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2009.06.20 仏徒の法力
現代の仏教者はいいます。

仏陀は冷厳な合理主義者だった。

仏法に神秘や奇蹟なし。

これらは、仏教に対する冒瀆です。




J・S・ストロングによれば、仏教の逆説の一つは、
それを仏陀自身や菩薩や他の覚者たちの日常茶飯の行の最たるものと認めながら、
空中飛翔をも含めて一切の奇蹟を否定することにあるという。
パーリ語経典『法句経』の注釈書『ダンマパダッタカター』の述べるところでは、
空中飛翔の禁止は、ある「外道」が仏陀にこの奇蹟の業くらべを挑んだとき、
仏陀自身によって破られたという。
この奇蹟の業をみずから禁じた説法に反して、
仏陀は次のように答えた。
「われはおのれ自身にいかなる戒も課せることなし。戒はただわが弟子にのみ。」
しかしながら数多の経典によれば、仏弟子の中には著名な虚空遊行者が数多くいたという。

仏教では飛翔能力は愛欲によっても、悪業によっても阻害される。
しかしいずれにしても仏教では、特殊能力あるいは悉地成就は、
ヨーガの厳密な規範、完全な集中と不断の冥想によってのみ体得することができる。
仏徒の飛翔能力に対して、「外道」にも同様なことを行う能力があった。
しかしこれは魔術によるもので、
術者にいかなる禁欲も倫理的、知的繫縛も課するものではなかった。
このことは仏教者に魔術と魔術師に対する軽侮の念を生じさせたが、
これは偽クレメンス文書やアルノビウスの論争に見られる、
キリスト教徒の軽蔑と好一対である。
『ダンマパダッタカター』では、
飛翔力を悪用して宮殿の八階まで飛び上がり、
富家の娘と同衾した「外道」の話が載っている。
『害魔法本生譚』は、日中は日輪を拝しているが、
夜の闇が訪れると早々に飛翔してベナレスの王妃の館を訪う魔術師の説話を載せている。

使徒ペテロの力が魔術師シモンのそれをはるかに凌いでいたように、
仏徒の法力が魔術師の技を断然超えていたことは言うまでもない。
マニの先蹤であるテレビントスの説話も、
『ダンマパダッタカター』の説話ですでに先取りされているのである。
ジャイナ教徒の「外道」ナータプッタは、おのれの飛翔力の不足を糊塗するために、
あらゆる手練手管を弄したが、それにもかかわらず痛手を蒙らずには済まなかったのである。

筆者はここでは世界の無数の精神的伝統において、
看過すべからざる並行的発展現象が存在することだけは指摘しておきたい。


ヨアン・P・クリアーノ「霊魂離脱とグノーシス」




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