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英国の科学思想家、H・G・ウェルズは、
「公平にどの点からみても、 世界最大の偉人は、 仏陀釈迦牟尼仏である」といったそうです。

彼は、人類の未来への希望と楽観性を失わない啓蒙家でありました。

無神論者や唯物論者であったかのように言われることもありますが、
フリーメーソンや神智学との関係も噂されています。




インド人は、力や知識は極端な禁欲によって、また断食や不眠や苦行によって、
えられるものと信じようとするのがつねであるが、ガウタマはいまや、
こうした考えの真否を試してみたのである。
彼は五人の同門の随伴者とつれだって密林に行き、そこで自ら断食や恐ろしい苦行をした。
彼の名声は「中天にかかる大きな鐘の音のように」広まった。
しかし、だからといって彼は、真理に到達したものとは感じなかった。
ある日のこと、彼は、
衰弱していたにもかかわらず思索しようとして逍遥しているうちに、突然に意識を失って倒れた。
正気に復したとき、彼は、
知識を求めるためのこうした半ば魔法的な仕方のばからしさが分かった。
彼は、常食を要求することにより、また苦行の継続を拒否することによって、
随伴者たちを恐怖させた。
彼の悟りは、およそ人間の到達しうる真理は、
健康な肉体にそなわる栄養の足りた頭脳によってもっともよく到達される、ということであった。
こうした考えは、この国この時代の考え方にとっては絶対的な異端であって、
同門の者たちは、彼を見すてて、心も重くベナレスに立ち去った。
ガウタマはただひとりで逍遥した。
人間が大きな複雑な問題を解決しようとするときには、その進みは一歩一歩であって、
突然に不意の光明によって自分の勝利を自覚するまでは、
その獲得したものをほとんど自覚しないものである。
ガウタマの場合にもそうであった。
食事しようと、ある河辺の大樹のもとに坐っていたとき、彼は、はっきりした啓示を感得した。
彼には、ありありと実相を観取したように思えたのである。
伝えるところによれば、彼は終日終夜坐って深い思索にふけり、
それから、この悟りを世人に分かつために立ちあがった。
彼はベナレスヘおもむき、そしてそこで、彼を見すてた同門の弟子たちをさがし出して、
ふたたび自分の新たな教えに従わせた。
彼らはベナレスの鹿野苑にみずから小屋を建て、一種の学校を設けて、
聖知を求めていた多数の人々をあつめた。
彼の教えの出発点は、幸運な若者の時の、
彼自身の問題―「なぜ自分は完全に幸福ではないのか」ということであった。
このインドの教師は、自我を没却せず、自我に傾注し、
そしてその自我を撃滅しようとしたのである。
彼の教えによれば、いっさいの苦悩は個人の飽くことを知らぬ欲望のせいであって、
その個人的な欲求を克服しないかぎり、人間の生活は憂苦であり、その最後は悲哀である。
生活のための欲求には三つの主要形態があるが、それらはすべて邪悪なものである。
第一は、飲食欲・貪欲・その他いっさいの官能的な欲望であり、
第二は、自分だけは死にたくないという利己的な欲望であり、
第三は、個人的な成功を求める欲望・名利欲・物欲などである。
すべてこれらの形態の欲望は、人世の不幸や憂悶をまぬがれるためには克服されねばならぬ。
これらを克服し、自我をすっかり滅却すれば、そのとき、
魂の寂静、すなわち最善なる涅槃に達するのである。
上述のようなものを骨子とする彼の教義は、このうえなく精妙で形而上学的なものであって、
これを理解することは、「恐れずかつ正しく見て知れ」というギリシア人の教訓や、
「神を畏れて正義をなせ」というヘプライ人の命令などのばあいのように、容易なことではない。
この教義は、ガウタマの直弟子たちでさえもなかなか理解できなかったのであって、
彼の個人的な影響がなくなるやいなや、
堕落して劣悪化したということは、少しも不思議ではない。
その当時のインドでは、長い歳月をへるごとに「英知」がこの世に現われ、
その「英知」は、「仏陀」とよばれる、ある選ばれた個人をその化身とする、
ということが広く信じられていた。
ガウタマの弟子たちは、彼こそ仏陀であり、諸仏陀中の最後のものであると宣明したが、
もっとも、彼みずからこの称号を認容したという証拠はない。
人間というものは、道徳的努力よりも奇蹟物語を好むのが常であるが、
ガウタマ仏陀もきわめて驚異にあたいするものとされている。
とはいえ、世界はなお本質的に得るところがあった。
涅槃なるものはたいていの人々の想像力にとってはあまりに高遠で微妙だったとしても、
人々は少なくとも、ガウタマが名づけて、
生活における「八正道」と呼んだものの正意をいくらかは理解したはずである。
そのなかには、正しい思考(正思惟)とか、正しい目標(正見)や正しい言葉(正語)とか、
正しい行為(正業)や正しい生活(正命)とかに関する主張があった。
また、良心(正念)の鼓舞があり、高潔で没我的な目的(正定)にたいする教示があった。


「世界史概観」




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