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マルクス主義と宗教の戦いは、宗教が勝利しました。

しかし、21世紀に入っては、宗教間の争いが激化しています。

一刻もはやく、宗教の相克から平和への道が模索されねばなりません。

その為、先端の宗教学においては、
宗教の違いを超えた「普遍的霊性」というテーマが扱われるようになってきました。

2005年に東京で開催された「国際宗教学宗教史会議」では、
カリフォルニア大学教授マーク・ユルゲンスマイヤー氏がこう提言しています




宗教がグローバル化の諸力と相互作用を起こすとき、爆発が起こることがある。
しかし、より積極的な結果を生むこともある。
生まれつつあるグローバル市民社会の中で、宗教が建設的な役割を担うのは不可逃的だ。

宗教を主に狭い組織レベルにおいて捉えるとき、
そして市民社会を主に社会事業の超国家的形態と捉えるとき、
この二つは互いに触れ合うところがないかもしれない。
宗教を狭く捉えれば、確かにジハードの運動は、
強引なマクドナルド文化と衝突するかもしれない。

しかし、宗教を最も広く捉え、
霊的な感性と道徳的責任の分担の次元と考えるならば、
それは最も広い意味での市民社会の概念、
すなわちグローバルな市民意識という概念に適合し得るのである。

後者の場合に予見されるのは、文明の衝突ではなく、文明の融和の可能性である。
世界の宗教的諸伝統は、地球規模で寛容、調和、
人間の尊厳を考えるための材料を豊富に備えている。

単一の伝統が―現代の西洋的な消費主義的大衆文化でさえ―、
共通の価値観と人間家族のヴィジョンを独占することはできない。
したがって、すべての宗教的伝統のメンバーは潜在的に、
一種の多文化的世界文明の構成員であると考える理由は十分にある。

いつの日かグローバル社会が出現し、共通の道徳体系、霊性、
社会的価値観がもたらされるというのは、確かに預言者的なヴィジョンである。
おそらく将来の世代のグローバル市民は、
モハンダス・ガンジー、マザー・テレサ、トゥトゥ主教、ダライラマなど、
今日広く尊敬されている人物を振り返って、彼らをグローバルな聖人と見ることだろう。
将来、これらの人物は、グローバルな霊性の先駆者と見なされるかもしれない。

世界の変化に応じて、グローバルな市民社会における宗教の役割も、
しばしば革新的で驚くべきかたちに変化する。
グローバル時代において宗教は絶えず刷新されていく。
それゆえ、グローバル化に対するひとつの宗教的応答が、
霊的な生活の新たな形態になるというのも、あながち夢想とは言えないだろう。





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