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2008.12.21 無神論の歴史
「神や仏もあるものか」でおなじみのように、わが国は無神論大国です。

しかし、世界的には無神論は少数派の思想なのです。

この理由は、
国民の大半が極端な合理信仰を持っているという以外に、
「無神論に改変させられた仏教」を信仰しているからなのです。

本来、お釈迦さまは神を認めていますし、神仏の存在抜きには、宗教は成立しません。

しかし、それが容認されているということは、
結局、西洋無神論の流れを踏襲しているのにすぎないのです。




16世紀の終わりまでには、ヨーロッパの多くの人々は、
宗教がひどく信頼を失くしてしまったと感じ始めていた。
彼らは、カトリックによってプロテスタントが殺され、
プロテスタントによってカトリックが殺されるというようなことに嫌気がさしてしまった。
どちらが正しいとも証明できない見解を持ったがゆえに、
無数の人々が殉教者として死んでいった。
救いに不可欠だと信じられた当惑するほど多様な諸教理を説教する諸セクトが、
驚くほどに多様に分裂していった。
あまりにも多くの神学的選択が提供されていたのだ。
多くの人々は、提供されている宗教的解釈の多様性に麻痺し当惑させられた。
ある者たちは、信仰というものが、かつてなく獲得し難いものになりつつあると感じた。

神の存在を完全に否定するという仕方で考えるということの難しさは、
当時においては、あまりにも大きかったので、乗り越えることは不可能なのであった。
誕生と洗礼から死と墓場に至るまで、宗教があらゆる人々の生活を支配していた。
教会の鐘が時間ごとに人々を祈りへと召していた毎日の活動すべてが、
宗教的信仰や支持によって浸透されていたのであり、
信心や教訓が、職業的および公的な生活をすべて支配していた。
ギルドや大学でさえ宗教的施設であったのである。

世界のどの社会においても、
まだ宗教というものが排除されていなかったのだということも、覚えておくべきであろう。
宗教は人生の事実として当然のものとされていたのである。
18世紀の終わりになってようやく、
僅かな数のヨーロッパ人が、神の存在を否定できるようになったのである。

「無神論者」という言葉は侮辱語であった。
誰も自分自身が無神論者と呼ばれるなど夢にも思わなかった。
それはまだ、誇りをもって付けられるようなバッジではなかったのだ。
だが17~18世紀の間に、西洋の人々は、
神の存在を拒否することが可能であるばかりが、
好ましい態度だというような感覚を養うことになった。
彼らは、自らの見解を支えるものを、科学のなかに見出すようになったのだ。

ルターやカルヴァンは神の絶対主権を信じていたので、
自然がそれ自身の固有の力を持つというアリストテレス的自然観を拒否した。
彼らは、自然もキリスト教徒と同様に受動的なものであると信じた。
キリスト教徒は神からの救済という贈物をただ受け取ることができるだけで、
自分自身のためには何ごともできなかったのである。
カルヴァンは自然界についての科学的研究を明らかに推薦した。
不可視の神が、そのなかで自分自身を知らせていたからである。
科学と聖書の間には、いかなる相剋もありえなかった。
聖書のなかでは神は、われわれ人間の諸限界に自分を合わせたのである。

しかしながら、ローマ・カトリック教会は、必ずしもそれほど寛大ではなかった。
ポーランドの天文学者コペルニクスは、彼の論文『天体の軌道について』を完成させたが、
それは太陽が宇宙の中心であると主張していた。
それは1543年の彼の死の直前に出版され、教会によって「焚書目録」に載せられた。
1613年に、ピサの数学者、ガリレオ・ガリレイは自分が発明した望遠鏡が、
コペルニクスの体系が正しいことを証明したと主張した。
彼の裁判は有名な訴訟事件となった。
ガリレオは異端審問所に召喚され、彼の科学的信仰を撤回するように命令されて、
無期懲役の刑を言い渡された。
すべてのカトリック教徒がこの決定に賛成したわけではなかったが、
当時のどんな制度であれ保守的な精神が支配していたときにはそうであったように、
ローマ・カトリック救会は、本能的に変化に反対であった。
教会が違っていたのは、自分の反対意見を強制するための力を持っていたことと、
きわめて円滑に運営してきたので、
知的画一性を押しつけることに恐ろしいほど効果的になっていたことであった。
ガリレオの断罪は必然的に、カトリックの国々における科学的研究を禁じることになった。
もっとも、マラン・メルセンヌ、ルネ・デカルト、ブレーズ・パスカル、
のような初期の著名な科学者たちは、カトリックの信仰に忠実であり続けたのだが。
ローマ・カトリック教会が太陽中心の理論を断罪したのは、
それが創造なる神への信仰を脅かしたからではなく、
聖書のなかの神の言葉とそれが矛盾していたからだった、ということである。

神学者たちは、この近づきつつあった新しい変化に対して、
人々をよく準備させることができなかった。
宗教改革以来、
そしてプロテスタントとカトリックの間のアリストテレス主義への新しい熱狂が始まって以来、
彼らは、神があたかも他のすべての客観的事実であるかのように論じ始めたのである。
このことは究極的には、18世紀後半の、また19世紀初頭の新しい「無神論者」たちが、
完全に神を排除してしまうのを可能にしたのである。

トマス・アクィナスは、
神は存在の連鎖のなかのいなるもう一つの事物―たとえ最高のものであれ―にすぎない、
という印象を与えたかもしれないが、彼はこれらの哲学的議論が、
自分が祈りによって経験した神秘的な神とは何の関係もないことを個人的には確信していた。
だが17世紀の始めまでは、指導的な神学者や教会人たちは、
神の存在を全く合理的な基礎に立って論じ続けていたのである。
多くの者たちは、現在に至るまでそれを続けてきた。
そういう議論が新しい科学によって反証されたとき、神自身の存在が攻撃されることになった。
神の理念を、語の通常の意味においてはいかなる存在も持たないし、
祈りや、瞑想という訓練によってのみ発見されうるリアリティーの象徴として見る代わりに、
神はますます他のすべてのものと同様な生の単なる一事実であると仮定されていった。

れわれは、ヨーロッパが近代に近づくにつれて、
神学者たち自身が、未来の無神論者たちに、
神を否定するための弾薬を提供していたのだということを見る事ができる。
その神は、ほとんど宗教的価値を持っていなかったし、
多くの人々を希望や信仰で満たすのではなく、恐怖で満たすような神であった。
宗教改革後のキリスト教徒たちは、神秘家たちの想像的な神を事実上捨て去り、
哲学者や科学者のように、理性の神からの啓蒙を求めていたのである。


カレン・アームストロング「神の歴史」




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