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2009.04.29 聖三角形
世界は今、再び、聖なるものを必要としています。

極端に世俗化した文化は、行き詰まりを迎えています。

戦前の宗教的伝統を全て否定してきた日本においてもこの傾向が顕著です。

これを本来のあり方に戻さなければなりません。




神話、魔術、秘儀。
三つを合わせると、私が聖三角形と呼ぶ、
宗教的文化の伝統的領域の三角の地を構成する。
こうした言葉を書きつけるが早いか、
何と堕落したものに現代西欧社会の精神生活はなり下ってしまったかと思う。
なるほど、ロマン派運動以来、神話、魔術、秘儀が文化の中心にある、
と主張した芸術家や思想家の頑固な周辺地帯はある。
が、一般人の理解では、この三つ組をどのように見なしているか。
神話?虚偽と同義語。
子供の童話に近い、一種の古い文学。
魔術?演芸の奇術になり下って、
手先で早わざをやったり、鏡でごまかしをしたりすること。
秘義(ミステリー)?なり下った果ては探偵小説の域に達し、
せいぜいが解決すべき謎のこと、悪くすると摘発すべき不正。
この三つの概念の、元来の威厳は、嬌小化の厚い壁をぜんぜん通らず、
一般人の心にきちんと評価されることがない。
その代わり、こうしたものについての一般人の評価が下った代わりに、
それが占めていた高い位置を、
私たちの文化においては、もっと「文明的な」代用品が占める。
神話の代わりに歴史。
魔術の代わりに技術(テクノロジー)。
秘儀の代わりに理性。
こうして、もう一つの、さかさま三角形ができる―俗三角形だ。
その方向は地上を向き、超越的経験から遠ざかっている。
このようにさかさま三角形によって図示すると、
マルクスの有名な揚言を思い出すかもしれない―、
「自分が出現したのは、ヘーゲルをさか立ちさせ、観念主義哲学の大ぶろしきに、
唯物主義的科学の鉄のてこを当てて逆にしてしまうためだ」と彼は言った。
これは、味気ない言い方だ。
にもかかわらず、私たちが考えている変容も同じくらい味気なく、きわ立っている―、
一つの現実原則が先代のものを役立たずとして罵る。
大きな文化的転換の道程の終わり近くには、
いつも、そのような、急な、目まいするような方向転換があって、
新しいものが古いものの舞台をうばい取る。
決定的な世代が二つ三つ交代するうちに、
価値体系の全面的な革命が、重大な量的装填に達した、
うっせきしたエネルギーのように社会に発射する。
私たちの場合、この大逆転は、
心と行動における文化の全体的な世俗化であった―、
西欧社会のもっとも特色ある歴史的寄与であると同時に、
もっとも力のある、向こう見ずな、独創的な現代プロジェクトであることは確かだ。


セオドア・ローザク「意識の進化と神秘主義」




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