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2009.07.08 信仰の本質
人間に内在する神性・仏性を信じること。

それは即ち、私たちは、神仏によって創られた存在であることを信じるということです。

その事実には、宗教の違いは関係ありません。

神も仏も同じことなのです。

クリミアの天使、ナイチンゲールによる素晴らしい信仰告白です。




私たちの宗教信条は、こうです。
すなわち全能かつ永遠の愛と知と正義の霊が、明確な法則に従って、
愛と知と正義の恵みを亨受することのできる人間を存在させることで、
自らを現していると信じること、
そして人間は、自分自身の、またお互いの神性を発達させることが可能な存在であり、
その人間が生きている宇宙には、明確な法則に従って、
人間が自らの活動を通して、人類の幸福に向かって、
進歩することを保証する手段や誘因が与えられていると信じることです。

人間の本性の不完全から完全への発達に資するものは何であれ、
また無知から知への進歩に役立つものは何であれ、
すべてが、私たちが父なる神を知り、神を感じ、
私たち一人一人に内在する聖霊を豊かにする助けとなります。

苦しみや貧しさを耐え忍ぶものが、人間に内在する神の霊であること、
それは明らかではないでしょうか。
存在の法則に明示されているように、
神の霊は正義と知と善、愛と慈しみの霊であるということ以外に、
私たちは神の霊について、いったい何を知ることができるでしょうか。
あらゆる苦しみや貧しさは、これらの神の属性の反作用であり、
否定であり、制限に他ならないのではないでしょうか。

いやしくも人間と呼ばれる存在であるならば、
これらの神の属性を内に秘めていない存在はないこと、
それはおそらく立証できると思われます。
私たちが神について知っているすべて、知ることのできるすべてが、
程度の差こそあれ、多少なりとも人間のうちに存在することが確認できるのであれば、
人間が「肉において現れた」神であることは明らかではないでしょうか。
人間が充分な英知を獲得すれば、秩序ある生活と教育とによって、
どの人間にも内在するそのような神の属性を、おそらく呼び覚ますことができるでしょう。
実際、人間性が現にどこに存在しようとも、
神の属性の存在を証明する方向に向かっていることは、今や否定できないのです。
経験と意識が教えてくれること、
それは、自らの本性の一部ないしは、
いくつかの部分を発揮することによって私たちにもたらされるものは、
単に受動的な受け手として受け取るものよりも、貴重だということです。
あるいはむしろ、いかなる善なるものに対しても、
単に受動的な受け手であることは不可能であり、
それが私たち人間の本性だと言えるかもしれません。 
それならば、神の意志、すなわち善の意志とは、
神の意志によってもたらされた存在である人間にとって本来の善性であり、
それが生活の中で充分に発揮されることを、期待すべきではないでしょうか。
それこそが神の御心であることが、示されているのかもしれません。
神の意思が存在せしめたそのような存在が、
最善の性質、すなわち神自信の本性を有していること、
そして神の法則は、それらの善性が正義と慈愛と英知の信念として、
実践されるように働いていることを、私たちが想像できるのだ―こう仮定してみましょう。
そしてそれがまさしく事実であることは、立証可能だと思われます。

すでに発見されている物質界の法則を思い起こしてください。
個人あるいは集団としての人間が、自らを正しく保とうと、
何世代にもわたり懸命な探求を続けていることを思い起こしてくだい。
人間に内在する神性の実践によって、
現に存在する限界を拡大できる点を、誰が疑えるでしょうか。
これは単なる空想に過ぎないのでしょうか。
その確信は、経験によって裏づけられるのではないでしょうか。
ほとんど確かな目的も持たず、知らぬうちに制限されるような生活ではなく、
人間は個人として、また集団として、
生活に秩序をもたらすことを目指してきたという事実を思い起こしてください。
それは人間自らの本性をさらに向上させるため、
すなわち人間に内在する神性の限界を拡大するためなのです。
私たち人間が自分自身のため、また人類のために実践を積むことによって、
さらに一層神性に近づくであろうということを、疑うことができるでしょうか。

一人一人の人間は全体の一部であり、
人類の、そして神の子の一部です。
人間は目標をめざす者、すなわち父なる神そのもの、父なる神がもつものを獲得する者です。
人間は神のうちに存在し、真理に近づき、真理を知る程度に応じて、神と一体となります。
人類の場合、一つの全体を構成するそれぞれの異なる部分が、
一つの目的に貢献しているのです。
人類は神が私たちに伝達する神性を通じた実践によって、
自分たちを聖なる者へと変革しようとしています。
人間は何一つできませんが、受け取ることだけはできるのです。
しかし実践を通じて、すなわち人間自身の本性を適切に働かせない限り、
何一つ受け取ることはできません。


「真理の探究」




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