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2009.05.12 最大の真理
現代の仏陀からの、縁生の弟子たちへのメッセージです。

無霊魂を吹聴する現代仏教の僧侶など、仏弟子ではないだけでなく、仏敵です。




諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今日は、おまえたちに懐かしい話をするとしよう。

転生輪廻の話は、過去幾度となく学んできたはずである。
しかし、この転生輪廻の思想が地上から廃れて久しい。
いや、地上から廃れるというよりも、
もはや過去の単なるたとえ話、笑い話として捉えられている感がある。
そうして、嘆かわしいことに、
我が教えを継いでいるところの仏教の僧侶たちも、
この転生輪廻を真実のこととして捉えているか否かは定かではない。
いや、むしろ、それを信ぜぬ者たちのほうが数多く増えているのではないか。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちも、心して学びなさい。
今世、生まれ落ちたおまえたちには、それぞれの考え方があるであろう。
考え方というのは、おまえたちの受けた教育や、
おまえたちの経験したさまざまな出来事によって成り立っているものだ。
しかし、私は言っておくが、
この世というものは、おまえたちの悟りにとっては、かなり厳しい修行場であるのだ。
いつの時代も、私と共に地に降りてくるおまえたちは、厳しい環境を選んで生まれてくる。
されど、今世のこの日本の地は、
以前のインドの地よりも厳しい環境下に置かれているかに見える。
インドの地においては、伝統的に仏神を尊ぶ風習があった。
また、死後の世界を信ずる風習もあったが、
この日本の地では、
風習そのものは、いまだに遺ってはいるが、その実体がないと言ってよい。
そうした死後の世界をあざ笑い、人の生まれ変わりをあざ笑う人たちの多くは、
何ら自分から進んで知ろうとすることなく、
生まれ落ちてから後の、知識や経験のみで判定しようとする。
しかし、そのなかにいったいいかほどの真実があるのか。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の言葉をよく聞きなさい。
あなたがたは、今世において恐れてはならない。
怯んではならない。
おののいてはならない。
自らがどのように生きやすくするかを考えてはならない。
そのことを、あまりにも考えすぎてはならない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちは、仏弟子であることを誇りに思うか。
おまえたちは、真実のために生きることを誇りに思うか。
おまえたちは、仏法真理のために生きることを誇りに思うか。
もし、おまえたちが真実のために生きることを誇りに思う心を、
いまだに失っていないのであるならば、私の言うことをよく聞きなさい。

地上の人間たちは、死後の世界をあざ笑う。
そして、それを無視したかる。
また、口を開いて死後の世界を語る人あらば、その人を狂人呼ばわりする。
あるいは、変わった者というふうに言う。
そこで、心正しく、心清くして、
真実の世界のことを知っている人が、この地上ではたいへん生きにくくなっている。
ある時はあざ笑われ、中傷され、非難され、罵倒される。

私の言葉を信ずるがゆえに、そのようになる者も出てくるであろう。
しかし、私はあなたがたに言っておく。
我がために傷つけられても、その傷はやがて大いなる栄光となるであろう。
我がために辱められても、その辱めはやがて大いなる天の報いとなるであろう。
我がためにたとえ地に倒れようとも、そのあなたの偉大な思いは、
やがて、天の諸天善神をして、歓喜の涙をふり絞らせることになるであろう。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちは、世間体というものをあまり考えてはならない。
おまえたちは、恥ずかしいという思いをあまり持ってはならない。
おまえたちは、この地上において人びとの尊敬を受けようと、あまりにも考えてはならない。
おまえたちは、喜んで人びとから尊敬されない立場に身を置け。
おまえたちは、喜んで人びとから冷遇される立場に身を置け。
ただ、一つの仏法真理のために―。
ただ、一つの仏の教えのために―。
おまえたちは、幾十回、幾百回、幾千回の転生輪廻の過程で、
いつも我が教えを受けてきたのだ。
そして、我が教えを得る時に、いつも数限りない苦難や困難をも通過してきたのだ。
そうした強いおまえたちであるならば、いまさら何を怯むことがあるか。
いまさら何を恐れることがあるか。
いまさら何を、いまさら何を―。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、おまえたちがいとおしい。
私は、おまえたちが限りなくかわいい。
私は、おまえたちが苦しむのを見ていることができない。
私は、おまえたちが涙しているのを黙って眺めていることができない。
私の教えを守ることが、おまえたちを、もし傷つけ、悩ませ、苦しませることになるならば、
その時に、私もまたおまえたちと共に、悩み、苦しんでいると思え。
私は、必ずおまえたちの涙を見つけるであろう。
私は、必ずおまえたちと共に苦しんでいるであろう。
私は、必ずおまえたちと共に悩んでいるであろう。
私は、必ずおまえたちと共に、大いなる苦しみを背負っていることであろう。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
しかし、地上のいかなる権威が否定しようとも、
地上のいかなる身分ある人が否定しようとも、
地上のいかなる知恵ある人が否定しようとも、
されど、我が教えの真理に誤りはない。
人間は、永遠の魂を得、転生輪廻の過程にあるのだ。
この真実は、何人も否定することができない。
この真実を否定するということは、仏の心を否定するということだ。
仏の存在を否定するということだ。
仏の存在を否定するということは、仏の創られた世界を否定するということだ。
そして、仏の創られた人間を否定するということだ。
すなわち、人間が人間自身を否定するということだ。

しかし、考えてもみよ、恥かしいことではないか。
仏が創られ、永遠の魂を与えられた人間である、ということを信ずることを、なぜ恐れるか。
なぜ、それが奇妙なことに思われるのか。
なぜ、それがばかばかしい話に思われるのか。
なぜ、人間がアメーバから進化してきたということを信ずることが、それほど尊いのか。
なぜ、人間が物質のかたまりで出来上がったことを信ずることが、それほど尊いのか。
ばかなことを言ってはいけない。
そんなことで、何ゆえに人間の尊さというものがあるのだろうか。
人間の尊さとは、人間の内に宿れるものの尊さであるのだ。
人間の内に宿れるもの、
それは、すべてのものが、仏より岐れてきた生命であるということなのだ。
仏によって創られた生命であるということなのだ。
それが人間の尊さなのだ。
この尊さがわからない者には、一切の善はわからない。
一切の美がわからない。
一切の真理がわからない。
一切の善も、一切の美も、一切の真理もわからない人間は、
もはや、人間であって人間ではない。
それは、人間の外形をとどめているだけだ。
人間として、地上に生まれ、生きていく途上で最も大切なことは、
尊さということを知ることである。
この地上的な体験のなかから、尊さというものを感じ取ることである。
自らが生かされていることの尊さを、
他の生命が生かされていることの尊さを、
仏の創られたる世界の尊さを、それを強く強く感じ取ることである。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はひじょうに悲しい。
おまえたちは、宗教と呼ばれることを、ずいぶんと恐れているようだ。
おまえたちは、自分が妄信・狂信をしているように、
人びとから言われるということを、ずいぶん恐れているようだ。
しかし、私は言っておく。
事実は事実、真実は真実。
何人もこれをねじ曲げることはできない。
あなたがたを、たとえあざ笑い、否定し、批判し、また、誹る者が現れても、
彼らは何も知らないのだと思いなさい。
何も知らない彼らが、真実を知っているあなたがたを批判することはできないのだ。
人は、自らが知りえたること以上のことを言うことはできない。
自らが認識しえたこと以上の認識を示すことはできない。

同じ時代に、同じ地域に、同じような立場で生まれ合わせたとしても、
それぞれの魂の境涯はさまざまである。
それは、永遠の進化の過程において、
ある者は早く進み、ある者は歩み遅くついてきているからだ。
その事実が、地上にある間には、なかなかわからない。
いや、むしろその逆であることも多い。
この世では、この世的に住みよい人、
この世的に住みやすくしたいと思う人間、
この世的によりよく生きたいと思う人間を、重用する傾向がある。
それゆえに、あの世を信じ、
あの世の世界の幸福を願う人間が、この世では生きにくくなっているやもしれぬ。

されど、勇気を奮い起こせ。
真実を知っている者は、強くなくてはならない。
真実を知っている者は、心弱くあってはならない。
口さがない者たちの批判に負けてはならない。
表面的な理解しかできていない者たちの批判に、負けてはならない。
真実は真実、事実は事実。
世の常識を、世の常識としていつまでも適用させてはならない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、
人びとに永遠の生命を教え、
また人間がこの世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、
教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、
人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
発見するところの最大の真理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、
それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
この真理から見れば、ほんの子供だましにしかすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない。
人びとの価値観はまったく180度の転換を見るようになるであろう。
すなわち、それより後、
人びとは、自分の人生をもっともっと長い時間のなかで、
考えることができるようになってゆくということなのだ。




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