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日本人には馴染みの薄いフリーメイソン。

『世界秘儀秘教辞典』にはこうあります。




フリーメイソンが今も西欧世界における秘教的伝統の最後の砦としてあるなどと書けば、
たしかに月並みな言葉のくりかえしとの誹りを受けるかもしれない。
だが、彼らの存在を想い起こすことは、たしかになおも有益である。
たとえば、きわめて多様な隠秘的・神智学的宗団が、
フリーメイソンのイニシエーションをほとんどつねにとりいれているということは、
異論のないところである。
教会や世俗権力からの直接的ないし間接的な、そして一方は激烈な、
他方は積極的な攻撃にさらされたフリーメイソンは、万難を排して踏みとどまっている。
いったいだれがそれを支えているのか。
夢想家たちはフリーメイソンがその強さをさまざまな隠秘的な力、すなわち、
退廃的な西欧にはフリーメイソンの存在が必要だとする力から得ている、と主張するだろう。
ファンタスティックだが、20世紀としては多少とも滑稽な主張ではある。
しかし、これら「隠秘的な力」が、
ほかでもないわれわれ自身のものであるとしたら?
もしもそれが永遠に影のなかにとどまるわれわれの精神の部位、
つまり無意識の部位に属しているとしたら?
さらに、20世紀の人間、とくに西欧人が、
そのサロン的な懐疑主義や無神論的唯物論、いわば18・19世紀の遺物とでもよぶべき、
これらあまりにも窮屈な着衣に居心地の悪さを覚えているとしたらどうだろう?
かつて時代が幻想の砂の上に築かれた試しはない。
民主主義や社会主義、自由といったもっとも確実なはずのわれわれの価値体系は、
これまで苛酷な現実の攻撃をたえず受けてきた。
われわれのなかでは、一切が矛盾しており、
言葉や思想は現実のもろもろのできごととはかならずしも結びついてはこなかった。
こうしてわれわれは欲求不満におちいり、
消えた神と対象のない信仰の代替物を必要とするようになる。
まさにこの点において、集団的無意識に宿る漠然とした代償意志こそが、
西欧世界のフリーメイソンがなおも拠りどころとしている、
「隠秘的な力」の少なくとも一部を形作っているのではないか。
だが、フリーメイソンは教会ではなく、神秘的な機関でもない。
そこでは神はかならずしも除かれていない。
ただ、象徴的な形態をとっているだけなのである。
また、信仰告白もなければフリーメイソン的典礼といったものもない。
たしかにフリーメイソン的「密儀」はあるが、
用語の伝統的な意味では、
それは古代の「密儀宗教」に似たイニシエーション儀礼の形態をおびているにすぎない。
むろんフリーメイソン的「秘密」はたしかに存在しているものの、
この秘密は秘儀にあずかったメンバーがたがいに伝えあうような、
門外不出の様式からできているわけでは決してない。
ごく単純にいえば、それはむしろ心理的なものなのである。
ただ、なんらかの感情や内的霊感の表出であるがゆえに、
それは洗いざらい明らかにされうるものでもない。
現代のフリーメイソンは人類愛という目標を掲げ、
あらゆる分野で、あらゆる国家を越えて友愛と相互扶助精神の促進に努力している。
そして一切の教条主義や排他性を否定するとも主張する。
自由・平等・博愛というフリーメイソンの標語は、こうした精神のきわだった現われといえる。
フリーメイソンは理想をもっているが、それは決して教義ではない。




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