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日本においては、
フォイエルバッハ、マルクス、ダーウィン、ニーチェ、フロイトらの支持者は多く存在しています。

彼らのような神殺しの哲学者が生まれてきた土壌は、
それ以前の啓蒙主義の時代にすでに醸成されていました。

この啓蒙主義時代の影響が、近代人特有の合理崇拝となって根強く残っているのです。



1729年に、模範的な生活を送っていた田舎の司祭、
ジャン・メスリエが無神論者として死んだ。
彼はメモワールを遺したが、ヴォルテールがそれを広めた。
これは人間に対する彼の嫌悪、
および神を信じることのできなさに対する彼の苛立ちを示していた。
メスリエはニュートンの無限の空間こそが唯一永遠のリアリティーであると信じた。
物質以外には何も存在しない。
宗教は富者が貧者を抑圧し、
彼らを無力な者にすることに利用しようと考案されたものであった。
キリスト教は特に、三位一体や受肉のような馬鹿げた教理によって際立っている。
彼のこのような神の否定は、哲学者にとってはあまりにもむずかしい教義であった。
ヴォルテールは特に無神論的な章句を取り除き、この神父を理神論者に仕立て上げた。
しかしながら、その世紀の終わりまでには、
自らを無神論者と呼ぶことに誇りを感じるような若干の哲学者たちが現われてきた。
もっとも彼らは、ごく僅かな少数者に留まったのだが。
これはまったく新しい発展であった。
それまでは「無神論者」という言葉は侮蔑語であり、
特に敵に投げつけるための汚い中傷の言葉であった。

スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームは、
その新しい実証主義をその論理的帰結にまで一貫させた。
リアリティーに関する科学的説明を超えていく必要はなく、
我々の感覚経験の彼方に存在するような何ものかを信じる哲学的理由などない、
と言うのであった。
ヒュームは『自然宗教に関する対話』において、
宇宙のデザインから神の存在を証明しようとする議論を始末してしまい、
それが説得的ではない比喩的議論に基づいていると論じた。
人は、自然世界のなかに見られる秩序が知的な「監督」を指示している、
と論じうるかもしれないが、そうだとすれば、
悪や明らかな無秩序をどのように説明できるであろうか。
これには論理的答えなど存在しないのだ。
そして、この『対話』を1750年に書いたヒュームは、賢明にもそれを未刊のままに遺した。

ほぼその12ヶ月前に、フランスの哲学者、デニス・ディドローは、
『見える者たちの役に立つ見えない者の手紙』のなかで、
同じ質問をしたかどで投獄されていた。
この書は一般大衆に「成熟しきった無神論」を紹介していたのだ。
ディドロー自身は、無神論者であることを否定していた。
彼は単に神が存在しようがしまいがどうでもよいと言っていたのである。
この手紙の出版の三年前、
ディドローは、科学が、そして科学だけが無神論を論駁できると信じていた。
彼はデザインからの証明の印象的な新しい解釈を発展させた。
人々が宇宙の広大な運動を吟味する代わりに、
自然の底に横たわっている構造を調べてみるように彼は促した。
一粒の種や一匹の蝶や昆虫の組織は、あまりにも繊細であり、
とても偶然に起こったとは思えない。
デイドローは、理性が神の存在を証明できると、まだ信じていた。
ニュートンが宗教のすべての迷信や馬鹿らしさを取り除いてしまった、
奇跡を行なう神などは、我々が子供を怖がらせるのに使う怪物と同じなのである、と。
しかしながら、三年後には、ディドローは、ニュートンを疑うようになり、
外的な世界が神のために何かの証明を提供するということに、
もはや確信を持てなくなっていた。
神が新しい科学とはおよそまったく関係ないということを彼は明瞭に悟ったのだ。
ディドローの見解では、創造主の必要などなかった。
物質はニュートンやプロテスタントが想像したような受動的な卑しいものではなく、
それ自身の力学を持ち、それ自身の法則に従っているものであった。
我々が見えると思っている明らかなデザインに責任があるのは、
この物質の法則であって、「神という機械工」ではないのである。
物質以外には何も存在してはいないのだ。
ディドローはスピノザをさらに一歩先へ進めた。
自然以外に神はいないと言う代わりに、ディドローは、自然が存在するだけであり、
神などまったく存在しないのだと宣言した。

こういう信仰において彼は孤立してはいなかった。
エイブラハム・トレンブリー、ジョン・ターブヴィル・ニーダムのような科学者も、
創出的物質という原理を発見し、それが今や生物学、順微鏡検査、動物学、
博物学、地理学において一つの仮説として台頭しつつあった。
だが、神からの最終的な離反をしようとする者は僅かであった。
ポール・アンリやオルバック伯爵のサロンをしばしば訪れていた哲学者たちでさえ、
開放的で率直な議論を楽しみはしたが、無神論を公然とは支持しなかった。
これらの討論から、オルバックの著作、
『自然の体系、あるいは道徳的および物理的世界の諸法則』が生まれ、
無神論的唯物論の聖書として知られるようになった。
自然に取って替わるようなものは存在しない。
それは「不断に相互から流れ出る原因と結果の膨大な連鎖に他ならない」、
とオルバックは論じていた。
神を信じることは不正直であり、我々の真の経験の否定である。
それはまた絶望の行為である。
宗教は、人々が現世の生活の悲劇に対して慰めを与えるための他の説明を、
見出すことができなかったがゆえに、神々を想像したのだ。
彼らは宗教や哲学という想像上の慰めを欲し、恐怖や災害を払い除けようと、
劇の諸幕の背後に潜んでいると自ら想像した「作用主」を宥めようとしていたのだ。
アリストテレスは間違っていた。
哲学は知識を求める高貴な欲望の結果ではなく、
苦痛を避けようと渇望された憧れの結果だったのだ。
それゆえ、宗教の揺り篭は、無知と恐怖であり、
成熟し啓蒙された人間はそれを乗り越えねばならないのであった。
幸いにも、啓蒙主義は人類がこの幼児性から脱却するのを可能にしてくれる。
科学は宗教に取って代わるであろう。
「もし自然についての無知が神々を誕生させたのであれば、
自然の知識はそれらを破壊するように計画されているのだ。」
より高い真理だとか、根底に宿るパターンだとか、基本計画などは存在しないのだ。
自然それ自体が存在するだけなのである。

神は単に不必要であるばかりか、はっきりと有害である。
その世紀の終わりまでには、
ポール・シモン・ドゥ・ラプラスは物理学から神を追い出してしまった。
惑星の体系は大陽から発散させられ、次第に冷却しつつある光輝となった。
ナポレオンが彼に、「これを作り出した者は誰なのか」と質問したとき、
ラプラスは単にこう答えたのだった。「そういう仮説は必要ありませんでした」と。

キリスト教の神学者たちは、
神があたかも他のすべての物と同じように試験され分析されうるかのように、
神の客観的存在を証明しようと新しい科学に飛びついた。
ディドロー、オルバック、ラプラスはこういう試みを逆転させ、
より極端な神秘家たちと同じ結論に到達した。
「彼方には」何も存在しないのだ、と。
間もなく、他の科学者や哲学者が、神は死んだと勝利の宣言をしたのだった。


カレン・アームストロング「神の歴史」




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