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2009.01.28
入我我入
仏教は、仏に成るための教えであり、虚無主義とは対極にある。
仏に成るとは、仏神を信じ、仏神と一体になること。
我も仏も無く、自と他の区別も無い境地。
これを無我と言う。
地・水・火・風・空の五大元素によってなる肉体が、我ではない。
肉体への執着こそが、迷いの根本原因。
その姿は、まるで牢獄に捕われた小人のよう。
本来の人間は、もっと広大で、自由自在な存在である。
空海は言う、「仏性を開発せよ、そして無限の可能性を解き放て!」。
諸仏をわが身中に引入す、これを入我という。
わが身を諸仏の身中に引入す、これを我入という。
入我我入の故に、
諸仏の三無数劫の中に修集するところの功徳、我が身に具足しぬ。
また一切衆生の身中の本来自性の理と、
われ、及び諸仏の自性の理と平等にして差別なし。
しかも衆生は知せず、覚せずして生死に輪廻す。
「秘蔵記」
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仏に成るとは、仏神を信じ、仏神と一体になること。
我も仏も無く、自と他の区別も無い境地。
これを無我と言う。
地・水・火・風・空の五大元素によってなる肉体が、我ではない。
肉体への執着こそが、迷いの根本原因。
その姿は、まるで牢獄に捕われた小人のよう。
本来の人間は、もっと広大で、自由自在な存在である。
空海は言う、「仏性を開発せよ、そして無限の可能性を解き放て!」。
諸仏をわが身中に引入す、これを入我という。
わが身を諸仏の身中に引入す、これを我入という。
入我我入の故に、
諸仏の三無数劫の中に修集するところの功徳、我が身に具足しぬ。
また一切衆生の身中の本来自性の理と、
われ、及び諸仏の自性の理と平等にして差別なし。
しかも衆生は知せず、覚せずして生死に輪廻す。
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