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神仏が存在するのなら、どうしてこの世には、不幸がたくさんあるのでしょうか?

どうして、お釈迦さまは、人生は苦なりといったのでしょうか?

この世が全てであるのならば、それは本当に悲惨であり、絶望するしかありません。

しかし、魂は不滅なのです。

不幸と見えしものは、すべて神仏からの贈り物です。

そのことに死んでから気づくよりも、
この世で生きている間に知ることで、後悔しない生き方が出来るのです。

この世は修行の場というのは、一時の仮の宿りであるからです。

人生すべてに学びありです。




魂は決して死ぬことがありません。
つまり、肉体が死を迎えると、魂は肉体を離れて霊界に帰り、
そこで自分が今回の人生で行なったことを反省するのです。
指導霊に助けられながら、今回の人生で何を学んだか、
何を学ばなかったかを確認し、次の転生に備えるわけです。
そんなふうにして生命は永遠に続いていきます。
もし肉体の死とともに生命が消えるのであれば、
地球上ではとてつもない不正が行なわれていることになります。
しかし、実際には、地球は神の正義によって統治されています。
そのおかげで、私たちは何百回も、いや何千回も、転生して修行をし、
やがて地上で無条件の愛に基づいた生き方ができるようになるのです。
それを知るのはなんという慰めでしょう。
そういうシステムの中で生きていることが分かると、
私たちはなるべく早く無条件の愛に到達し、
苦しい転生をしないですむようにするのではないでしょうか。

私たちが何かを不正だと考えるのは、私たちが物事の物質的な側面しか見ないからです。
物事の霊的な側面を見るようにすれば、視野が一挙に広がり、
はるかな上空から道路を見下ろすような感じになるでしょう。
その道がどこから来てどこに行くのか、
どこに障害物があるのかなどが、ひと目で分かるようになります。
ある人があまりにも幼くして亡くなったり、あまりにも突然に亡くなったりすると、
私たちはそれを不当だと思うものですが、
そんな時は、その人にはその人の人生計画があったのだと思うようにしましょう。
その人は、その肉体に宿って、その環境で学ぶべきことを、すべて学び終えたのです。
そして、肉体を脱ぎ捨てて霊界に帰り、次の新たな転生のために準備をしているのです。
その魂は、たとえ人生計画がまっとうされていなくても、
人生に終止符を打つことにしたのかもしれません。
問題に直面できるようになってから、別の肉体に宿り、
別の時代に生まれて課題をクリアするのでしょう。
それはちょうど大学に通っている学生が、学業を終える前に、
一年間休学するようなものかもしれません。
その決意はその人がするべきであって、他の人はくちばしを挟むべきではないでしょう。
その人が決めたことの結果は、その人が引き受ける以外にないのです。
ただし、ほとんどの場合、その決意は無意識のうちに行なわれます。
そんなふうにして誰かが亡くなった場合、残された人は、
その状況を理解することができなくても、
また、その状況に同意することができなくても、それを受け入れる必要があります。
それは学びのためのとても良い機会なのです。
そうすることによってのみ、私たちは、他者の死、
そして自分自身の死を、心おだやかに受け入れられるようになるでしょう。


リズ・ブルボー「受け入れることですべてが変わる」




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