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この地上での生活においては、
高次な世界よりも、むしろ低次な世界からの影響をうけ易いようです。

ですので、常日ごろから、
意識を高次なるもの、仏の世界へと向ける努力が必要なのです。

すべては波長同通の法則に従うのです。




肉体を離れてアストラル界の最下層にやってきた魂は、
自分の肉体がもうなくなっているのに気づき、
まわりには暗闇がひろがっているように感じて、うろたえます。
中には、自分のすぐ近くにいる生者たちから発散される、
磁気的エネルギーの場にひきつけられる霊もあります。
透視能力のある人は、この磁気的エネルギーを、一種の「光」として「見る」こともできます。
死者が自分の葬式に出席している友人や、親戚縁者の磁気的エネルギーに、
ひきつけられる場合もあるかもしれません。
少数の魂は、意識的あるいは無意識的に、
肉体をもっている生者から発散している磁気的オーラの光にひきつけられ、
その人間にとりつくことによって、自分を表現しようとします。
そういう場合、霊にとりつかれた人たちは、
その霊のもっている考えや感情から影響を受けてしまい、
自分自身の意志の力が弱くなってしまいます。
こういう霊の支配の力が非常につよいと、
それにとりつかれた人は霊の意のままにあやつられてしまい、
心の混乱や苦しみに悩まされるような状態になる場合もあります。
これは、現代の精神医学では、全くと言っていいくらい、認識されていない事実です。
地上にしばりつけられたこういう霊たちを、
昔から人びとは「悪魔」と考え、記録に残してきました。
悪魔とよばれているものの中には、もともとは人間だったものもあるのです。
―それは、利己的な欲望をみたすだけの生活、
誤った教えや無知にゆがめられた生活、
心が盲目になってしまって、
文字通り「地獄」とよんでもいいような状態におちいり無知にしばりつけられたような生活、
そういう生活を送った直接の結果なのです。

古代ギリシアの詩人ホメロスは、悪魔についてくり返し語り、
「やせ衰えた病人は、悪魔からじっと見つめられた者である」とのべています。
哲学者のプラトンは、悪魔は人間にとりつくと考えています。
ソクラテスは、狂人には悪魔がとりついている、とはっきり言っています。
英雄伝の作者として有名なプルタルコスは、
「暴虐な悪魔は、彼らの楽しみのために生者の魂を要求する。
彼らはどんなことにも満足できず、人間をそそのかして争いを起こさせ、
色欲に走らせ、戦争をひきおこして、彼らの望むものを手に入れるのである」と書いています。
教会史家ヨセフスは、悪魔とはよこしまな人間の魂である、と言っています。
旧約聖書や新約聖書には、憑依や霊の支配について、たびたびのべています。
「ダビデが琴をとり、それをひくと、サウルは気が静まり、悪霊は彼を離れた」(サムエル記)。
イエスの死後まもない十二使徒たちの時代には、
霊の存在や憑依は当然のこととして認められており、
神に仕える本当の使徒かニセものの使徒かを見分ける試金石は、
その人が悪霊を追い出す能力をもっているかどうかで判定されました。
イエスの行なわれた多くの御業が、
悪霊を追い払うことであったということは疑いないことです。

「そこでイエスは、十二弟子をよび寄せて、汚れた霊を追い出し、
あらゆる病気とあらゆる患いをいやす力を、彼らに与えられた」(マタイによる福音書)。
「イエスはみ教えを語られ、また悪霊を払われた」(マルコによる福音書)。
「イエスは、悪霊にとりつかれた人に出会われた。
イエスは、汚れた霊に向って、この人から出てゆけ、と命じられた。
悪霊につかれていたこの人は救われた」(ルカによる福音書)。
「病気は除かれ、悪霊は出てゆくのであった」(使徒行伝)。
「群衆の一人が言った。
『主よ、私は唖の霊につかれている息子をつれて来ました。』
イエスがその父親に向って、『いつごろから、こんな風になったのか』とたずねられると、
父親は答えた。『幼い時からです。』
イエスは汚れた霊を叱りつけて、こう言われた。
『唖と聾の霊よ。私はお前に命ずる。この子から出てゆけ。二度と入ってきてはならぬ。』
すると霊は、叫び声をあげ、その子に激しいひきつけを起こさせて出て行った。
子供は死人のようにぐったりとなったので、人びとは、この子は死んでしまった、と言った。
しかし、イエスが手をとって起こされると、その子は立ち上った」(マルコによる福音書)。
この子供のような状態は、
精神医学の中の精神病理学であつかう患者にはよくみられる症状です。

ローマの教父テルトゥリアヌスは、
悪霊を追い出す能力によって、異教徒と優劣を競い合いました。
ローマ人ミニキウス・フェリクスは、
その著作『オクタヴィウス』の中で、次のように言っています。
「天界から堕落して、地上を放浪している邪悪な霊もいる。
彼らは、自滅してしまった今となっては、人間を破滅におとしいれることばかりつづけている。」

近代の例をあげますと、ロンドンのゴッドフリー・ルーパート博士は、
ローマ法王ピオ十世(在位1903-1914)から派遣され、
アメリカのカトリック信徒の前で、降霊術について次のような講演をしています。
「今日では、もはや、心霊現象について論じることをさけるべきではありません。
今や、世界中の科学者たちが、降霊という現象を、たしかな、真実として認めております。
この問題を棚上げにして何も考えようとしないのは、かえって危険なことです。
そのためローマ法王は、私に、この問題に対してとるべき態度について、
カトリック信者の皆さんに話してほしい、とおっしゃったのです。
ローマ・カトリック教会は、こういう降霊現象は真実のものであるということ、
そのとき降りてくる霊はほんとうに存在する、ということを認めております。
事実カトリック教会は、これまでずっと、そういう現象の真実性を認めてきました。
今日では、そういう霊的存在とは一体何であるのか、
ということについて、私たちは考えなくてはならないのです。
私たちは今、世界に新しい革命をまき起こすかもしれないような、
新しい発見ができるかどうか、という状況におります。
現在のところ、あらゆる現象を説明できるまでには至っておりません。
ですから私たちは、この問題がもっとよく知られるようになるまでは、
判断をひかえておかなくてはなりません。
降霊についての研究は、まだ新しいものですから、危険もともなっています。
この問題について、中途半端な知識に頼って実験したりすることは、
かえって憑依や霊の支配をひき起こしてしまうような非常な危険をともないます。」

ジュリアン・ホーソンは、アメリカのある大新聞にこう書いています。
「毎日毎日、よこしまな心をもった、悪事をかさねた何千人もの男女が死んでゆく。
彼らの魂は、一体どうなるのであろう。
彼らは、この地上に戻りたがっている。
そしてそのチャンスを、できるかぎり多く、また厚かましく利用しようと焦っている。
これを防ぐ方法は二つある。
この望ましからぬ客を送りこんでくる源泉をとめてしまうこと、
もう一つは、彼らの入ってくるドアを閉じてしまうことである。」


ジョージ・W・ミーク「死後の世界と魂の成長」




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