となるはずである。
時間を慈善の行いに使ったならば、その人の一生は多くの実りを生み、
死ぬときには価値ある行いの成果を得ることになるだろう。
そればかりか、毎日たった15分の時間を一心に勉強に用いたならば、
1年が過ぎるころには必ず自分自身で進歩があったことを感じるはずである。
善良な思い、知識、経験などは、特にそれを保管しておく場所を必要としない。
費用もかからず邪魔にもならずに、
自分の身に着けてどんな場所にでも持ち運んでゆくことができる。
時間を大切に使えば、
仕事を行ってやり遂げた後、多くの余暇を確保することができる。
もし時間を誤って使ったならば、常にあわただしく混乱して苦労せざるを得なくなる。
ネルソンはかつて、
「私が人生において勝利することができたのは、
常に実行前に15分間の余裕を持ったお蔭である」と言っていた。
S・スマイルズ「自助論」
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われわれは死ぬまで進歩し続けなければなりません。
その努力は必ず、死後や来世に報われることになります。
それ故、限られた時間をいかに使うかが、人生の課題となってくるのです。
事業に務める人は「時は金なり」という諺を好んで引用する。
しかしながら、時間の効用はただそれだけではなく、
人に自己修養をさせ、人格を高尚にさせる。
毎日たった1時間であっても、無益なことに費やさず、
また怠惰に過ごさず、自己修養に専念したならば、
数年の後には愚かな人は賢明な人となるはずである。
時間を慈善の行いに使ったならば、その人の一生は多くの実りを生み、
死ぬときには価値ある行いの成果を得ることになるだろう。
そればかりか、毎日たった15分の時間を一心に勉強に用いたならば、
1年が過ぎるころには必ず自分自身で進歩があったことを感じるはずである。
善良な思い、知識、経験などは、特にそれを保管しておく場所を必要としない。
費用もかからず邪魔にもならずに、
自分の身に着けてどんな場所にでも持ち運んでゆくことができる。
時間を大切に使えば、
仕事を行ってやり遂げた後、多くの余暇を確保することができる。
もし時間を誤って使ったならば、常にあわただしく混乱して苦労せざるを得なくなる。
ネルソンはかつて、
「私が人生において勝利することができたのは、
常に実行前に15分間の余裕を持ったお蔭である」と言っていた。
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