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真如といい、法といい、それは、
永遠不滅のイデアであって、物理法則を超えたるものであるはずです。

仏教者は、よく個別のイデア界に属する霊を否定して言います。

「人間は縁起的存在なのであって、因と果があるのみで実体なし、
死後は縁起として有る。」

「知り得ない死後のことを考えても無意味である。今が大切。」

「死後には、
我々は、水の一適が大海に帰っていくように、大生命の一部になるのだ。」

「死は問題ない。遺伝情報として子孫に引き継がれ、生き続けるのだ。」

「我々のなした仕事や活動は、社会的形成力として刻み付けられ、不滅であるのだ。」

「肉体を形成する原子は、死後には分解されるが、
エネルギー保存の法則が働いて、大自然に帰り、循環輪廻しているのである。」

「われわれの、カルマや愛は死なない。他の人々の想い出、心の中に生き続ける。」

このような、個別生命が大生命に溶解し、
自己意識は雲散霧消してしまうというような意見は、唯物論と何も変わりありません。

死後に、自己意識を確認できないのならば、それは絶滅です。

肉体細胞は日々死滅し、新たに生まれてきますが、われという意識は存続します。

そこには、われを、われたらしめている不滅の何かがあるはずです。

それが霊といわれるのです。

同じく、大宇宙を統一するところの永遠不滅の原則があるはずです。

それを、宗教や哲学は考究し、把握し、神とも仏とも呼んできたのです。

単なる素朴実在論レベルで、仏教を解釈するのは、時代遅れだといえるでしょう。




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