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国家百年の計、ここにあり。

本当の意味での友愛外交とは、このようなことを言うのです。

感動しました。


コピペ
Happiness Letter58

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【やない筆勝総務会長寄稿】
本日発刊の『龍馬降臨』は、幸福実現党の応援団長もされているあの世の坂本龍馬先生より、
「霊言」を通じて、150年ぶりに日本の大掃除をなすべく賜った驚天動地のメッセージです。

本書で龍馬先生は「まあ、わしは軍事についても言ってるけど、
それは、ここ五十年ぐらいの問題だと、わしは思うとるんで、
五十年ぐらいしたら、それは、そんなに要らんやろう」と述べられています。

公開霊言で、この言葉を伺って、私は2060年までに「軍事の無い世界」を築くことが、
私たち幸福実現党の使命であり、大目標であると確信しました。
そのためには「中国・北朝鮮の民主化」を果たし、
東アジアの「冷戦構造」を終わらせることが大前提となります。

私は昨年10月1日、「中国建国60周年記念軍事パレード」を視察すべく北京に飛びました。
確かに中国の軍拡は脅威でしたが、同時に、その脅威から日本やアジアの国々を守るためには、
日本には「大きな使命」があると感得しました。

その「使命」とは、中国の民主化・自由化を実現し、
平和裡に全体主義から中国人民を解放し、
同時に日本やアジアの国々を中国の軍事的脅威から救うことです。

意外かもしれませんが、中国にとって日本は非常に「大きな国」なのです。
中国にとって、実は日本は最も影響力が大きな国なのです。

その証拠に、中国は江沢民以来、なぜ「反日教育」を強化して来たのかというと、
日本を悪玉に仕立て、おとしめなければ、国民の政治に対する不満が高まり、
中国共産党の正統性を維持することができないからです。

逆に言えば、日本はダイレクトに中国の未来に大きな影響を与えるポジションにあるのです。

中国と日本の関係は、今、「いじめっ子」と「いじめられっ子」の関係に例えられます。
日本は良いように利用され、いじめられ、恐喝されています(ODA6兆円)が、
日本が「いじめられっ子国家」から脱出し、「毅然たる国家」に生まれ変わった時、
中国は変わらざるを得ないのです。

私は「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」代表を2年間務めて参りましたが、
いじめられっ子が、いじめから脱出する唯一の方法は、
「毅然たる態度」で相手に対峙することしかありません。

それは言葉や肉体的な反撃もありますし、
学校の先生や校長、教育委員会等に相談して味方を増やすことも大事です。
国家で言えば、防衛力を強化したり、強国の同盟国を増やしていくことです。

今後、日本が中国の脅威に対峙できる国家となるためには、
幸福実現党の政策を実現し、「毅然たる国家」としての政治力、外交力、防衛力、
それを支える経済力、そして気概ある国民を生み出す教育力を確立すべきです。

これが確立した時、日本は中国の脅威から脱し、
逆に、その光で中国を照射し、中国の民主化を促すことができるのです。

その結果、日本を守るだけではなく、中国13億人の人々、
更にはアジア、アフリカの人々を戦争や弾圧、恐怖支配から守ることができるのです。

全世界レベルでの平和の実現、軍事のない世界。

これこそが「幸福維新」の目指す理想であり、
龍馬先生が幸福実現党にかけておられる「壮大な夢」なのではないでしょうか。




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2010.02.05 幸福の習慣
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。

幸せはあちこちに見つけられるはずです。




人生の幸福もまた習慣によって得られるはずである。 
一般に世の中の物事というものは、一方は明るく、もう一方は暗いものだ。
従って、人にもまた二種類ある。
常に明るい面を見る習慣のある者がいる。
また暗い一面を見る習慣のある者がいる。
毎日自分の耳や目に触れるものには、善と悪、吉と凶、美しいものと醜いものとがある。
心が感じるものには、喜怒哀楽や愛憎がある。
そのため、一方の人は、善、幸福、美などの一面を見る習慣があり、
喜び、楽しみ、愛などの感情を起こす習慣がある。
もう一方の人は、悪、不幸、醜などの一面を見る習慣があり、
怒り、哀しみ、憎しみなどの感情を起こす習慣がある。
同じような幸福に恵まれ、同じような運命を受けたとしても、
人の心の習慣によって、このような二種類の違いが出る。
つまり、禍と幸福の差があるのだ。
ジョンソン博士はこう言っている、
「常に物事の良い一面を見る習慣のある人は、
一年に千ポンドの収入がある人より裕福である」と。
人がこうした習慣を身につけることは、気質にもよるだろうけれども、
意志の力によって幸福な一面に着目することを習慣とするのが良い。
この方法を用いれば、他の習慣と同じように、
幸福な想念もまた習慣となり、次第に養成されるのである。
男女の区別なく、このように幸福な想念を養成し、温和な気性、
穏やかで幸福な気分を養うことは、人が人間として完成するためには小さなことではない。
たとえ学識が広く芸事が優れていたとしても、
この習慣が欠けているならば、幸福感のない人であろう。
ああ、この幸福の習慣が、どうして習慣の中で最も重要なものでないことがあろうか。


S・スマイルズ「自助論」




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