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2009.04.02
神のまばたき
この世での生活は、長い長い転生の過程のなかでは、ほんの一瞬です。
この世での生活では転生を信じていなかった西洋の科学者が、
死後、霊界から電子機器を通じて、輪廻転生の事実を伝えてきています。
ITC(電子機器による霊界通信)研究者はこう言います。
多くの宗教が転生について説いており、
これについて言及している書物も数多く存在します。
そして霊界の研究仲間たちも会話のなかで、
進化における一過程として転生に触れています。
しかしながら、彼らは、転生について今や、
20世紀におけるさらに幅広いとらえ方をしています。
つまり、多次元から成る宇宙という枠組みのなかで、転生を考えているのです。
高次の世界における「光の存在」であり、
霊界の研究所の指導者であるテクニシャンは、
「転生は『霊的法則』である」と述べています。
しかし彼は、ここ地球および高次の世界の存在たちはすべて、
この法則を避けるためにしばらくの間「迂回」したり、
ときには拒否することもできる、
ただ永久にこの法則から逃れるれることはかなわないと補足しています。
霊界の科学者たちは、多くの惑星と銀河を持つ多次元宇宙について語り、
霊体でいるときには、わたしたちは宇宙の旅行者で、
他の多くの惑星を訪れたり、またそこに暮らしたりすることさえもできると述べています。
霊の進化は広大な宇宙を必要とするのです。
この概念がどんなに果てしなく大きいものかを考えてみてください!
わたしたちの地球は、1OOO億もの星を持つ銀河系のなかの平均的な惑星で、
この銀河系はさらに1OOO億の他の銀河に囲まれているのです。
しばしばわたしたちは、実際には経験した覚えもないのに、
「生命は永遠である」などという霊的な概念をくり返し口にします。
けれども、多くの信心深い人々にとって永遠の命というものは、
極度に単純化された結論となってしまっているのです。
わたしたちのなかには、死の瞬間に天国へと流され、
そこで神の国に暮らすのだと考えている人たちもいれば、
そこでは永遠に竪琴を弾き続けるのだと考える人さえいます。
しかしここで常識を働かせてみれば、
みんながみんな竪琴を弾きたいと思っているわけではないし、
音楽に関心のない者にとっては、
そんな存在はとんでもなく退屈なものになるだろうことがわかるはずです。
わたしたちは死んでも生きている間となんら変わりはないのだと、
他界にいる研究仲間たちは言っています。
わたしたちは死の瞬間に奇跡的に変わるわけではないのです。
わたしたちはアストラル体になっても、自分の思考、態度、願望を持ち続けます。
常に神をたたえて神の国に暮らすことは、
率直に言えばほとんどの人たちにとって楽しいことではないでしょう。
実際、たいていの人たちは―その死後も―、
このような高尚な目標に対しての準備がまだできていません。
これはそのような可能性がないということではありません。
ただほとんどの人々は、その生命のすべてを神をあがめながら過ごすことを、
(とりあえずは)まったく望んでいないのです。
彼らが深く掘り下げたいと思っていることは、もっと別にあります。
そして多次元から成る宇宙のなかで、
いつか心から神に感謝して神の存在を享受できるほどに純粋になれるよう、
彼らは何回もの人生をかけてそのような探求心を満たし、飽き飽きするほど堪能するのです。
ここで問題となるのは、わたしたちが地球に暮らす間、
人生は果てしなく長いものに感じられるということです。
けれども、アストラル界には時間というものが存在しません。
そしてアストラル界に暮らす人々にとっては、
人間の一生とはかろうじて覚えているかどうかのつかの間の夢にすぎません。
そうです、あなたにとってこれだけ重要で、
あなたのエネルギーのすべてを費やしているこの人生は、
実は神のまばたきほどのものなのです。
ほとんどの教会の教義では、人生はひとつしかないと説かれています。
霊界の科学者は、これは真実であることを指摘していますが、ここには誤解があり、
この教えは地球でのひとつの人生だけを示すものと解釈されてしまっています。
ほんとうはそうではなく、霊の命は永遠で、
多くの次元におけるたくさんの惑星での数え切れない経験から成り、これらの経験を基に、
わたしたちは神のそばで生きるにふさわしい高次の存在へと進化していくのです。
霊が最後に天界の領城にたどり着いて、
そのエネルギーの源に戻るとき、その命は初めて成就されます。
一方で、それはさらに高次のレベルにおける始まりにしかすぎないかもしれないのです!
宇宙が果てしないものならば、おそらく魂も果てしないものなのでしょう。
釈迦は、輪、つまり「生命の輪」である多次元世界について説きました。
人は物理的世界からアストラル界へ渡り、
その後もぬぐい去れない願望を達成するために地球に戻る。
もし「この輪からはずれたい」のなら、無欲でいなければならない。
つまり、あなたが地球上で得られるものをこれ以上何も望まないならば、
もう地球に戻ることもないということです。
あなたの願望こそが、あなたを地球に呼び戻すものなのです。
ここで明白な疑問が出てきます。
「いったい、わたしはこれ以上何を望むのだろう?」
あなたは自分を地球に留まらせるものについて、気にせずにいられません。
転生においては自由意思というものが大きくからんできます。
霊界の指導者たちの多くは、転生はカルマ、
つまり「作用と反作用の法則」によって引き起こされると考えています。
もし他人を傷つければ、あなたは地球に戻り、
自分が他人にしたのと同じ苦しみを味わうことになります。
こういった状況に適切な言葉は「自業自得」です。
キリストが言ったことの多くはカルマの観点から解釈することができますが、
彼の言葉にも「善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです」、
「不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう」というものがあります。
常に他人に親切であれという彼の教えは、カルマ的な意味から賢明なことであると言えます。
なぜなら、もしあなたが他人に対して良い行いしかしなければ、
自分にも良いことしか返ってはこないからです。
しかし、すべての転生がカルマに関連しているわけではありません。
霊界の指導者はこう述べています。
「転生のすべてが、過去世の償いを今世でするための過程といったわけではない。
あなたの周りの人々が過酷な運命にさらされたからといって、
彼らが過去の過ちの償いをしているのだとは必ずしも考えないでほしい。
決して裁かないこと!
もしかするとあなたはまちがっていて、
その誤った判断によって自分に重荷を課してしまうかもしれないのだ。
過去のカルマとは関係のない悲しみや病を抱えている人もいる。
彼らは自分自身の自由意思をもって、より早く自分の目的に到達するため、
または叡智と霊的成長を高めるために困難な道を自ら選んだのかもしれないのである。」
霊界の研究仲間たちが指摘するように、
転生とは霊的存在に対して強制されるものではありません。
これは、霊的存在が自分自身の知識や叡智を高めるために自ら進んで行うことなのです。
自分が抱く思考と行動が引き起こす結果から逃れる道はありません。
否定的な考えや行動からは、より良い世界に住むことを期待することはできません。
物理的な体が崩壊するとき、あなたの思考、感情、記憶を含むあなたのアストラル体は、
アストラル界に生きるために解き放たれます。
暗闇と苦痛に満ちた低次の世界に住むか、
美と愛にあふれた高次のアストラル界に住むか、
あるいはさらに上層の、
神に最も近い神聖な存在たちの世界に住むことになるかは、まったくあなたしだいです。
選ぶのはあなたです。
地球で過ごす一瞬一瞬が、ここで選択することすべてが、
あなたの死後の生活を決定するのです。
パット・クビス/マーク・メイシー「あの世の存在に活かされる生き方」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
この世での生活では転生を信じていなかった西洋の科学者が、
死後、霊界から電子機器を通じて、輪廻転生の事実を伝えてきています。
ITC(電子機器による霊界通信)研究者はこう言います。
多くの宗教が転生について説いており、
これについて言及している書物も数多く存在します。
そして霊界の研究仲間たちも会話のなかで、
進化における一過程として転生に触れています。
しかしながら、彼らは、転生について今や、
20世紀におけるさらに幅広いとらえ方をしています。
つまり、多次元から成る宇宙という枠組みのなかで、転生を考えているのです。
高次の世界における「光の存在」であり、
霊界の研究所の指導者であるテクニシャンは、
「転生は『霊的法則』である」と述べています。
しかし彼は、ここ地球および高次の世界の存在たちはすべて、
この法則を避けるためにしばらくの間「迂回」したり、
ときには拒否することもできる、
ただ永久にこの法則から逃れるれることはかなわないと補足しています。
霊界の科学者たちは、多くの惑星と銀河を持つ多次元宇宙について語り、
霊体でいるときには、わたしたちは宇宙の旅行者で、
他の多くの惑星を訪れたり、またそこに暮らしたりすることさえもできると述べています。
霊の進化は広大な宇宙を必要とするのです。
この概念がどんなに果てしなく大きいものかを考えてみてください!
わたしたちの地球は、1OOO億もの星を持つ銀河系のなかの平均的な惑星で、
この銀河系はさらに1OOO億の他の銀河に囲まれているのです。
しばしばわたしたちは、実際には経験した覚えもないのに、
「生命は永遠である」などという霊的な概念をくり返し口にします。
けれども、多くの信心深い人々にとって永遠の命というものは、
極度に単純化された結論となってしまっているのです。
わたしたちのなかには、死の瞬間に天国へと流され、
そこで神の国に暮らすのだと考えている人たちもいれば、
そこでは永遠に竪琴を弾き続けるのだと考える人さえいます。
しかしここで常識を働かせてみれば、
みんながみんな竪琴を弾きたいと思っているわけではないし、
音楽に関心のない者にとっては、
そんな存在はとんでもなく退屈なものになるだろうことがわかるはずです。
わたしたちは死んでも生きている間となんら変わりはないのだと、
他界にいる研究仲間たちは言っています。
わたしたちは死の瞬間に奇跡的に変わるわけではないのです。
わたしたちはアストラル体になっても、自分の思考、態度、願望を持ち続けます。
常に神をたたえて神の国に暮らすことは、
率直に言えばほとんどの人たちにとって楽しいことではないでしょう。
実際、たいていの人たちは―その死後も―、
このような高尚な目標に対しての準備がまだできていません。
これはそのような可能性がないということではありません。
ただほとんどの人々は、その生命のすべてを神をあがめながら過ごすことを、
(とりあえずは)まったく望んでいないのです。
彼らが深く掘り下げたいと思っていることは、もっと別にあります。
そして多次元から成る宇宙のなかで、
いつか心から神に感謝して神の存在を享受できるほどに純粋になれるよう、
彼らは何回もの人生をかけてそのような探求心を満たし、飽き飽きするほど堪能するのです。
ここで問題となるのは、わたしたちが地球に暮らす間、
人生は果てしなく長いものに感じられるということです。
けれども、アストラル界には時間というものが存在しません。
そしてアストラル界に暮らす人々にとっては、
人間の一生とはかろうじて覚えているかどうかのつかの間の夢にすぎません。
そうです、あなたにとってこれだけ重要で、
あなたのエネルギーのすべてを費やしているこの人生は、
実は神のまばたきほどのものなのです。
ほとんどの教会の教義では、人生はひとつしかないと説かれています。
霊界の科学者は、これは真実であることを指摘していますが、ここには誤解があり、
この教えは地球でのひとつの人生だけを示すものと解釈されてしまっています。
ほんとうはそうではなく、霊の命は永遠で、
多くの次元におけるたくさんの惑星での数え切れない経験から成り、これらの経験を基に、
わたしたちは神のそばで生きるにふさわしい高次の存在へと進化していくのです。
霊が最後に天界の領城にたどり着いて、
そのエネルギーの源に戻るとき、その命は初めて成就されます。
一方で、それはさらに高次のレベルにおける始まりにしかすぎないかもしれないのです!
宇宙が果てしないものならば、おそらく魂も果てしないものなのでしょう。
釈迦は、輪、つまり「生命の輪」である多次元世界について説きました。
人は物理的世界からアストラル界へ渡り、
その後もぬぐい去れない願望を達成するために地球に戻る。
もし「この輪からはずれたい」のなら、無欲でいなければならない。
つまり、あなたが地球上で得られるものをこれ以上何も望まないならば、
もう地球に戻ることもないということです。
あなたの願望こそが、あなたを地球に呼び戻すものなのです。
ここで明白な疑問が出てきます。
「いったい、わたしはこれ以上何を望むのだろう?」
あなたは自分を地球に留まらせるものについて、気にせずにいられません。
転生においては自由意思というものが大きくからんできます。
霊界の指導者たちの多くは、転生はカルマ、
つまり「作用と反作用の法則」によって引き起こされると考えています。
もし他人を傷つければ、あなたは地球に戻り、
自分が他人にしたのと同じ苦しみを味わうことになります。
こういった状況に適切な言葉は「自業自得」です。
キリストが言ったことの多くはカルマの観点から解釈することができますが、
彼の言葉にも「善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです」、
「不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう」というものがあります。
常に他人に親切であれという彼の教えは、カルマ的な意味から賢明なことであると言えます。
なぜなら、もしあなたが他人に対して良い行いしかしなければ、
自分にも良いことしか返ってはこないからです。
しかし、すべての転生がカルマに関連しているわけではありません。
霊界の指導者はこう述べています。
「転生のすべてが、過去世の償いを今世でするための過程といったわけではない。
あなたの周りの人々が過酷な運命にさらされたからといって、
彼らが過去の過ちの償いをしているのだとは必ずしも考えないでほしい。
決して裁かないこと!
もしかするとあなたはまちがっていて、
その誤った判断によって自分に重荷を課してしまうかもしれないのだ。
過去のカルマとは関係のない悲しみや病を抱えている人もいる。
彼らは自分自身の自由意思をもって、より早く自分の目的に到達するため、
または叡智と霊的成長を高めるために困難な道を自ら選んだのかもしれないのである。」
霊界の研究仲間たちが指摘するように、
転生とは霊的存在に対して強制されるものではありません。
これは、霊的存在が自分自身の知識や叡智を高めるために自ら進んで行うことなのです。
自分が抱く思考と行動が引き起こす結果から逃れる道はありません。
否定的な考えや行動からは、より良い世界に住むことを期待することはできません。
物理的な体が崩壊するとき、あなたの思考、感情、記憶を含むあなたのアストラル体は、
アストラル界に生きるために解き放たれます。
暗闇と苦痛に満ちた低次の世界に住むか、
美と愛にあふれた高次のアストラル界に住むか、
あるいはさらに上層の、
神に最も近い神聖な存在たちの世界に住むことになるかは、まったくあなたしだいです。
選ぶのはあなたです。
地球で過ごす一瞬一瞬が、ここで選択することすべてが、
あなたの死後の生活を決定するのです。
パット・クビス/マーク・メイシー「あの世の存在に活かされる生き方」



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