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2009.01.12
心の安楽
仏教の目標は、心の平安、安楽です。
心が怒りや不安、不満だらけで、幸福なはずはありません。
本当の幸福の為には、正しい心の探求が不可欠です。
その正しい心とは、
大宇宙の根源仏に忠実であることに他なりません。
人は、肉体の欲望の楽しみにふけるべきではない。
その楽しみは、下劣で、卑しく、凡俗的で、
聖なるものではなく、最終的な利益をもたらすものではない。
また人は、みずからを痛めつける苦行に熱中すべきではない。
その行は、苦悩にみち、聖なるものではなく、最終的な利益をもたらすものではない。
そして、それら両極端に近づくことのない中間の道がある。
それは、修行完成者(如来)によって正しくさとられた道(八正道)であり、
正しく見る眼を作り、智慧を生じさせ、静かな安らぎに導き、超人的な能力を生じさせ、
正しいさとりに導き、そして二ルヴァーナに到達させる。
また人は、称賛とはなにか、そして非難とはなにかを知るべきである。
それらを知ったうえで、称賛すべきではなく、非難すべきでもない。
ただ真理だけを説くべきである。
また人は、安楽とはなにかを知るべきであり、
それを知ったうえで、心のなかの安楽をもっぱら求めるべきである。
パーリ原始仏典中部第139経「無諍分別経」
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心が怒りや不安、不満だらけで、幸福なはずはありません。
本当の幸福の為には、正しい心の探求が不可欠です。
その正しい心とは、
大宇宙の根源仏に忠実であることに他なりません。
人は、肉体の欲望の楽しみにふけるべきではない。
その楽しみは、下劣で、卑しく、凡俗的で、
聖なるものではなく、最終的な利益をもたらすものではない。
また人は、みずからを痛めつける苦行に熱中すべきではない。
その行は、苦悩にみち、聖なるものではなく、最終的な利益をもたらすものではない。
そして、それら両極端に近づくことのない中間の道がある。
それは、修行完成者(如来)によって正しくさとられた道(八正道)であり、
正しく見る眼を作り、智慧を生じさせ、静かな安らぎに導き、超人的な能力を生じさせ、
正しいさとりに導き、そして二ルヴァーナに到達させる。
また人は、称賛とはなにか、そして非難とはなにかを知るべきである。
それらを知ったうえで、称賛すべきではなく、非難すべきでもない。
ただ真理だけを説くべきである。
また人は、安楽とはなにかを知るべきであり、
それを知ったうえで、心のなかの安楽をもっぱら求めるべきである。
パーリ原始仏典中部第139経「無諍分別経」



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