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「スピリチュアル」な事象には、未だに強固な反対者が存在します。

特に共産主義国や日本では、異常なほどの拒絶反応が見られます。

何故、このようなタブーが存在するのでしょうか?




近代スピリチュアリズムは、
まとまった学術研究の対象となることが比較的少ないかわりに、
奇妙なエピソードとして言及されることは多い。
ときおり評価の高い学術論文の主題となった場合でも、距離をおいたスタイルをとる、
つまり無防備な擁護論と、対するに品位を貶めるような言葉を、
しかも自分の意見ではなく、他者の評価を引用する形でちりばめる、
という一定の傾向がある。
たとえば「心霊主義の実践と信念は、どんな意味を持っていたのか、
このような問題の全体像を示す試み」をみごとに行なったと評される、
ジャネット・オッペンハイムも、「19世紀の心霊主義者たちは、
20世紀の研究者の嘲笑の対象、研究には値しないと考えられた」という批判を引用した上で、 
19世紀の英国学士院のフェローやノーベル賞を得た少なからぬ科学者の一部にとって、
「心霊主義と心霊研究は非常に真面目な研究対象だった」と弁護している。
こうしたスタンスがとられるのは、19世紀末のトップクラスの科学者、知識人の一部が、
霊媒の発言やデモンストレーションにまともに向き合っていたことと、
それが容赦なく批判されたことへの、警戒感の反映であろう。
「優れた」とされる知性が、「研究に値しない」と思われる現象に取り組んでいたのであれば、
その知性が劣っていたか、
あるいはその現象が重大な含意をもつものだったか、どちらかである。
いずれにせよ、この話題にかかわりあいをもてば、
現代の知識人たちも心穏やかではいられなくなる。
シュタイナーは、「スピリチュアリズムの歴史」と題する講演の冒頭で、
この主題には「熱狂的な支持者と暴力的な反対者」がいること、
反対者は「きわめて激しく反対する」か、「迷信と呼んで嘲る」か、
「軽い、気の利いた、愚弄するような言葉で脇へ払い除ける」かであること、
スピリチュアリズムは、
「そのような激しい感情を、ほぽ瞬間的に引き起こす」テーマであること、などを指摘している。
最初期から今日にいたるまで、まったく同様の反応が指摘され続けているが、
シュタイナーがことさらに言及しているように、このような正反対の、
しかも激しい反応が同時に起こることには、重大な含意がある。
別の人間が別の文脈でいったことをここで再び引用すれば、
「これはつねに最良の兆候である。
自分が、非真実や誤謬や嫉妬に触れることを言い当てたとわかるからだ」といわれたり、
「人々の理解がまちまちでこのように正反対の極瑞な評価を受けるということは、
人間の存在の中にある何か予想されないもの、苦痛に満ちたもの、
何かがまんのできないものに彼が触れたからである」といわれたりするとおり、
反射的な拒絶が起こるところは、タブーが潜んでいるポイントである。
かつてタブーであった「性」と「死」が、もはやタブーではなくなり、
アカデミズムでもジャーナリズムでも定番の演題となった今日、
「死後生存」「霊」を語るタブーだけは濃厚に残っている。


津城寛文「霊の探求」




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