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2009.01.16
宇宙樹
現代の仏陀は、霊的に見た真実の世界観を示されています。
このような驚愕の事実を教えることができるのは、大如来だけなのです。
古来、宗教的な世界では、
「宇宙には、『宇宙樹』とでも言うべき大きな木がある。
宇宙のなかに一本の生命の木、生命の大樹が生えている」という言い伝えがあります。
実際に、霊的に見る世界は、望遠鏡で見る世界とは違っています。
宇宙のなかに一本の大きな木があって、それが何本もの大きな枝に分かれ、
その枝がさらに分かれ、何度も分かれていって、いろいろなところに伸びているのです。
この生命の大樹は「宇宙木」とも言われています。
これは、私だけが言っているのではありません。
肉眼で見た人は誰もいませんが、昔から、そういう伝説があるのです。
宇宙を貫く、この大木は、大きな視点で見ると、
地球というレベルを超えて、全宇宙にまで、その枝を伸ばしている大木です。
これを地球的視点から見ると、
地球という霊系団のなかにも、一本の大きな大きな柱のような木が生えています。
その生命の大樹の名を、「エル・カンターレ」といいます。
このエル・カンターレという存在が、地球に生きる、すべての生命の根源なのです。
ここから霊的なエネルギーが流れ出しています。
この生命の大樹、生命の大木から、大きな枝がたくさん出ています。
そして、地球の霊系団のなかで、この大きな枝に当たるものが「民族」なのです。
いろいろな国の民族が、この大きな枝の部分に当たります。
では、民族を決めるものは何でしょうか。
それが「宗教」です。
「民族の違い」とは、実は「宗教の違い」なのです。
それぞれの民族は、
「新しい教えを創唱した宗教指導者によって導かれた人々の群れが、その始まりである」、
ということになります。
そして、そこから大きな枝が何本も分かれ、
いろいろな時代に、いろいろな宗教ができて、いろいろな民族が繁栄したわけです。
このように、文化や文明の基底、基本には宗教があります。
何千年かの間、一つの民族が、さまざまな傾向性を持った文化を生み出し、
そこで、人々は何度かの転生、生まれ変わりを経験しながら、
その宗教のなかでの一定の文化というものを経験しています。
この「民族」という一本の大きな太い枝の先のほうを見ると、
さらに枝がどんどん分かれていきます。
それぞれの枝は、国としてまとまっている場合もありますし、
国を超えた幾つかの地方、アジアやヨーロッパなどの地方にまとまっている場合もありますし、
世界中に広がっている場合もあります。
その太い枝が細分化されて、国別、地域別、
あるいは、そのなかの一定の考えを持った人の集団のところへと枝が伸びているのです。
生命の枝は次々と細分化されていきます。
大きな枝から中ぐらいの枝になり、さらに細い枝が伸びています。
そして、この細い枝のいちばん先のほうには、末端の小さな枝が無数に出ていて、
たくさんの葉っぱが繁っているように見えます。
さらに近寄ってよく見ると、一つの小さな枝の先端に、六枚ぐらいの葉っぱがついています。
この枝についている六枚の葉っぱを「一つの生命体」として見るのです。
これを「魂の兄弟」といいます。
「魂の兄弟」は、原則として、「本体」という、魂の中心となる“司令塔”の部分、
“頭”になる部分と、その兄弟である五人の魂で、“一つ”にまとまっています。
この六人の魂全体で、“一つの生命体”になるのです。
それぞれの魂は、順番に、この地上に生まれます。
死んで霊界に還っても、地上に生きていたときの姿のままで生活していることが多いのですが、
それでも、本体と分身の全体で、まとまった一つの個性として、
「自分たちは、こういう魂である」という自覚を共有しているのです。
それぞれの魂には違いがあって、外見上は、地上に生きていた時代の姿の違いにも見えます。
しかし、魂の面から、まとまった一つの個性として見ると、
それぞれの魂が地上で経験した記憶が、
いろいろな断面として重なり合っているようにも見えるのです。
例えば、「江戸時代の記憶」「鎌倉時代の記憶」「平安時代の記憶」というように、
それぞれの時代に地上で生きた自分の姿が魂の記憶のなかにあり、
それを映画のスクリーンに映すように表現すると、
違う個性の人が何人かいるようにも見えるわけです。
そのように、人間の魂は、六人単位ぐらいのエネルギー量を持っていて、
そのうちの一人分ぐらいのエネルギーが肉体に宿り、この地上に生まれてくるのです。
そして、何十年かの修行を経て、新しい個性を持ってあの世に還ります。
今、生きているみなさんであれば、
二十世紀から二十一世紀にかけての新しい時代経験を積み、新しい勉強をし、
新しい人生の糧を得て、あの世に還っていきます。
そして、その記憶を魂の兄弟たちと共有することになっているわけです。
魂のなかには、古い古い昔の記憶もあるのですが、それはしだいに薄れていくので、
新しい時代に生まれ、新しい知識や経験を身につけていくのです。
こうした新しい人生観を知らなければ、
みなさんは、バラバラに分かれた“個人”として生きているつもりになりやすいでしょう。
そして、西洋的な価値観でいけば、
「個人主義で、競争して勝者になった者が偉い」、
「周りの者を蹴落としていくか、それとも敗残者になっていくか」と考えるような人もいます。
勝ち負けに一喜一憂して、
心が天国的な状態にも地獄的な状態にも揺れ動くこともあるでしょう。
しかし、実際は、「生命の大樹」というものが一本あり、それが大きく地球圏に広がっており、
さらには、地球圏を飛び越えて、
実は、生命が住んでいるほかの星まで、その枝が伸びているのです。
「大きな一本の宇宙の大木があるのだ。
すべての魂は、実は、つながっているのだ。
競争社会において勝ち負けを競っている相手であっても、
実は、自分にとって、まったくの敵やライバルではなく、
縁生の過程で何度も出会っている人たちであることが多いのだ。
魂的には、本当は一本の木につながっているのだ。」
こういうことを知っていただきたいのです。
だから、私は、みなさんに愛を説いています。
「愛し合いなさい。お互いに愛し合いなさい」と言っているのは、
あなたがたは他人ではないからです。
誰もが、実はつながっているのです。
もともとのエネルギーは、生命のエネルギー体としてはつながっていますし、
いろいろな時代に、どこかの地域で出会っている人もたくさんいるのです。
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このような驚愕の事実を教えることができるのは、大如来だけなのです。
古来、宗教的な世界では、
「宇宙には、『宇宙樹』とでも言うべき大きな木がある。
宇宙のなかに一本の生命の木、生命の大樹が生えている」という言い伝えがあります。
実際に、霊的に見る世界は、望遠鏡で見る世界とは違っています。
宇宙のなかに一本の大きな木があって、それが何本もの大きな枝に分かれ、
その枝がさらに分かれ、何度も分かれていって、いろいろなところに伸びているのです。
この生命の大樹は「宇宙木」とも言われています。
これは、私だけが言っているのではありません。
肉眼で見た人は誰もいませんが、昔から、そういう伝説があるのです。
宇宙を貫く、この大木は、大きな視点で見ると、
地球というレベルを超えて、全宇宙にまで、その枝を伸ばしている大木です。
これを地球的視点から見ると、
地球という霊系団のなかにも、一本の大きな大きな柱のような木が生えています。
その生命の大樹の名を、「エル・カンターレ」といいます。
このエル・カンターレという存在が、地球に生きる、すべての生命の根源なのです。
ここから霊的なエネルギーが流れ出しています。
この生命の大樹、生命の大木から、大きな枝がたくさん出ています。
そして、地球の霊系団のなかで、この大きな枝に当たるものが「民族」なのです。
いろいろな国の民族が、この大きな枝の部分に当たります。
では、民族を決めるものは何でしょうか。
それが「宗教」です。
「民族の違い」とは、実は「宗教の違い」なのです。
それぞれの民族は、
「新しい教えを創唱した宗教指導者によって導かれた人々の群れが、その始まりである」、
ということになります。
そして、そこから大きな枝が何本も分かれ、
いろいろな時代に、いろいろな宗教ができて、いろいろな民族が繁栄したわけです。
このように、文化や文明の基底、基本には宗教があります。
何千年かの間、一つの民族が、さまざまな傾向性を持った文化を生み出し、
そこで、人々は何度かの転生、生まれ変わりを経験しながら、
その宗教のなかでの一定の文化というものを経験しています。
この「民族」という一本の大きな太い枝の先のほうを見ると、
さらに枝がどんどん分かれていきます。
それぞれの枝は、国としてまとまっている場合もありますし、
国を超えた幾つかの地方、アジアやヨーロッパなどの地方にまとまっている場合もありますし、
世界中に広がっている場合もあります。
その太い枝が細分化されて、国別、地域別、
あるいは、そのなかの一定の考えを持った人の集団のところへと枝が伸びているのです。
生命の枝は次々と細分化されていきます。
大きな枝から中ぐらいの枝になり、さらに細い枝が伸びています。
そして、この細い枝のいちばん先のほうには、末端の小さな枝が無数に出ていて、
たくさんの葉っぱが繁っているように見えます。
さらに近寄ってよく見ると、一つの小さな枝の先端に、六枚ぐらいの葉っぱがついています。
この枝についている六枚の葉っぱを「一つの生命体」として見るのです。
これを「魂の兄弟」といいます。
「魂の兄弟」は、原則として、「本体」という、魂の中心となる“司令塔”の部分、
“頭”になる部分と、その兄弟である五人の魂で、“一つ”にまとまっています。
この六人の魂全体で、“一つの生命体”になるのです。
それぞれの魂は、順番に、この地上に生まれます。
死んで霊界に還っても、地上に生きていたときの姿のままで生活していることが多いのですが、
それでも、本体と分身の全体で、まとまった一つの個性として、
「自分たちは、こういう魂である」という自覚を共有しているのです。
それぞれの魂には違いがあって、外見上は、地上に生きていた時代の姿の違いにも見えます。
しかし、魂の面から、まとまった一つの個性として見ると、
それぞれの魂が地上で経験した記憶が、
いろいろな断面として重なり合っているようにも見えるのです。
例えば、「江戸時代の記憶」「鎌倉時代の記憶」「平安時代の記憶」というように、
それぞれの時代に地上で生きた自分の姿が魂の記憶のなかにあり、
それを映画のスクリーンに映すように表現すると、
違う個性の人が何人かいるようにも見えるわけです。
そのように、人間の魂は、六人単位ぐらいのエネルギー量を持っていて、
そのうちの一人分ぐらいのエネルギーが肉体に宿り、この地上に生まれてくるのです。
そして、何十年かの修行を経て、新しい個性を持ってあの世に還ります。
今、生きているみなさんであれば、
二十世紀から二十一世紀にかけての新しい時代経験を積み、新しい勉強をし、
新しい人生の糧を得て、あの世に還っていきます。
そして、その記憶を魂の兄弟たちと共有することになっているわけです。
魂のなかには、古い古い昔の記憶もあるのですが、それはしだいに薄れていくので、
新しい時代に生まれ、新しい知識や経験を身につけていくのです。
こうした新しい人生観を知らなければ、
みなさんは、バラバラに分かれた“個人”として生きているつもりになりやすいでしょう。
そして、西洋的な価値観でいけば、
「個人主義で、競争して勝者になった者が偉い」、
「周りの者を蹴落としていくか、それとも敗残者になっていくか」と考えるような人もいます。
勝ち負けに一喜一憂して、
心が天国的な状態にも地獄的な状態にも揺れ動くこともあるでしょう。
しかし、実際は、「生命の大樹」というものが一本あり、それが大きく地球圏に広がっており、
さらには、地球圏を飛び越えて、
実は、生命が住んでいるほかの星まで、その枝が伸びているのです。
「大きな一本の宇宙の大木があるのだ。
すべての魂は、実は、つながっているのだ。
競争社会において勝ち負けを競っている相手であっても、
実は、自分にとって、まったくの敵やライバルではなく、
縁生の過程で何度も出会っている人たちであることが多いのだ。
魂的には、本当は一本の木につながっているのだ。」
こういうことを知っていただきたいのです。
だから、私は、みなさんに愛を説いています。
「愛し合いなさい。お互いに愛し合いなさい」と言っているのは、
あなたがたは他人ではないからです。
誰もが、実はつながっているのです。
もともとのエネルギーは、生命のエネルギー体としてはつながっていますし、
いろいろな時代に、どこかの地域で出会っている人もたくさんいるのです。



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