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2010.03.05 繁栄の未来へ
もう、ここしかありませんね!

コピペ
Happiness Letter86

皆さま、おはようございます!
日々、幸福実現党への多大なるご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
参議院選まで残すところ、あと僅か四ヶ月となり、
いよいよ日本と世界の未来を懸けた戦いも大詰めを迎えております。
本日は、幸福実現党 木村智重(ともしげ)党首より、
「繁栄していく未来へ」と題し、メッセージを頂きましたのでお届け致します。
よろしければ是非、本メールをお知り合いの方々にご転送ください!
☆゜・:.。. .。.:・゜

【木村智重党首寄稿】

「一身独立して一国独立す。」

これは有名な福澤諭吉先生のお言葉です。

NHKのドラマ「坂の上の雲」で、秋山好古が弟の真之と正岡子規に向かって、
「これは、わしが一番尊敬している方が書いた本じゃ。
『学問のすゝめ』、福澤諭吉先生じゃ。
ここにはの、『一身独立して一国独立す』と書いてある。
『人、一人一人が独立して、初めて国家が独立する』と言う事じゃ」と語っています。

今、日本は大きな「分岐点」にあります。
それは、国家として本当に自立し、繁栄していく道を歩むのか。
それとも「社会主義国家」に堕していくのか。
その二者択一が迫られています。

国家が自立し、繁栄していくためには、国民一人一人が独立していかねばなりません。
ジョン・F・ケネディが「国が自分のために何をしてくれるのかではなく、
自分は国のために何ができるのかを問いかけて頂きたい」と語ったように、
国民一人一人が、国家に依存することなく自立を果たし、
国家に貢献し得てこそ、国家は本当の意味で自立し、
世界のリーダーとなることができるのです。

国家に依存する国民が増えていけば、
その行き着く先は「大きな政府」、社会主義国家、共産主義国家しかありません。

先日、2010年度予算案が衆院本会議で与党3党の賛成多数で可決されましたが、
内容は無節操な過去最悪の「バラマキ予算」です。
予算の一般会計の総額は92.3兆円で過去最大規模。
特に子ども手当1.7兆円、高校授業料無償化4000億円等のバラマキが極めて顕著です。
その結果、国債発行額は過去最悪の44.3兆円となり、
当初予算としては戦後初めて国債発行額が税収を上回る結果となりました。

「バラマキ」は国家に依存する国民を増やし、
徐々に国家を蝕み、社会主義国へと転落していきます。
国民は自分で稼ぐよりも、国家のバラマキに期待するようになり、真面目に働かなくなります。
そして、大増税という形で、国家が企業や金持ちから多額の税金の収奪にかかり、
企業は弱り、金持ちはいなくなります。
その結果、「貧しさの平等」のみが残り、国家が崩壊していくのが歴史的法則であります。

GHQの経済顧問として来日したデトロイト銀行元頭取のジョゼフ・ドッジは、
戦後の日本経済、ドイツ経済の復活に大きな役割を果たしましたが、
彼は「富はまずこれを創造してからでなければ分配できない」と説いております。

民主党政権は、どうやって「税金を分配するか」だけが先行し、
どうやって「国富を創造するか」「国富を増大するか」の配慮が決定的に欠如しています。

経済成長できない社会で、バラマキだけ強化すれば、
財政破綻するか、増税して国民の生活水準を下げるしか残された道はないのです。

また、年金や財政再建においても、与党も野党も「増税」論者ばかりです。
どうして政治家は「国富増大」による「税収増」を考えないのでしょうか。

今、政治家としての勇気、決断、そして繁栄に向かっての力強い意志が問われています。
「衰退していく未来」から、「繁栄していく未来へ」──
これが幸福実現党の、新しい「富国」「強兵」「学問のすすめ」政策の中核であります。

どうぞ、皆様、幸福実現党にご期待ください。
幸福実現党は必ず「繁栄の未来」を築いて参ります!




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武士道はまだ生きていた!!

特殊作戦群初代群長であられた荒谷卓氏が、
日本人が忘れたものを教えてくださっています。




戦後、日本人の精神が荒廃した根源は教育にある。
戦後の教育は、教育基本法によって憲法の思想を普及することに主眼を置いた。
その憲法の思想とは何か。
たとえば、憲法九条だ。
この戦争放棄をうたった精神は、インド独立運動のガンジーのように、
自己を犠性にしても武器の前に無抵抗で戦う崇高なる非暴力の精神とは、
まったく無縁のものである。
九条は人権という美名の下に、社会集団に対する犠牲的精神を嫌うエゴイストを正当化し、
「侵略国の国旗を揚げて歓迎することはあっても、戦いは放棄する」、
という「精神価値の放棄」を日本人にあたえた。
これは、奴隷的精神である。
敵意のあるものに対して、一方が「戦わない」と宣告したからといって、
平穏でいられることなど、現実にはありえない。
いじめっ子に、無抵抗でいたらどうなるか予想がつくはずだ。
憲法九条の精神では、同胞が拉致され、
その家族が苦悩している状況を自らの問題として考えることもなく、
ましてや理不尽を正すためには戦いも辞さないという発想はまったく出てこないだろう。
結局、戦後の日本人が憲法精神に従って放棄したのは「戦争」ではなく、
「戦うことも辞さない正義心を持った生き方」なのではないか。
「世のため人のため」に精一杯尽くすことを良しとし、
「少なくとも人様に迷惑をかけないように」と教えていた日本の社会道徳は、
「自分のためにだけ生きる」憲法思想に取って代わられ、
上から下まで自己の欲求を最優先する輩が日本を占有している。
日本人本来の美しくて強い精神文化である、
「家族のような国を創ろう」という神武天皇建国の精神や、
「正しいと信ずることを貫き通すためには、自分の肉体の生死など気にかけない」、
という武士道の犠牲的精神は憲法思想の敵として追い詰められてきた。
経済成長と経済効率がすべてで、
何事も金に置き換えて価値判断するようになった戦後の日本人は、
金儲けのためには戦うが、公共の理念や正義のためには戦わない。
最近は、個人の利益のためにすら戦わない無気力な人間がいるようだが、
戦わない種族は保護でもされないかぎり絶滅する。

平成16年早春、私の他に見送りもない空港で、
混乱の続くイラク南部の町サマーワに出発する4人の特殊部隊戦士を見送った。
心が定まった様子で、肩の力が抜け、
ことも無げにイラクヘと歩み出した彼らの雄々しい後ろ姿を忘れることはできない。
任務は要人警護、部隊警備を主とするも、
イラクでの人道復興支援活動の目的を達成するために、
必要なあらゆることをしなくてはならない。
出発までには、一般的な軍事訓練をはるかに超えた特殊戦技能を磨いた。
それは、単に情報活動、救急救命、緊急事態対処などに留まらず、
現地の人たちとの心の交流ができるようにアラビア語を学び、コーランを学習した。
しかし、最も重要なのは、イラクの地で日本人の真価を発揮できるよう、
武士道精神を身につけて出発したということである。
彼らの任務遂行手段は、武器に頼らず、日本人としての真心であった。
ほどなく、4人の戦士は、
サマーワの人々から「サオディー(幸福)」と呼ばれるようになった。
「お前にはイラク人の血が入っているはずだ」と言われるほどに、
彼らは現地の人々に溶け込み、任務期間を終えても、
そのまま残留してイラク復興のための活動を続けたいと望んだ。
他の国の軍隊にはありえない話である。
自衛隊が海外での活動をするようになってから、
このような経験をした自衛官は多数存在する。
東チモールでの自衛隊の活動に対し、グスマン大統領は石破防衛庁長官(当時)に、
「自分は世界の中に、このようにともに笑い、ともに汗し、ともに涙する、
そういうような軍事組織があるとは知らなかった」と伝えたという。
これは、日本政府が計画的に実行したことではない。
また、活動の根拠たる法律に記載されているわけでもない。
イラク人道復興支援活動は、「一発の銃弾を射つこともなく、 
一人の犠牲者も出さずに任務を終えた」と賞賛されたが、それはなぜなのか、
政府も自衛隊も深く考えるべきところだ。
その根源は、日本人としての真心がなせることなのだと。
聞き伝えではあるが、パウエル米国務長官(当時)が、
「サマーワでの自衛隊の活動は、
地方復興チームの活動として大変に興味深い」と評価したという。
今や世界の軍隊の主たる作戦となった「平和構築活動」において、
自衛隊の日本的手法が有効であると評価されたのだ。

米国特殊作戦学校(SWCS:通称「グリーンベレーQコース」)に留学中、
特殊戦部隊のオフィスで「武士道」という日本語の文字を見かけた。
そこで「君たちはこの文字の意味を知っているのか?」と質問してみた。
彼らの答えは、忠義の対象がマニュアル化された理論であったり、
戦いを共にするチームメイトであったりと、
米国人独特のメンタリティーが含まれてはいるものの、死生観としては立派なものであった。
今や日本人の多くが忘却し理解できなくなってしまった感のある「武士道」が、
「正しいと信ずることのため自己の生死をも問わず行動する精神」、
として米国の特殊戦部隊の中で生きていた。

私は、特殊作戦群長として当時の部下にこう言った。
政治・宗教テロリストは、彼らの正義に基づいて決死の覚悟で行動している。
彼らと戦うなら、それに負けない正義と覚悟を持ち合わせなくては勝てない。
また逆に、正義感も持ち合わせずに、
「命令ならば殺します。命令ならば死にます」という機械人間は、
戦闘員として不適切な人物と言わざるを得ない。
必要なのは、任務行動に際して、
他人や自分の「死」に直面しても正義を貫き行動できる精神的支柱を備えた戦闘員である。
ましてや、指揮官は自分だけでなく部下の生死に関しても責任を有する。
部下が何のために人を殺し、自分の死をも許容するのかについて、
責任を深く自覚しなくてはならない。
何よりも、日本の戦士たる自衛官にあっては、
武士道を実践することが日本の核心的な伝統を継承しつつ日本を守ることになる。
それは、領土や経済的利益を守るよりはるかに重要なことである。
日本人が日本人でなくなって、
土地や金にしがみついていたのでは日本を守っているとは言えまい。
自衛官にとっての武士道は、日本の武人がそうしてきたように、
己の肉体の要求を後にしても、
精神が欲する公共の正義を守り抜かんとする強力な意志と行動である。

「戦う者たちへ」




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