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神に到るまでの中間的存在なくして、宗教は成り立ちません。

祈りは彼らを媒介として叶えられます。




心の雑音を避けよ。
純粋に神の放送に心の耳を傾けよ。
聖書は「心の清きものは神を見ることを得ん」と教えていられるのである。
「心の清きもの」とは「心の雑音」のないものである。
世俗的な利欲の観念や、肉体的享楽の不純な欲情の無きものである。
せめて、祈る時だけでも、
そのような世俗的及び物質的・肉体的な欲情をことごとく払拭して、
心を清くして、純粋に心を神に振り向けた者とならなければならないのである。
自分の力で心を純粋になし得えないときに、
心の雑音を濾過する媒介として、高級霊又は天使を必要とするのである。
即ち、キリスト教に於いてはイエス・キリストが「心の雑音」を濾過する媒介となり、
仏教に於いては阿弥陀仏とか観世音菩薩とかが「心の雑音」を濾過する媒介となるのである。
人間自身は未だ修養が足らず、「心の雑音」が始終に起るのであるけれども、
神に自分の祈りが達する途中に於いて、
観世音菩薩の慈悲により「心の雑音」が除去されて、
神の霊的放送と純粋に波長が合うようになり、
神の与えたまうた善き恵みのみが現象世界に肉眼に見えるように実現してくるのである。


谷口雅春「希望を叶える365章」




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