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近年の比較宗教学では、
世界宗教における相違点よりも、むしろ類似点が指摘されています。

そして、その視野はスピリチュアルにまで向けられているのです。

新進の比較宗教学者の藤原聖子氏はこのようにいわれます。




「天国はある」という人の割合が多いアメリカでも、
ごく一般的な天国イメージは、みな白い服でフワフワと浮いていて、
ハープなどを優雅に奏でている程度のものと聞きます。
どうやら天使像と混ざってしまっているようです。
それだけに、
「イスラムの殉教者はこのような天国を信じているのだ」と聞くと驚きもひとしおなのでしょう。
三大宗教はそれぞれ違うと思い込みもあるようです―日本人は、
一神教と仏教の違いを強調しがちですし、
キリスト教徒は保守的な人ほど、
仏教のみならずイスラムともキリスト教は違うといいがちです。
しかし、キリスト教や仏教にも宴会的天国は無縁ではないことがわかりました。
さらに重要なのは、民族宗教・民間信仰に比べれば、
三大宗教の他界観は共通性の方が大きいということでした。
救済のゴールである来世(あの世)で人間はどのように過ごすのかというのは、
三大宗教では大きな関心事であり、その説明は時とともに詳細化していきました。
また、天国に行ける条件、地獄の苦しみは、
それぞれの宗教の拡大に伴い、緩やかになるという傾向も見られました。
それらの天国・地獄観は近代化とともに変化してきました。
民主主義的価値観を自明のものとする眼には、
キリスト教やイスラムの伝統的天国観に含まれている、
「王様」モチーフはとくに違和感があるでしょう。
つまり、王である神に謁見を許されることや、
自分が王様のように大量の召使を抱えて、
豪邸に暮らすことを幸せとしていることに対してです。
仏教の極楽についても、「湯船につかって『あー、極楽、極楽』」が一般人の感覚でしょう。
「極楽では勉強するんですよ」などと言ったら、
「え?別に解脱したくないので、極楽は結構です」と言われかねません。
そのようなわけで、伝統的な宗教に代わり、
自分探しの「スピリチュアル」が台頭していきました。
仏教では、10年ほど前に「チベット死者の書」が話題になりましたが、
これはスピリチュアル・ブームの方の動きでした。
「チベット死者の書」とは、チベット仏教で臨終に際して読まれる経典ですが、
死後の意識の状態を表す奇書として、
日本より先に欧米のニューエイジ文化の中でもてはやされていたのです。
ゲームやアニメには、天使や悪魔の居場所として、
「天国」「地獄」よりも「天界」「魔界」といった言葉の方がよく使われているとしたら、
それはこの、伝統的三大宗教からスピリチュアルヘという変化を反映しているといえるでしょう。
死んだ後に人間が行く、あるいは終末に立ち現れる世界ではなく、
同時進行し、人間社会にしばしば口を開く異界というわけです。


「三大宗教 天国・地獄 QUEST」




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