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日本の中世や近世は、
封建社会下の暗黒時代であったというのは、マルクス主義歴史学による捏造です。

実際には、現代より豊かで自由な宗教文化を発達させていました。

仏教が生きていた時代があったのです。

宗教はアヘンどころか、あらゆるものの根源なのです。




日本仏教は日本文化の母胎であるとともに、日本の芸能の源泉である。
宗教は理念でも観念でもない。
いわんや恰好のいい哲学でもない。
人間の心の奥底をゆさぶる感動である。
芸能は踊りにしても歌にしても、演劇(能)にしても、
人間の感動から生みだされ、そして人間を感動させる。
したがって宗教がみずからを表現しようとするとき、
芸能という媒体をとったのは自然であった。
宗教的芸能は、文字や言語をもちいないでも、
じかに神の恩寵なり、仏の慈悲なりを伝達することができる。

近代以前には説教も芸能であった。
説経祭文や節談説教がそれである。
現代の理におちた説教は、
一部のインテリにはむかえられるにしても、大衆をうごかす力がない。
節談は卑俗ではあるが、あるときは泣き、あるときは笑い、
念仏のありがたさや、因果応報の理を毛穴から吸収させる。
それどころか、芸能は文字も言葉ももちいないで、
仏教の理をおしえることすらできたのである。

中世の民衆宗教家である聖は、世界にもまれなパントマイム(無言劇)をつくりだした。
仏教には不立文字と以心伝心を標榜する禅があるが、
壬生狂言にはそのような禅の要素がうかがわれる。
だいたい、聖たちは八宗兼学であった。
かれらは名乗りにしばしば、
「八宗一見の僧」とか「天一自在法門」といって一宗にとらわれないことを標榜した。
高野聖のうちの一派、萱堂聖の開祖、法燈国師が、
念仏と禅と密教をすすめたことは知られているが、 
一遍上人も念仏聖であり、法燈国師から禅の印可をえている。
したがって壬生狂言の創始者である円覚十万上人道御が、
禅の不立文字をとりいれてパントマイムをはじめても不思議はない。

古代の芸能は伎楽、舞楽のほかに散楽という外来芸能があって、
日本固有の神楽、田楽と習合した。
とくに散楽は神楽、田楽および仏教の咒師芸と結合して猿楽という伝統芸能を生んだ。
現在五流の能楽とよばれるものは、近世に入って大きな変化をとげたようであるが、
念仏を主題にしたものに「百万」「隅田川」「三山」「土車」「弱法師」などがある。
「弱法師」は四天王寺の西門念仏を救いのテーマにした継母悲劇で、
説経にかたられては「俊徳丸」となり、歌舞伎では「摂州合邦辻」として知られている。
河内の国、高安の里の左衛門尉通俊の一子は、継母のために盲目となり、
弱法師とよばれて乞丐放浪の旅にほうり出される。
これを彼岸にいとなまれる四天王寺の西門念仏で、
一七日の施行をひく父通俊の功徳によって、
父子再会の上、帰郷することができたという筋である。
これは、人の世の宿業による悲劇をかたるとともに、
四天王寺西門の日想観のいわれを説き、その上、
霊仏霊社でめぐまれぬ乞丐者に布施行をすることの功徳を知らしめるのである。

また謡曲は、その成立時の時代背景から、禅の精神をつたえることが多い。
そのなかでもっともポピュラーな曲が「放下僧」である。
この曲で連想されるのは現在三河の奥地、
鳳来町や新城市の一部に「放下大念仏」という踊念仏があることである。
ここで本来ならば禅法をつたえる放浪芸能者としての放下僧が、
大念仏をするのはなぜだろうか。
これも庶民芸能は庶民信仰とおなじく、宗派や教理にこだわらないことをしめしている。
このようにして禅も念仏も、芸能の世界では共存でき、庶民の心をゆたかにし、
仏の現世来世にわたる救済を信じて、日々の生活に安心とよろこびをえたのであった。

仏教にかかわりのある日本の庶民芸能も、
舞楽や能や歌舞伎のように貴族化して、
無形文化財などと国家の保護を受けるようなものがある。
これに対してきわめて庶民的な落語・講談・浪曲の方の保護はどうなのだろうか。
私はこの方が心配である。
熊さん八さんの下品な趣味なんかどうでもいいと、
文化行政官僚はかんがえているのだろうか。

古代から中世にかけて、あれだけ庶民のあいだに仏教をひろめ、
かつ浸透させた説経は、浄瑠璃となって近世の舞台芸術に出世した半面、
説経祭文となってくずれ山伏の放浪芸におちた。
もちろん祭文は山伏の神事祈祷に祝詞のようによみあげて、
神おろしや神の恩寵をねがうものであった。
一方説経は山伏の祭文とともに、歌説経、歌祭文になり、
やがてチョンガレ、浪花節と変化してゆく。
チョンガレは山伏の門付き芸として発生したが、やがて村々の盆踊歌になった。
しかし、そうしたなかでも、高僧一代記や地獄語りはのこっていた。
これでチョンガレも説経の末裔であるという、「氏素性いやしからざる」身分を主張している。
私のあつめた越中チョンガレの中には、
「釈迦八相記」「親鸞記」「蓮如上人御一代記」などとともに、「目蓮尊者地獄巡り」があった。
この地獄巡りはまことに詳細で、描写に生彩があり、
筋のはこびも自分が地獄を巡っているような錯覚におそわれる。
これを民衆がつくりあげたとすれば、おどろくべき文才であるが、
そのもとはやはり無名の田舎回りの説経師が作ったものであろう。
チョンガレ「目蓮尊者地獄巡り」の作者などは、
名僧高僧以上に仏教の民間浸透の功績があったものとおもわれる。

日本で仏教が民衆のものになるために説経は大きな働きをした。
それは哲学や思想としての教理仏教、
仏像仏画や建築をほこる美術仏教におとらぬ功績である。
それは民間のもの、無知な庶民のもの、柄のわるいものとして賤しめられて来たが、
仏教を庶民のものとするための方便として、もう一度見なおす必要があるであろう。


五来重「日本の庶民仏教」



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