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日本の仏教界も、いわゆる戦後レジームの中にあります。
仏教者はいまだ後ろ向きに生きているのです。

本来の仏教は多神教であったはずです。
様々な神々を認めていたはずです。
仏教思想が広まれば不毛な宗教間の争いは止むでしょう。

神と仏は違う、などと言っている場合ではありません。
神仏は一つであります。

そうであるのならば、神仏の理想をこの地上に実現することこそが大切であります。
そうすれば、自ずと向かうべき方向が見えてくるでありましょう。

著名な仏教学者の宮坂宥勝氏はこのように提言されています。




明治維新のとき、新政府は明治元(1868)年3月28日に神仏判然令を発令したが、
神仏分離を逸脱して、ついに廃仏毀釈の暴挙が行われるに至った。
その思想的原動力は国学のイデオロギーであった。
王政復古を実現するためには、今まで国教的位置にあった仏教を国家的神道と分離し、
仏教を壊滅させる必要があった。

明治5(1872)年4月25日の太政官布で、
僧侶の肉食妻帯蓄髪、勝手たるべきことが布告された。
この一片の布告によって、近代仏教が出家仏数でなくなる契機となり、
日本仏教は在家仏教として性格づけられたのであった。
ただし、宗派仏教である点は江戸時代のままで残った。
これが今日までの日本仏教の実体を作りあげるようになったのである。
明治政府は政治権力によって仏教の世俗化を押しすすめ、
仏教の弱体化に拍車がかけられた。
その狙いとするところは、
国家神道を形成して近代国家における天皇制―天皇神権を確立することにあった。
それと同時に新政府は、富国強兵策をとった。
先進的な欧米諸国に伍さなければならなかったのである。
これに対して仏教界は仏教国益論の路線を敷いて、
かつては廃仏まで迫い込んだ明治政府に迎合した。

ところで、わが国は日露戦争で大勝利を得て、
列強はわが国をアジアにおける唯一の近代国家であることを認めたのであった。
第二次大戦中の昭和17(1942)年には兵器製造のための金属回収を名目に、
全国寺院の梵鐘をはじめ仏具、法具までを没収した。
これは第一次金属回収で、第二次金属回収は、
全国寺院の一切の金銅仏の没収を計画した。
が、幸い敗戦になって、これは実現しなかった。
次に戦死者の葬儀は仏式でしてはならず、
必ず神葬にすべしと政府が布達する準備をしていた。
国会では「いろは歌」は仏教歌だから廃止すべしと真面目に論議されたことがあった。
このとき、教団仏教は国策だからといって沈黙を守ったままだった。
が、恩師、高神覚昇先生ひとりが、
「神は父、仏は母である。神仏一体であってこそわが国の伝統文化がある」と主張されて、
敢然と反対され、国会の可決を阻止されたのであった。

近代明治期以降の教団仏教の社会的発言は極めて微弱である。 
一般社会に与えた影響は皆無とはいわないが、ほとんどなかった。
これを筆者は、130数年前にあった廃仏毀釈後に、
仏教が明治政府に仏教国益論をもって自己擁護したように、
本来、出世間の立場にあるべき仏教が、
国家もしくは社会という世俗に従属するようになったのに遠因があるとみるものである。
現在でもそうであって、社会的または宗教的な発言もしくは発信は教団内部にとどまり、
一般社会に向かってのそれはほとんど認められない。

だが、たとえば大本・人類愛善会やNCC(日本キリスト教協議会)、
新宗連または立正佼成会などのように社会的、
世界的に非戦主義を発信している教団もある。
近年、荒廃した世相の批判や世界平和の祈りは教団仏教でもおこなっている。
が、それらが一般社会に届けられたり、社会的反響をみることは期待されていない。
これは端的にいって教団仏教が宗派仏教であって、
個別的な宗団宗派の立場からの発信では無力で、
社会的に効力がないからではないだろうか。
しかし今日、政党や政治的イデオロギーから自由な立場にあるのは、
多くの宗教者たちである。
そのわれわれ宗教者に直截闊達な社会的発言が極めて少ないのは、実に残念なことである。

「中外日報 2004.1.20」




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