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2008.12.12 根本問題
古来より、人間の「霊魂」に関する論議は、哲学の根本問題でありました。

それは、今においても、変わりありません。

その探求をタブーとするのは、死という厳粛な事実から逃げているだけです。

逆に、死に解答を与えない哲学などは、不完全なものだと言えるのです。

この問題について、明治期の仏教哲学者はこう論じています。




人もし、宗教とは有限と無限との交渉なり、
哲学とは科学以上の科学なり、なんどいう説明を聞くならば、
非常にいかめしく、難しきことの様に思うなるべし。
されど、西洋思想界の源泉たるギリシアの賢哲アリストテレスは、
「哲学の起りは驚きに在る」と言い、東洋思想界の根拠たる印度の論師、
世親は、その著『倶舎論』において、「恐怖、神を生ず」と称す。
げに人間の知識は、もとより限りあるものにて、今日二十世紀の世にても、
分らぬことは尚、依然として分からぬものにて、或る哲学者が言いし如くに、
未知の標木たるXは、追々に遠くまで払い除けらるべけれど、Xは依然としてXとして存在す。
まして原始の人類には、地震も不思議なり、雷の轟くも不思議なり、電光の閃くも不思議なり。
日輪の光り、星月の耀き、河の流れ、海の広き、草木の生長、猛獣のさまよい、
一として不思議の感を惹かざるはなし。
されど一たび外界に放てる眼を転じて、これを内面、自個六尺の身中に反映し自省し来るとき、
不思議以上の不思議として円転捕捉すべからざる心を認め来る。
古歌に「心より妙なるものは何かあると、心に問へば心なりけり」と詠じける如く、俄然として、
心の主人を認め、これの主人は、死に依りて如何になるべきかの恐怖の思いに襲わる。
ショウペンハウエルは言う、「霊魂の考究は哲学の基礎なり」と。
仏陀は言う、「愚痴の凡夫は、畏るべきこと無きの処に於いて、しかも恐怖を生ず」と。
哲学と言い、宗教と言う、全く霊魂問題の討究より起りて、
満足なる答弁を与えんと苦心するに過ぎずというべし。


妻木直良「霊魂論」




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