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2009.03.11 祈りと奇跡
祈りや奇跡は、宗教の生命です。

これは、仏教においても同じことです。




知識人は経典や真言による祈願をすぐ「祈祷仏教」といって軽蔑するけれども、
祈願や祈祷は本来の意味では、宗教の生命である。
平安時代の仏教は祈祷仏教、伽藍仏教になったから、
鎌倉新仏教が誕生した、などと単純に説くのは、もう止めた方がよい。
このような歴史の形式化、教科書化こそ、宗教のためにもっとも有害である。
ただ祈祷が一部の貴族や権力者のためだけにおこなわれたり、
祈祷が形式化して、苦行精神を喪失した場合は、批判されなければならない。
しかし、ほんとうの祈祷は、誠心と慈悲心の交流合一であって、その実践は呪術と苦行にある。
これがすすんでは、社会的救済にまで発展することもあるが、
それはあくまでも「祈り」の表現と実践にほかならないのである。

従来の呪術論は、
呪文(真言)や呪物や呪的行為(印や呪的動作)の表面的な形態だけをとりあげて、
その内面を無視して来たようにおもわれる。
とくに呪術と宗教の関係はキリスト教を基準にして論じられたために、呪術は宗教ではなく、
未開野蛮であり、異端的・悪魔的であり、悪であるときめつけられていた。
その尻馬にのった日本の宗教学者や哲学者やインテリ一般も、呪術といえば顔をそむけ、
迷信の親玉のようにかんがえて、行者とか祈祷師を蛇蝎視する。
天台や真言などの密教を中心とする宗派は、「祈祷仏教」の烙印をおされるのをおそれて、
祈祷を隠そうとし、教学や哲学にだけ精を出すことに懸命である。

宗教は超現実性と超人間性を本質とするがゆえに、神または仏と奇跡が要請される。
この超現実的な奇跡をおこすための実践方法として呪術があり、
その実践者こそ宗教者であり僧侶、神官である。

したがって、祈りと苦行の裏付けをもった呪術は真の宗教であり、
信者の心身に奇跡をおこすものといって差し支えない。
その代わり、祈りと苦行の実践を欠いた呪術は、いかに道具立ては立派でも、
虚偽の宗教であるといわなければならない。


五来重「日本の庶民仏教」




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