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意識は、脳細胞を超えて無限宇宙に広がっています。

人間は、本来、物質に還元することの出来ない多次元的な存在なのです。

トランスパーソナル心理学においても、このことは認識されています。




高次意識とは何なのか。
ウィルバーは、あらためて確認する。
発達心理学によれば、人の発達はすべて同じ論理を持っている。
単純で基礎的なものから、より複雑で包括的なものへ。
順に、前のレベルを組み込む仕方で、より包括的になり、よりいっそうの度合いを高めてゆく。
この点については、
ピアジェも、コールバーグも、マズローも、エリクソンも、レビンガーも異論はないだろう。
では、その発達のプロセスを最後の最後まで進めていったら、どこに至り着くか。
意識が到達し得る、最高の統一段階とは、どのような状態なのか。
より高次、最も高次の、発達段階の本質は、いかなるものか。
「人類の最も発達した心においては、いかなる形の統一が、現れるのか」。
ウィルバーは、それを問題にする。
そして、その問自体は、さして不自然でもない。
人間の本性を、病理から見るのでなく、むしろ完成された姿において見る必要は、
すでに、マズローも、エリクソンも、繰り返していたことである。
問題は、しかし、その先である。
ウィルバーは、その最高の姿を、「神秘家や聖者」に見る。
最も統合の度合いの高いパーソナリティは、「真正な神秘家や聖者の中に」現れている。
そう「仮定する」のである。そして、言う。
こうした高次意識のレベルについては、
ヒンドウー教、仏教、キリスト教、イスラム教を問わず、
偉大な神秘思想家たちが多くの証言を残しており、
しかも、「その到達点に関して、驚くほどの一致を見せている」。
つまり、最も統合の度合いの高い意識は、
「スピリチュアル(精神的・霊的)な」人物の中に見ることができるというのである。

高次意識(トランスパーソナル)段階の区分は、
「微細(サトル)」、「元因(コーザル)」、「究極」。
古代インドの思想には、
「鞘」を意味する「コーシャ」という言葉があって、いわば「身体」に相当する。
人間の体は、いくつかの異なる「コーシャ」の重ね合わせから成り立っているという。
ごく普通に「身体」と呼ばれているのは、その最も粗い、物質的な「コーシャ」にすぎない。
それとはまるでレベルの異なる、もっと「微細な」コーシャが、実は重ね合わさっている。
「オーバーヘッドプロジェクター」の透明な用紙に、
まず、ほとんど透明な白色で人の身体を描く。
次に、ごく淡い色で身体を描いて、上に重ねる。
三枚目に、さらに濃い色で身体を描いてその上に重ね、
最後に、真っ黒に塗りつぶした身体を描いて、一番上におく。
ここで、スイッチを入れると、スクリーンには、真っ黒の身体だけが、映し出される。
よもや、その下に、薄い何枚もの身体が潜んでいるとは気づかない。
まさに、私たちの日常は、この状態。
目に見えるのは、真っ黒な粗い身体(コーシャ)だけであって、
それが唯一の身体であると思いこんでいる。
これを「グロス体」と呼ぶ。
さて、この真っ黒の身体の用紙を静かに取り去ると、少し濃い色の身体が見えてくる。
いわば、それが「微細(サトル)体」。
それは、生命力や意志といったエネルギーの身体である。
さらに、これを取り去ると、ごく淡い色の身体が現れる。
それが「元因(コーザル)体」で、深い瞑想状態では誰もが体験する、
すべての身体の基礎(元因・コーザル)である。
唯識思想でいう「アーラヤ識」は、この領域に相当するという。
そして、最後に、それすらも取り去ると、
透明に近い、独立した形の見えにくい状態が現れる。
自己と世界との間に境界のない、最も統合の度合いの高い、究極の状態。
アートマン即ブラフマン。
そして、意識は、発達するにしたがって、粗い身体(コーシャ)の制約から、
ますます解放されてゆき、より微細な身体(コーシャ)と同一化する。
「意識が微細化すると、はるかに直接的に事物と接触するようになる」。
そして、こうしたプロセスを歩みつくした神秘家や聖者たちは、
最終的に、最も微細な制約からも自由になって、まったく直接的に事物と接触する。
溶け込むように世界とひとつになり、もはや、意識と世界との境界すらない。
梵我一如の究極の統一性に達する。
それが、意識の到達し得る、最高の統一状態。
発達プロセスを最大限進めた、「最も高次」の姿ということである。
そして、その最高の境地から振り返ってみれば、何のことはない、
実は発達の初めから、この究極の統一性は、常に既に、存在している。
ただ、見えなくなっていただけ。
意識が、本来自分が「それ」であるところの、真実の姿を見失っているだけ。
梵我一如のリアリティが、
粗いコーシャによってかき消されてしまっていただけ、ということになる。
実は、まさに今この時、意識の最も深いレベルにおいては、
意識と実在との境のない、究極の統一状態が存在している。
発達の最後の最後に現れるはずの、究極の統一状態が、
実は、すべての段階において、その最も深いレベルに、常に既にある。


西平直「魂のライフサイクル」



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