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西洋の思想潮流は、還元主義を乗り越え、
「全体性」や「統合」という理念に向っています。

神を殺した20世紀の反省を経て、
東洋的神秘主義、汎神論との邂逅を果たしているのです。




科学自身の名において、科学的還元主義が批判された。
複雑なシステムの振舞い全体を支配する法則に還元する資格は、もはや誰にもない。
素粒子を客観的に記述することは、現代物理学の禁じ手である。
物質の究極的な構成要素について語ることは、
「パラドキシカルな物質からなる我々という機械」には、不適切とされるのである。
原子を種々の可能性をもって振動しているシステムとみなす量子力学の解釈において、
構成要素の状態を単一の記述に還元するとむしろわかりにくくなる。
素粒子それぞれの個性が、原子の内部では失われるので、
この体系を記述する法則が、その構成要素を記述する法則に由来しないからだ。
N.ボーアが注目したホリスティックな意味は、
「科学でさえも研究対象はもはや自然そのものではなく、自然を研究している人間になった」、
というハイゼンベルクの言に表現されている。
自然は、有機的なことばで、
それを包み込んでいる体系と共生するシステムとして認識すべきだということである。
同時に、科学研究者は、「研究対象とする真理そのものを変化させうる人間」、
という新しい自己イメージを獲得したのである。

自然現象の還元論的な解釈は、ホリスティックな見方によって補完されねばならない、
という信念が根拠を得たのは最近のことであり、
主としてエコロジカルな相互依存性が広く知られるようになってからである。
地球のオゾン層破壊に悩む我々にとって、この惑星を生命として語ることや、
宇宙を分かちがたい全体として語ることが、かつてほど神秘的ではなくなった。
そして、科学的な記述によって、
人間の意識をも含む自然界の分かちがたい全体像を語り尽くせることはない、
という、より寛大な見方が形成されているようである。
この全体像を神の意識へ外挿することは、決まって論議を生むステップとなるが、
これはA・N・ホワイトヘッドやチャールズ・ハーツホーンを継承し、
自然秩序の諸プロセスに参画し、
それによって豊かにされる神格の概念を洗練してきたアメリカの「プロセス神学者」たちが、
繰り返し取り上げてきたテーマなのである。

死後の生に関する信仰がどんな形式のものであれ大きく後退してきた西洋文化圏にあって、
プロセス神学は、道徳的価値のある行為が永続的な価値をもつ二つの点を強調することで、
別の不死解釈を提供してきた。
第一の点は、
道徳的価値のある行為によって直接的な結果が生まれ、さらなる機会がつくりだされ、
それがなされなかった場合よりも、豊かになる世界に痕跡を残すということである。
第二の、より非凡な点は、神の本質のある一面において、まだ完璧ではないが、
彼を措いては超えるものがない神格を豊かにすることによって、
永続的な価値を生む、ということ。
ハーツホーンの説明によると、善行は神によって永遠に祝福され、
神のなかに存在するこの不滅性こそが、被造物の唯一の究極的価値だという。

実践的なホリスティック哲学の著作としてよく知られている、
フリッチョフ・カプラの『ターニング・ポイント』では、
意識に関する科学的な見方と神秘的な見方とが一体化しうることを示すのに、
システム分析の論法が駆使されている。
カプラの分析は少なくとも、二つの理由で関心をひく。 
一つは、現代物理学における概念の変換が甚大な社会的影響をもたらしたという主張。
自然において観察される調和に満ちた内的関連性を社会に反映させるには、
根本的に異なった社会・経済構造によって支援される文化上の革命が必要である。
『タオ自然学』にあるもう一つの主張は、現代科学と東洋神秘主義とは、
ともに自然と人間との関係への洞察をもたらす、というものである。


J・H・ブルック「宗教と科学」




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